土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

義経だけには見えていた世界 

2013-09-11 10:21:08 | 歴史のミステリー

 土佐のくじらです。

鎌倉幕府開闢(かいびゃく)前の、源頼朝と義経兄弟の対立は、日本史で最も有名な物語の一つですので、多くの方がご存知でいらっしゃると思います。

ただ私は、大変な変わり者ですので(笑)、実は通常の歴史には余り興味がなくて、その背景に関心を持つタイプの人間でございます。

何度か記事に書いておりますが、歴史というのは史実、つまり文章を研究するものです。
文章を調べない歴史というのは、実は存在いたしません。

歴史は文章を研究する学問ですので、実は大変な落とし穴がございます。
それは歴史では、【当時の当たり前】【常識的な判断】というのがわからないのです。
なぜなら、当たり前のこととか、決まりきった常識などは、文章に残らないからです。

当時の当たり前ではない、普通の価値観ではない、常識では考えられないと思えるからこそ、実は文章として記録されている・・・。
それが歴史というものなのですね。

ですから、平清盛がなぜたった20年で全国を傘下に置きながら、その後急速に平家は衰退したかとか、頼朝がなぜ幕府の必要性(日本の武装化)を感じたかや、義経がなぜ壇ノ浦の戦いの後、鎌倉に戻らなかったかとか、頼朝はなぜ義経の行動が裏切りだと思ったかとか、義経はなぜ九州で旧平家勢力をまとめようとしたかなどは、実は、当時の当たり前を見つけ出さない限りはわからないのです。

つまり、現代には残されていない、失われた歴史というのが、歴史には必ず付きまとうのです。
現代的な、権謀術数や権力闘争観だけで見ても結構ですが、ただそれだと、どうしてもつじつまが合わなくなるのですね。

義経には、兄頼朝に対して謀反の心はなかったはずです。
あれば鎌倉を、平家の残党を使って攻め立てているはずです。
もしも義経が軍団を率いて鎌倉入りすれば、それだけで鎌倉は震え上がったはずです。

屋島の戦いや壇ノ浦の戦いの、義経軍のほとんどは、実は平家一門の寝返り組みです。
行軍中に自軍を形成することなど、当時はもう高名な武将となっている義経にとっては、その気になれば簡単なことなはずです。
その時点で義経を許せば良かったのですが、官位を受け公務員的立場に立ってしまった義経を鎌倉に入れれば、頼朝の政治構想は、全て水の泡になってしまうのですね。

ただ、ほぼ武装解除状態で、鎌倉のすぐそばの腰越(こしごえ)まで来るのは、義経には謀反心はなかったということです。
義経は兄頼朝が、平家に代わって、京都で政治をするものだと思っていたはずなのですね。

後の幕末に薩長両藩は、当初は徳川家に成り代わって、薩長幕府をつくる腹づもりだったはずです。
通常ならば、そういう発想の方が当たり前なのですね。

それが明治維新では、薩長幕府ではなく、四民平等の議会制国家となりました。
この方が、それまでの日本史的流れで言えば、むしろおかしいのです。
この明治への流れは、当時の日本の中では、横井小楠(よきしょうなん)や坂本龍馬など、ほんの数人が考えていたことのはずです。

そう、平家討伐後の義経の動きは、兄頼朝上洛への準備と見れば、全てつじつまの合う動きなのです。
京都の朝廷の権限を使って号令をかければ、一気に、日本の統一と武装化が可能だからです。

また、大陸との付き合いの深い西国の平家の残党や、東北の奥州藤原氏を傘下にすれば、沿海州から朝鮮半島、そして南宋を巻き込んで包囲網を創り、驚異的に力をつけていたモンゴルの南進も防げる可能性もありました。
義経案の方が、むしろ現実的なのです。

義経には、それが見えていたと思います。
それとは、大陸情勢が・・・です。

当時、情報で言えば、それら大陸の情勢は、当時の日本には入っていたはずです。
商業を通じての情報は、【生きた情報】だからです。

戦乱になれば商売はできません。
お付き合いのあった国が滅びたり衰退すると、商売は大打撃を受けます。
しかし、正史ではないので、記録としては残りません。

つまりこの部分が、失われた歴史だと思います。
当時の日本は商業レベルでは、東アジアとかなりのお付き合いがあった・・・という当たり前が・・・です。

義経の悲劇は、その突出した慧眼を理解できる人がいなかった・・・ということではないでしょうか?
兄頼朝も、政治では天才でしたが、戦を見る眼は普通レベルだったからです。
頼朝には、義経の慧眼から生じた動きは、どうしても謀反心に思えてならなかった・・・ということだと思います。

また戦の天才義経も、兄頼朝の超時代的な政治の天才性は、さすがに理解できなかったということです。
まさか、朝廷なき武士単独の統治と、それによる全国制覇など、政治の天才頼朝以外には、発想できるはずもないからです。

前回記事と同じ結論になりましたが、そういう私見を私は抱いております。

                                          (続く)