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松家仁之『沈むフランシス』
新潮社 2013年
森をつらぬいて流れる川は、どこから来てどこへ向かうのか――。『火山のふもとで』につづく待望のデビュー第二作。北海道の小さな村を郵便配達車でめぐる女。川のほとりの家屋に暮らし、この世にみちるさまざまな音を収集する男。男が口にする「フランシス」とは? 結晶のまま落ちてくる雪、凍土の下を流れる水――剥き出しの自然と土地に刻まれた太古の記憶を背景に、二人の男女の恋愛の深まりを描きだし、五官のすべてがひらかれてゆくような鮮烈な中篇小説。
=例会レポ=
あらヒト少ないわ、と思ったら19時を過ぎて徐々に集まり、20人+講師の9月例会となりました。
次点繰り上げとなった今回の課題本。推薦人のワタクシは、前にこの本を読んだとき、ずいぶん純度の高い恋愛小説(ピュアな恋心ではなく、恋愛要素の占有率が高い物語、つーか100%それ)だと思ったのですが、
結局二人はうまくいくのかそーかと納得して読み終えたら、身近な会員K氏に「あれは破局じゃないの」と言われ、同じ本を読みながら、なぜ正反対の結末に? と愕然。
そこで今回、会員の皆さまに判断を委ねたのですが、いやいや多方面にいろんな意見が出て、とても興味深かった。課題本としては大成功だったんではないでしょうか。
以下、項目ごとにおまとめ。
●装丁の仕掛け
表紙の犬が可愛すぎる、これがフランシス? 鼻のアタマに雪の結晶があるだとか、シックな色合いだとか、さすが新潮社、素敵な装丁ねー・・・という評価が読み進むにつれて一転。生々しい愛欲シーンの後で見直せば「犬の鼻=セックスシンボル」であったかと脱力したり、がっかりしたり、忌々しさを覚えたり、の意見が多数。わんこは何にも悪くないんだけどね。。
●こだわりのあり過ぎる男
真空管マニア、音楽、料理、暮らしの隅々にすべてこだわりのあるスノビッシュな男、寺富野和彦。しかし前作『火山のふもとで』では、さらにこれを上回るこだわりがあるとのこと。作者自身が編集者としての活動を積んでるうちにそうなったのでしょうか。にしても「ピエールマントゥー」などとストッキングのブランドを書くなんざタダの男ではない、と女性会員A氏。
さらに盛り上がったのは、I氏の発した「主役ふたりの、寺富野、撫養って苗字はこだわり過ぎでね? 御法川ばーさんはともかくも」てハナシ。その一方、「この本を読む直前に、リアル撫養さんに出会った」という貴重な経験を語った会員もおられました。
しかし「こだわり」については、何度も読むのを諦めかけたという男性M氏の「こういうけだるくてオシャレな男は大嫌い。こういうヤツは決まって映画か音楽を語るんですよ!」という怒りの声もご紹介しておきます。
●舞台設定
深い雪に閉ざされた北国の寒村。これこそが、恋愛のほかにすることのない純度UPの環境設定と思うのですが、「田舎の割に都会人でオシャレな二人である」という突っ込みも。でもまあ田舎者同士だったとしたら、オサレな恋愛ドラマは成り立つのか? 辺境の地については意見が分かれ、東京の雑踏を逃れてふらりとやってくるヒロインの行動が現実離れし過ぎ、という意見がある一方、日常からの逃避への憧れがあるので主人公の行動に共感し、自分の願望を投影したという会員もおられました。
●キャスティング
推薦者は、もう真木よう子さん&長谷川博己さんしかあり得ない勢いで読み進んだのですが、他をご紹介しておきますと和彦は「福山雅治(←女性会員よりえええー?の嵐)」「若い時の高橋幸治」、桂子は「松雪泰子」「和久井映見」「寺島しのぶ」などなど幅広い顔ぶれが挙げられたのでした。
と枝葉末節を先に語りましたが、ここからが本題。
●果たして二人は別れたのか結ばれたのか?
とりあえずは「うまくいったんでしょ」派が多数。和彦が何もかも失ったこと、それはある種の束縛から放たれ自由を手に入れたのだと理解できる。洪水のあとの「再生」。あるいは桂子がフランシスに勝ったとも。
しかし「破局」派も根強い。全般的に、和彦に惹かれてゆく桂子の心情は理解できるが、桂子の中に和彦が惹かれる要素が見当たらない。桂子は和彦にとり、手近な女のひとり。たとえうまくいったように見えても、和彦に振られるのではないかと。そもそもあれだけこだわりのある和彦が全てを失う絶望に陥りながら、その代替のように桂子を得るとは考えにくい。男のこだわりは最後まで貫かれるべきであろうと。
うーむ。桂子の敵はいったい誰だったのでしょう。和彦の妻か、長谷川の妻か、フランシスか。それらが一つひとつ片付いたあとに得る幸せは、やはり「旅人」との束の間のふれあいに過ぎないのでしょうか。
●巻頭シーンの解釈
冒頭に流れる「死体」はいったい誰なのか。桂子説→体重60kgのヒロインを作者が設定するとは考えにくい。では事故死した瀬川? それとも和彦?
これは現在、過去、それとも未来? あるいは夢? と決定的な解答は得られず。
●総合評価
全体的には、この小説をとても気に入り他の作品も読んだ方、とダメダメな方に分かれました。平明な言葉で丁寧に構築された心地のいい小説、という評、いろんなエピソードが幾層にも重なった巧みな小説という評もありました。皆さんが熱弁をふるっておられた感のある課題本、「女は好きな人がいればそれでいい。ふがいない男を女が支える」「恋愛小説というより性愛小説」「二人の関係が深まっていく過程が描けていない」など、それぞれの恋愛観も大変興味深く知ることができました。
●講師の評価
ところが今回はダメ出しされましたー!
センセイ、どういうコトでしょう?
「小道具の立て方は上手いが、恋愛小説の本筋が弱い。頭で考えた、観念的な言葉が描かれていて、セックスが本物ではない」とのこと。
寺富野、撫養などの名は作者が登場人物に強い個性を出したいという意図。また、この作者の他の作品もそうだが、これは単なる恋愛小説でなく「災害小説」。舞台背景には自然の脅威が常にあり、極限的な状況で、男と女がどう生きるかを描いている。そういう組立方は非常にうまい。男のこだわりは贅沢なもの。生活に関係のない無用なものに男は惹かれる。和彦が持つのは、音へのこだわり。無用なものに思い入れ、それを語るときに輝く、ここが一番いいところ。
・・・と語られつつ、話はちょっと違う方向に。
「女は生活とは関係のないものにこだわる男に惹かれていく。それなのに最近は無用のものを愛する男の気持ちが理解できない女が増えているのは困ったものだ。これが本日の結論」。
ちなみに、講師おススメの恋愛小説は、井上靖『あした来る人』、宮本輝『森のなかの海』とのことです。
(文責:ままりん)
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