11月8日(日)、そういえば今日は8日です。
8のつく日(8日、18日、28日)は、鬼子母神さまの縁日です。
実は、私は古い鬼子母神様のお厨子がありまして、私の守り本尊です。
祖先が身延山に百日行をして、頂いた鬼子母神さまですので、我が家の家宝と言えます。
そんなわけで、私は日蓮宗のお寺をお参りすることが多いです。
あまりそんな話はしないのですが、わりとスピリチャルな部分がありまして、昨晩の夢で鬼子母神様にお参りにいく自分を見たので、今日は江戸三大・鬼子母神をお参りに行こうと思ったわけです。
上野を出発して、入谷にきました。
「恐れ入谷の鬼子母神」とは、「恐れ入りました」という意味で使うしゃれ言葉です。
「恐れ入りやした」の「入りや」と「入谷(東京都台東区の地名)」を掛け、入谷の真源寺(台東区下谷)に祀られている「鬼子母神」を続けて言ったしゃれ言葉です。
鬼子母神は出産・育児の女神で、「きしぼじん」とも読みます。
真源寺は工事中でした。
ご縁日と言うことあり、忙しそうでした。
万治2年(1659年)光長寺20世・日融が当地に法華宗本門流の寺院を開山した。
鬼子母神を祀っていることで、入谷鬼子母神の名称で有名な寺院です。
大田南畝の狂歌「恐れ入りやの鬼子母神」という洒落も有名です。
7月の七夕の前後に当寺院の境内で、朝顔市が開かれることで、入谷の名物であることはもとより、東京下町の夏の訪れを伝える行事として、全国的にも知られています。
鬼子母神さまのお参りを済ませて、ご朱印を頂いてきました。
今度は朝顔市に来てみましょう・・。
さて、法明寺(ほうみょうじ)は、東京都豊島区南池袋にある日蓮宗の寺院です。
山号は威光山。飛地境内に鬼子母神堂があります。
都営荒川線の踏切を超えると雑司ヶ谷の鬼子母神さまの参道に入ります。
パンダを法明寺の裏のパーキングに駐車して、鬼子母神さまにお参りです。
鬼子母神堂(きしもじんどう/きしもしんどう)は法明寺の飛地境内にある堂です。
1561年(永禄4年)山村丹右衛門が現在の目白台のあたりで鬼子母神像を井戸から掘り出し、東陽坊に祀ったのが始まりとされています。1578年(天正6年)現在の社殿を建立したと言われています。
なお当所における正式な「鬼子母神」の表記は「鬼」の上の点がない字体です。
鬼子母神堂 本尊:鬼子母神中心となる堂宇。
現在の堂宇は、1664年(寛文4年)建立で、東京都指定有形文化財に指定されています。
豪華な彫刻が施されている。現在は拝殿が入母屋造で、本殿が流造となっている変型の権現造となっているが、建てられた当初は相の間はなく、1700年(元禄13年)付け加えられたものです。
本日は、ご縁日なのですが、七五三の参詣者が多かったです。
特別祈祷を済ませて、「おせんだんご」を食べました。
鬼子母神には千人の子があったと言われています。
「おせん」の名前はそれに由来されています
小粒の五つ刺しの団子は、安産子安と子孫繁栄を祈願する意味があるそうです。
この茶店は日曜日しか営業していません。
ちなみに「境内」にある駄菓子屋さんは雨の日は休日です。
有名な「鬼子母神」には、台東区入谷の真源寺、豊島区雑司が谷の法明寺、
市川市の法華経寺がありますが、雑司が谷の「鬼子母神」は、「きしもじん」と読むそうです。
特別祈祷は丁寧に一家族ずつ行います。30分ほど待ちましたが、良いですね。
ご朱印を頂いてきました。
首都高速入谷ICから入って、京葉道路に入って市川ICを降りると、市川市中山は法華経寺の門前町の案内板に従って走ると法華経寺に到着です。
法華経寺は日蓮宗の名刹として有名で、鎌倉時代後期に日蓮の弟子日常が創建した法華寺と、日高の創建した本妙寺が室町時代中期に一緒になり、法華経寺となっています。
現在の場所は本妙寺のあった所で、法華寺は奥の院となっています。
祖師堂、法華堂、四足門、五重塔は重要文化財です。
聖教殿には、日蓮の自筆で国宝の「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」が所蔵されています。
また鬼子母神への信仰も厚く、子育安産の祈祷のための参詣の人も多く訪れるようです。
夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、千人の子どもの母で500人は鬼の子、500人は人間と言われています。
それらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べてしまっていた。そのため多くの人間から恐れ憎まれていた。
それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦])を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。
彼女は半狂乱となって世界中を7日間探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。
そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。
それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言った。
彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。
そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えた。
かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。盗難除けの守護ともされる。
法華経寺において鬼子母神は、十羅刹女(じゅうらせつにょ)と共に法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、鬼子母神と十羅刹女に母子の関係を設定している。このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。
