政策起業家は、記録を残すプロジェクトも始める。
今、私の押しの一つである「福祉従事者を支える政策」について、これを記録を残すプロジェクトを始めている。これまでは、福祉の対象者が政策の対象であるが、この政策は、福祉従事者の側に光を当てた政策である。
この「支える人を支える政策」は、私自身は、もやもやしていたテーマであるが、穂積さんに先を越されてしまった。ならば、それを広める役割を果たそうと、いろいろな市長さんに会うたびに、新城市のこの政策を紹介している。
今回は、これをきちんと形にして、誰もが参照できるよう本にしようというプロジェクトを始めた。
ただ、本にはしたいが、このテーマはあまりに先を行き過ぎているし、出版不況のなか、しかも福祉分野なので、商業出版にできる自信がない。だからPODでいこうと考えている。PODと考えると、急に気が楽になる。売れるを意識せずに、自由に書ける。
今のところ、2部構成で、第一部は、この政策の紹介、第2部は関係者によるインタビューである。第2部の登場人物は、当初は、この政策の言い出しっぺの穂積さん、この政策づくりをリードした前澤さんと長坂さんである。
この福祉従事者を支える政策のすごいところは、実務者が集まった円卓会議で立法事実を固めていった点である。普通、役所の検討委員会は、代表者が選ばれるが、こちらは、実際に現場で活動している人が委員となって、政策を考えていった。その分、より道もあったが、実践的な提案が数多く出されている。
不思議だったのは、なぜ、こうした現場の人ばかり集まった人選になったのか。どうやって人選したのかである。普通の役所の仕事なら、こうした発想にはならないし、そもそも、人選すらできないだろう。ずっと不思議だった。
そんな時、穂積さんから、この円卓会議をつくった川窪さんを仲間に入れてほしいという話があった。川窪さんとは、自治基本条例を始めたときからの知り合いである(ただ、自治基本条例のメインの担当は、同じ企画課の森さんだったので、サポート役だったのだろうか)。
川窪さんは、新城版のこども園をやったが、前澤さんは「勇気ある自治体職員」と言っている。そうか、なるほど、円卓会議は、川窪さんの仕事なのかと聞いて、合点がいった。
川窪さんは、その後、体を壊し、この仕事は途中になってしまったが、もし、最後まで担当していたら、きっと違うものになっていただろう。それがどんなものであったか、私の力量では、示すことはできないが、その景色も見てみたかったと思う。
ともかく、川窪さんが加わることで、さらに話が深まるので、今、書いているものを再構築してみることにした。何か、いいものができそうで、楽しくなってきた。
今、私の押しの一つである「福祉従事者を支える政策」について、これを記録を残すプロジェクトを始めている。これまでは、福祉の対象者が政策の対象であるが、この政策は、福祉従事者の側に光を当てた政策である。
この「支える人を支える政策」は、私自身は、もやもやしていたテーマであるが、穂積さんに先を越されてしまった。ならば、それを広める役割を果たそうと、いろいろな市長さんに会うたびに、新城市のこの政策を紹介している。
今回は、これをきちんと形にして、誰もが参照できるよう本にしようというプロジェクトを始めた。
ただ、本にはしたいが、このテーマはあまりに先を行き過ぎているし、出版不況のなか、しかも福祉分野なので、商業出版にできる自信がない。だからPODでいこうと考えている。PODと考えると、急に気が楽になる。売れるを意識せずに、自由に書ける。
今のところ、2部構成で、第一部は、この政策の紹介、第2部は関係者によるインタビューである。第2部の登場人物は、当初は、この政策の言い出しっぺの穂積さん、この政策づくりをリードした前澤さんと長坂さんである。
この福祉従事者を支える政策のすごいところは、実務者が集まった円卓会議で立法事実を固めていった点である。普通、役所の検討委員会は、代表者が選ばれるが、こちらは、実際に現場で活動している人が委員となって、政策を考えていった。その分、より道もあったが、実践的な提案が数多く出されている。
不思議だったのは、なぜ、こうした現場の人ばかり集まった人選になったのか。どうやって人選したのかである。普通の役所の仕事なら、こうした発想にはならないし、そもそも、人選すらできないだろう。ずっと不思議だった。
そんな時、穂積さんから、この円卓会議をつくった川窪さんを仲間に入れてほしいという話があった。川窪さんとは、自治基本条例を始めたときからの知り合いである(ただ、自治基本条例のメインの担当は、同じ企画課の森さんだったので、サポート役だったのだろうか)。
川窪さんは、新城版のこども園をやったが、前澤さんは「勇気ある自治体職員」と言っている。そうか、なるほど、円卓会議は、川窪さんの仕事なのかと聞いて、合点がいった。
川窪さんは、その後、体を壊し、この仕事は途中になってしまったが、もし、最後まで担当していたら、きっと違うものになっていただろう。それがどんなものであったか、私の力量では、示すことはできないが、その景色も見てみたかったと思う。
ともかく、川窪さんが加わることで、さらに話が深まるので、今、書いているものを再構築してみることにした。何か、いいものができそうで、楽しくなってきた。