松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆私的自治と自治体(本郷台)

2012-08-31 | 1.研究活動
 神奈川県下の自治体職員と空き家対策を考えている。
 いくつかの論点がある難しい課題であるが、そのネックとなっているのかが、行政と私的自治の関係である。
 政府と市民の関係については、従前の考え方によれば、公私二分論である。公と私を峻別して、私的世界には公は立ち入らない。そのために立憲主義が原理とされ、法は市民の権利を侵害するおそれのある政府を縛るものとなる。この立場から言えば、空き家問題という私的な世界は、基本的には行政は、手を出さないことになる。それは市民間での調整に委ねることになる。なぜならば、市民は、「合理的に考え、行動できる存在」だから、その調整に委ねれば、合理的に解決できるからである。
 ところが、現実の政界では、これではうまくいかない。市民間で、話し合えば合うほど、こんがらかり、話し合いすらできない場合があるからである。そこで、市民の代弁者である行政が調整役を頼まれることになる。地方自治というのは、そもそも、地域の課題を解決して、みんなが幸せに暮らせる社会をつくることである。だから行政にお鉢が回ぅてくる。
 ここから、行政の苦闘が始まる。もともと、市民間の争いに介入して、白黒をつける権限がないのに、仲裁役を任されるのである。これといった決定打はないので、誘導、支援、調整といった手法を組み合わせて、課題を追い詰めるということになる。
 空き家対策で、氏名公表や過料という強制的な手法も用意されることがあるが、これはいわば脅しのようなもので大半は空手形である。メインは、前段の指導、勧告、命令という働きかけである。
 この問題の根本は、国と地方とは違うということなのだろう。少なくとも、自治の分野では、政府を縛っているだけでは市民は幸せになれない。それは、同じ法であっても、法律と条例は性質が違うということになる。法律の場合は強要性が基本になるが、地方自治の法である条例は、強要性よりも、市民を後押しすることが主たる役割となるからである(励ます条例)。
 そのように考えると、これまで、法律の原理や論理をそのまま条例に持ち込んで、条例論や法制執務論を組み立ててきたが、それはちょっと違うということなのだろう。地方自治の基本から、独自の条例理論を組み立て直す必要があるが、その全体像を示す力は、私には到底ないのが残念であるが、なにか動き始めていることだけは、感じることができる。
 この日の検討会は、私は、午前中だけの参加となった。回を重ねてきたので、進行がスムーズになり、その面での私の出番はすっかりなくなった。内容的にも、ほぼ出そろったので、各人が、その内容を詰める作業に移ってきたからである。ここでも私の役割は、後押しすることがメインになり、励ますのが役割となった。
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