青空、暑い一日です。
昭和20年の今日、対米戦闘が終了しました。
空襲警報のないひとときの平和の訪れです。
”ひととき”? この後食料調達ほか困窮との戦いが始まるということもありますが、玉音放送をもってすべての戦闘行動終了ではなかったということです。
まず、日本側。
最後の特攻隊出撃です。
出撃直前の宇垣中将。手にしているのは山元五十六遺贈の短剣。
宇垣中将率いる彗星艦爆11機が出撃します。
”5機でよい” という宇垣に対し、たとえ命令違反を問われても同行するとして全機出撃となったようです。
彗星は2人乗り、すると11機だと総勢22名のはずですが、出撃は23名。宇垣搭乗機の通信士が交代を拒否し無理に3名乗ったとか。
特攻は一貫して”志願”を言いながらも途中変質し、”強制”化したといいます。
否定はできないとも思いますが、確かに護国の鬼たらん将兵もいたのです。
宇垣隊は沖縄方面に飛び、”敵空母見ゆ われ突入す” との訣別電を残し散華したようですが、米軍側の戦闘記録は見当たらないようです。
敵空母とは紺青の海だったのかもしれません。
北の方ではもっと異常、非常の事態が15日を超えた18日に発生します。
ソ連軍の参戦、侵攻です。戦争が終わってから・・
ソ連側の”正義”
ヤルタ会談で米英側から一緒に日本と戦ってくれ、見返りに日露戦争の失地を回復するし、北海道を分割する。
・・そういう約束をもらっているんだ・・
この道理で満州、南樺太、千島になだれ込んできます。
泣きっ面に蜂攻撃とでもいうか、混乱に乗ずる方法で北海道はおろか福島辺りまで占領する意図があったようです。
その意図を挫いたのが「占守島の戦い」です。
先頭に立ったのが樋口将軍。
キスカ島撤退作戦のとき撤退陸兵は大発(言わばはしけ)乗船、離岸とともに小銃を海洋投棄せよと命令した将軍です。
そのため迅速な行動が可能となり、作戦成功に大きく寄与しました。
武器を、ましてや菊の御紋の付いたものを投棄するなどおよそ考えられないことでした。
兵を国を守った人でもっと日本人に知られてよい人であるべきと考えます。
史実に照らしてどこまで信じてよいのかわかりませんが、少なくとも否定すべきものはないかなっと思っています。
通化事件等戦争終了後の戦争は日本人に酷な事実を突きつけたのに、なぜか日本では知らされないんですね。不思議。