日蓮聖人は御書のなかで「十羅刹女と申すは10人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。また十羅刹女の母なり、鬼子母神これなり」と述べられ鬼子母神を重視されています。
もともと鬼子母神信仰は平安朝の昔から一般的な信仰としてありましたが、法華信仰に生きる者、日蓮宗に属する者にとって、鬼子母神はただ単に子供を守る神であるばかりでなく、信者・宗徒の外護神として崇められています。
法華経寺(ほけきょうじ)は、千葉県市川市中山二丁目にある日蓮宗大本山の寺院です。
鎌倉時代の文応元年(1260年)創立。中山法華経寺とも呼ばれています。
山号は正中山。日蓮の説法と安息の地であり、境内の鬼子母神も広く信仰を集めています。
いわゆる中山三法類(親師法縁、達師法縁、堺法縁)の縁頭寺です。
全国的に有名な日蓮宗の荒行は毎年11月1日より翌年の2月10日まで行われます。
全国から大勢の僧侶が集まり、寒壱百日間に及ぶ修行は荒行の名に恥じない厳しいものです。
日蓮宗ではこの修行を終えた者にのみ「祈祷」の秘法が相伝されます。
荒行堂の瑞門は、俗世界と霊域を区切る瑞門は入行と出行の時しか開かれない。
全修行僧が瑞門をくぐると、この門は固く閉ざされ、2月10日まで開く事はありません。
後半には面会が許可されるものの、外部との交流を遮断した結界での修行なのです。
最も過酷な寒さの時期に行われる水行があります。
僧侶達はひげを剃るための剃刀を携帯するのを禁じられるそうです。
荒行に耐えかねて自裁することを防ぐ為だとか…ひげを剃る時間すらもないからとのことです。
荒行僧の一日は、早朝二時に起床し、朝三時、一番の水から午後十一時まで一日七回、寒水に身を清める「水行」と、「万巻の読経」「木剣相承」相伝書の「書写行」があり、朝夕二回、梅干し一個の白粥の食事の生活が続きます。
黙々として「懺悔滅罪」する修行であり「謗法懺悔、罪障消滅」の苦行なのです。
法華経万巻の読誦 唱題 水行 その他の勤役が「所作仏事」となって、目には見えないが「現世安穏後生善処安穏の法華経」の「妙法経力」が自己の心身に功徳霊気となって蓄積し、祈祷修法に当ってこれが発動を見、修法を受ける人々に効験利益を顕して妙法弘布の大願をも成就するのです。
手や足のひびやあかぎれが裂け、血が吹き出してくる。
こうして続けられる苦修練行は、読経堂内の「凡骨将死」「聖胎自生」という対句のとおり、まさに「死と蘇生」の宗教的体験が秘められています。
こうした修行をした僧侶だけが、祈祷の秘法が相伝されるわけです。
日蓮宗の祈祷が、迫力とパワーを感じるのは当然ですねぇ・・。
これは宇賀神堂です。
宇賀神(うがじん)は、日本で中世以降信仰された神です。
名の「宇賀」は、日本神話に登場する宇迦之御魂神(うかのみたま)に由来するものと一般的には考えられている(仏教語で「財施」を意味する「宇迦耶(うがや)」に由来するという説もある)。
その姿は、人頭蛇身で蜷局(とぐろ)を巻く形で表され、頭部も老翁や女性であったりと一様ではない。
元々は宇迦之御魂神などと同様に、穀霊神・福徳神として民間で信仰されていた神ではないかと推測されているが、両者には名前以外の共通性は乏しく、その出自は不明です。
また、蛇神・龍神の化身とされることもあった。
これが比叡山・延暦寺(天台宗)の教学に取り入れられ、仏教の神(天)である弁才天と習合あるいは合体した。
この合一神は、宇賀弁才天とも呼ばれ、宇賀神はしばしば弁才天の頭頂部に小さく乗る。
その際、鳥居が添えられることも多い。
出自が不明で、経典では穀霊神としての性格が見られないことなどから、宇賀神は、弁才天との神仏習合の中で造作され案出された神、との説もす。
宇賀弁才天への信仰は、延暦寺に近い近江国・竹生島を中心に、安芸国・厳島、相模国・江ノ島など全国に広まった。
これらは、明治の神仏分離の際に市寸島比売命(いちきしまひめ)などを祭神とする神社となっている。
鎌倉市の宇賀福神社では、宇賀神をそのまま神道の神として祀っています。
大本山 正中山法華経寺 宇賀神堂は法華経寺守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られています。
20年ぐらい前に、宇賀神さまの夢を見て「へんな夢だなぁ・・・」と思って調べてみると宇賀神さまであることがわかり、正中山法華経寺に参拝したのがご縁です。
わりとスピリチャルな体験をすることが多いのです。
若いころは、信仰心がまったくなかったのですが、歳と共に神仏を拝むようになりました。
大本山 正中山法華経寺の鬼子母神の加持祈祷は迫力があります。
日蓮宗で行なわれる加持祈祷と、この種類についてお話いたします。
加持とは、仏神と一体になること(感応道交)により即身成仏を求めるものであるが、現世の利益を願い加持祈祷する事は、種々の祈願により仏神と一体となり、それにより即身成仏の道へ歩ませるものです。
現在の日蓮宗の加持祈祷は、日蓮宗大荒行一百日間の荒行を成満した僧侶により木剣を用い、怨敵を消滅し悪魔を降伏し、心身の病を治し邪を滅するため修法されます。
しかし、加持祈祷は、祈祷を受ける人の「信力」つまり信心・護法の信念・受持の力が大切でなのです。
それに法力(妙法蓮華経の功徳力・経法力)仏力(行者の願を成就せしめんとする仏の誓願力)の三力がひとつになった時、加持祈祷の威力が現れるのです。
一種のトランス状態になります。
心身が清められて、鬼子母神さまの霊力が注入された気分になります。
加持祈祷を済ませて、ご朱印をいただきました。
ありがとうございます。
本日、念願の江戸三大鬼子母神のお参りができました。
いつもとちょっと違うドライブでした。
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