今日は歌手のナタリー・カーターと久しぶりの演奏である。今回のステージで私は歌伴の極意を体験したように思う。
著名人の葬儀にも使われる巨大なリヴァーサイド教会(ハンプトンの葬儀もここだった)での月例ジャズ・コンサート。
ナタリーはジャズ歌手の範疇には収まりきらない。スピリットに乗り移られたアフリカのシャーマン呪術師を思わせる唄い手である。エネルギーを発散させながら歌う彼女は、本人も好きだというニーナ・シモンに通じるところがある。
語り調子で次第に没入していく「シンナーマン(Sinnerman)」で、私は譜面から離れ彼女の歌の世界に入ることが出来た。それはピアニストは和音を正しく弾く、というレベルではない。歌詞の内容に沿って私の演奏も進み、歌詞の意味によって強弱やフレージングをつける。
こうなると譜面にとらわれないフリーの音楽であり、その曲を理解して歌う歌手の投影する世界に私も参加する、ということになる。歌手と伴奏者の関係ではなく、まさに二人で曲を創り上げていく。これは至極楽しい体験であった。
著名人の葬儀にも使われる巨大なリヴァーサイド教会(ハンプトンの葬儀もここだった)での月例ジャズ・コンサート。
ナタリーはジャズ歌手の範疇には収まりきらない。スピリットに乗り移られたアフリカのシャーマン呪術師を思わせる唄い手である。エネルギーを発散させながら歌う彼女は、本人も好きだというニーナ・シモンに通じるところがある。
語り調子で次第に没入していく「シンナーマン(Sinnerman)」で、私は譜面から離れ彼女の歌の世界に入ることが出来た。それはピアニストは和音を正しく弾く、というレベルではない。歌詞の内容に沿って私の演奏も進み、歌詞の意味によって強弱やフレージングをつける。
こうなると譜面にとらわれないフリーの音楽であり、その曲を理解して歌う歌手の投影する世界に私も参加する、ということになる。歌手と伴奏者の関係ではなく、まさに二人で曲を創り上げていく。これは至極楽しい体験であった。