澁澤龍彦『高丘親王航海記』
文春文庫 新装版・2017年(単行本初出は1987年)
貞観七(865)年正月、高丘親王は唐の広州から海路天竺へ向った。幼時から父平城帝の寵姫藤原薬子に天竺への夢を吹きこまれた親王は、エクゾティシズムの徒と化していたのだ。鳥の下半身をした女、犬頭人の国など、怪奇と幻想の世界を遍歴した親王が、旅に病んで考えたことは…。遺作となった読売文学賞受賞作。(Amazon内容紹介より)
=例会レポ=
過去に渋沢体験の有る無しがはっきりと表れた今回の例会でした。
若い頃に渋沢を読んで圧倒的な影響を受けたという会員には、
「高校生で初めて出会い、それから渋沢の世界にどっぷりと浸かった。自分の世代やちょっと下の世代にとって渋沢は大きな存在だった」
「高校生の頃に背伸びして読んでいた」
といった思い出があるようです。
共通していたのは、「読んでいたのは小説ではなく、評論だった」ということ。
「渋沢の小説はつまらない。ほら話(小説)と評論は隔絶したもので、中国の史書を引用した導入部分から我田引水、自分の考えを書いたのが小説で、そこから原典にさかのぼっていく読み方ができるのが評論だと思う」
「当時は評論や翻訳ばかりを読んでいて創作は読む気がしなかったが、今回読んでみると以外に面白かった。私生活を含めて抵抗もあるが興味深い人物だとあらためて思った」
「この作品は若い頃にも読んでいたが、当時は後半でトーンが変化するあたりは受けつけなかった。今回読み直して、年を取ったせいか、受ける印象が変わった」
渋沢=評論家・翻訳家、という思いが強いことがわかりました。
それに対して、大半を占めたのが、渋沢初体験者たち。
「夢の中を漂っているような感じが好き」
「文章がきれい。私生活は知っているが、作家の人格と作品は別物だと思った」
「登場するキャラクターが可愛らしい。楽しく読んだ」
「獏のエピソードと、真珠のエピソードが面白かった。夢の中に夢が混じりこんでくる設定」
「性的倒錯を抑えたエロティシズム、気持ちの悪い異形の世界。自分の幻想世界を文章にしているだけで、物足りない。」
「読みたかった本だけどハードルが高く手に取れなかった。おどろおどろしい内容かと思っていたが、きれいな文章で不意を突かれた感じ」
「面白かった。描かれた世界、文章に惹かれるものがあった。南方世界が舞台なのにパステルカラーのイメージ」
「読み慣れない漢字やカタカナ。難しい言葉で読者を煙に巻く気かという感じを受けながら読んだけれど、面白くなくはない」
「ふんわりととりとめのない物語。男性は誰でも薬子みたいな女性に惹かれるのかな」
「最初は難しく読みづらかったが、後半はそうでもなかった。作者は今で言う一種のオタク? その世界では評価されているが、一般的にはそうでない人?」
「薬子は好き。全編に真珠色の霧が立ち込めているような雰囲気」
「作者は何か自分を演出しているよう。だから何なの、っていうのが正直な感想」
「何を読んだか(小説)、何を観たか(映画)、何を聞いたか(音楽)が、自己存在だった時代」を過ごした菊池先生にとっても、渋沢は影響を受けた作家だそうです。多くの会員が指摘した後半二作の作風の変化などの疑問や質問については、
「後半は自分の死の予感を高丘親王の死に合わせて書き上げた。骨をプラスティックと表現した渋沢の内面、そう書かざるをえなかった内面を考えてみてほしい」
「小説は少ないが、『唐草物語』『ねむり姫』かな」
「薬子は永遠の女性として描いている」
「博学多才、博覧強記の渋沢は、一家言を持っているオタクのような存在。四谷シモンや土方巽ら、変な友人もたくさんいる」
としたうえで、
「ギリシャ神話をはじめとする変身譚=神話的世界のように、渋沢的世界が構築されている。古代・中世のおとぎ草紙以来、近世の上田秋成、滝沢馬琴、そして同時代の稲垣足穂、中井英夫、三島由紀夫らに連なる流れ」
とまとめてくれました。
小説家、評論家、翻訳家と、それぞれの世界で三面六臂の活躍をした渋沢龍彦。その私生活を含め、彼の存在感・影響力は今もなくなっていないようです(世田谷文学館で特別展も開かれているし)。なお、これだけは書いておきたいことに、新装版となった文春文庫の装丁への不満がありました。ケース入りの初版や、前の文庫版に比べて、これはひどいよ、との感想が多かったです。
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