松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆景観審議会(横須賀市)

2018-03-02 | 1.研究活動

 横須賀市の景観審議会があった。いつも日程が難かしく、欠席が多いが、今回は出席ができた。

 この審議会は、もともとは景観審議会と広告物審議会とが別にあったが、審議会の整理の関係で一本になった。私は広告物の委員会にいたが、そのままこの審議会に移ってきた。吸収されたのだろう。景観は、デザインや色彩など、専門性が高いので、私の出番はあまりないが、まちづくりという観点から、発言している。

 この日、面白かったのは、スタンスの違い。べースターズの二軍が、追浜に本拠を構えることになって、旧追浜球場のあたりをリニューアルして、ベースターズタウン的なものにして、賑わいを創出しようちうのが、市側の意向である。しかし、ここは第一種住居地域なので、基本、広告看板は出せないが、その例外を議論した。私のスタンスは、賑わいを創出するために、誘導的に例外を広げていけばという考えであるが、広告・デザインの先生は、現状にふさわしい広告を考えるというスタンスで、簡単に言えば、寂しいところは、それにふさわしいものとするというという発想がおもしろかった。

 同じ委員に、横浜市の都市計画の企画調査にいたときに、隣の課の都市デザイン室にいた国吉直行さんも、同じ委員になっている(私は部の庶務担当課長補佐だった)。国吉さんは都市デザインでは、有名な人で、先年、東大に移り、若くして亡くなった北沢猛さんとの都市デザインの二枚看板は、とても有名だった。北沢さんとの思い出は別のところに書いたような気がする。北沢さんは、田村明さんたちと、自治体学会を立ち上げ、自治体職員が政策を勉強する礎をつくった。最初に、当時の都市デザイン室にお二人を訪ねたのは、いつだったろうか。巣窟のような都市デザイン室は、印象的だった(そこの隣に異動するとは思わなかった)。

 国吉さんは、横浜市定年前後に、横浜市のアドバイザーみたいなものをやり、その後、横浜市立大学の特別契約教授という名で、大学の先生になった。その国吉さんもこの3月で定年とのことである。73歳になったというが、昔と変わらない。

 審議会の帰りに、横須賀市から本郷台の研修所に出向し、2年間、一緒に仕事をしたNさんのところに寄ってみた。この前の本郷台の最後の発表会にも出席してくれたので、お礼を兼ねて寄ってみたところである。元気そうで何よりだった。

 これから、人事に季節で、随分と異動があるのだろう。私も、市役所のいたときは、この時期楽しみだった。26年間で7回異動したが、概して、期待を裏切られることになるが、今では、それが話の種である。

 ついでに言うと、26年の内訳は、次のとおりである。まず、区役所の市民課で職員として、住民票を出す仕事を6年やった。その後、ひょんなことで係長になって、今度は総務の係長になった。所管がないがお金ばかりある特命係長である。ここで、どこの所管にも属さない仕事を6年やった(研修では、ここの話が面白い。政策系の研修ではここから話を始める)。

 出世するかと思ったら左遷されて騒音係が2年(研修ではここが一番面白いところ)、その後、課長補佐になって、環境・リサイクルの企画課(ここで協働を体験する。協働は今日まで25年やってきた計算になる)、そして都市計画の企画調査課と移った。このとき、国吉さんと一緒だった。係長・課長補佐13年である。要するに出世できないということである。

 ついでに言うと、その後、経済セクションの課長になり(ここで初めて本を出す。福島大学から誘われたのもこのとき)、最後は水道の企画の課長になった(最後の仕事は、道志の水のペットボトルをつくる仕事。これは他の自治体の先駆け的な仕事だったが、やってはいけない仕事だった)。50歳を過ぎて、早期「定年」退職した。課長は7年やったが、そのまま役所にいても、降格はあっても、部長にはなれなかったろう。

 係長・課長補佐の13年で、学んだ政策づくりの極意は、私の財産である。ここでは机上の人とには負けないという自負がある(だから、「そんなことを言っても、あんた、できるのか」という発想になる。これが研究者にとっては、足かせになるのだろう。しかし、できもしないことを言っても、誰もハッピーになれないではないか)。体得したのは、政策づくりは、総合格闘技ということで、頭だけでなく、口も手足も出す。

 さらに、ついでに言うと、この係長、課長補佐のときに、市長から金一封を2回もらった。みんなで中華街に行き、一気に使った。褒められたら、出世できそうであるが、役所は官僚組織なので、プラスではなく、マイナスがあってはいけない。失敗例も面白いが(研修では話をする)、ここでは関係者が見ているかもしれないから、やめておこう。

 当初の景観審議会の記事から随分とずれてしまい、最後は、自慢話みたいになってしまったが、たまにはいいだろう。

 

 

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