松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆子ども権利条例と子ども・若者支援活躍条例の違い(多摩市)

2021-05-18 | 子ども・若者総合支援条例
 子ども権利条例は、子ども権利条約を起源とする条例である。主たる性質は、人権条例である。

 まだ、調査の途中であるが、子どもの権利条例を定めた自治体で、この条例の効果が出ているか、現状は厳しいように思う。川崎市は、数値目標を示しているが、数字は、毎年悪化している。詳細な手続き、壮大な仕組みを作っているが、ポイントを外しているのではないかというのが、私の仮説である。

 これは子どもの権利の性質に由来する。子どもの権利といっても、憲法上の新しい権利ではないので、憲法訴訟で争える権利ではない。また、この権利の侵害者は、公権力というよりも、子ども同士のいじめ、会社内部でのいじめなど、私人によるものなので、従来の国家権力を規制すれば、権利は守られるというものでもない。みなで作り上げる創造的な社会権である。

 施策メニューが、まずは学習になるが、これでは、創り上げる権利としては、弱いということだろう。

 もっと厳しく言うと、市役所や、おっさん、おばさんたちは、一生懸命、子どものために権利条例を作ったが、肝心の子どもたちは、しらけているのだと思う。より厳しく言えば、独りよがりな大人、自己満足の大人に、ある種の敵意すら、感じているように思う(今の子どもは「大人」なので、直接には言わないが)。

 多摩市で検討中の子ども・若者支援活躍条例は、子どもの権利条約や縦割りに乱立している国の子ども・若者関連の法律や政策を地域でならし、すき間を埋め、さらに積み上げる条例である。

 国の法体系では、きちんとした枠組みが決められる。例えば、この制度の対象は18歳まで、あるいは、この法律の対象は、困難を抱える子ども・若者といった整理である。だから、18歳までは、きめ細かく対応するが、18歳を過ぎると、放置ということになる。法的には、それでいいかもしれないが、子ども・若者の立場から考えれば、今そこにある危機への対処が大事で、それが19歳でも、困っていることには変わりがない。

 法体系では、困難を抱える若者は支援となるが、そもそも困難を抱える、抱えないと二分化できるほど人は単純ではない。世間的には、順風満帆のようにみえる若者も、本人は、悩みを抱えて苦しんでいるなどは、よくあるだろう。他方、困難を抱えていても、活躍はいくらでもできる。藤里町の「引きこもりは地域の資源」は、その実践である。

 困難を抱える=支援、抱えていない=活躍といった二分法は、ずれているのである。

 ちなみに最近では、良いか悪い、AかBといった、単純な二分法が跋扈している。こうした二分思考は、どんどん頭を悪くする。面倒かもしれないが、多面的に考えるくせをつけることが、必要である。

 子ども・若者支援活躍条例で、こうしたメッセージが発信できるように、もうひと頑張りしよう。独りよがりになって、若者から、「あ、そう」と言われないように、心しよう。
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