土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

日本国民は、増税阻止を諦めてはいけません!

2013-09-13 19:42:17 | 増税亡国論

 

土佐のくじらです。

安倍首相が、「来年4月からの、消費税増税への意思を固めた。」と報道されております。
しかしこれは、財務省主導による、日本国民を諦めさせるための、パフォーマンスの可能性があります。

財務官僚は、景気上昇を匂わせるデーターを首相に見せ、その上で、
「首相。消費増税決定で、どれだけデーターが悪くなるかを見てみましょう。」とか言って、言いくるめられている可能性もあるからです。

確かずっと、「増税するかしないかを判断するのは、10月になってから。」と言っていたではありませんか?
まだその時期になっていない、このタイミングでの「首相の意思固まる」報道は、
国民には増税決定路線を確定化させると共に、首相をだましている可能性が高いと、私は踏んでおります。

今、国民として必要なことは、決して増税阻止を諦めないことです。

将来の子孫に、増税国家を残したいですか?
それとも、今よりも幸福な国家を残したいですか?

日本は増税しなければやっていけないような、脆弱な経済状態にはありません。
海外にお金を借りてはいないからです。
海外には、世界一お金を貸しています。

日本国民に、自国通貨「円」でお金を借りているのですから、返せなくなったら、最悪、円を刷れば良いだけです。
日本は20年以上、市場通過を制限し続けていて、アメリカや中国はドルや元を刷り続けていますから、少々多めに刷ってもバランス的には一向に困りません。

日本では、石油ルート(シーレーン)が封鎖されない限り、絶対にハイパーインフレは起きません!
安心して、円を刷ればよろしいのです。

国債によって、先に享受する豊かさを先取りしたような、悪質なウソには騙されてはいけません。

この増税は、アベノミクス+東京オリンピック開催によって、好景気が確定しているからこそ、それを極度に恐れている官僚(公務員)の、最後のあがきなのです。
ほぼ固定給である官僚は、好景気だと生活水準が下がるし、税金がたくさんないと、天下り先がなくなるからです。

江戸の三大改革は、全て庶民に贅沢を禁じました。
今の世の中、そのような法律を出すわけには参りませんから、増税で国民が贅沢できないように仕向けているのです。

これは、役人の生活水準維持のため・・・だけ!!!の増税論議です。
江戸の三大改革と、全く同じ構造です。


私はそのような、国家の私物化は許しません。

こんなことは、日本国民ならば、絶対に許してはいけないことです!

彼らは、増税しても税収が増えないことは知っています。
知っていて、増税論をかざしているのです。

否、知っていてやっているからこそ、いくらでも反論するのです。
ディベート対策は万全で、これは何が何でも増税する意思です。
ある意味では、それだけ追い込まれているのです。

「ヨーロッパは25%だから、日本はまだ安い。」と、みなさん思っていますよね。
これはね、そう思わされているのですよ!

その理論で今後財務省は、15%に、そして25%を目指してくるはずです。

でも違うのです。
ヨーロッパの多くは、食料品などの生活必需品には、消費税自体がかからなかったり、減額されたりしているのです。

ですから、ヨーロッパの25%消費税は、事実上の「贅沢税」です。
日本の場合は、全商品にかかっていますよね。

ですから日本の5%は、ヨーロッパの25%と、もう既に同じなのです。

つまり、もう日本は5%で、めい一杯の消費税率です。
消費税はこれ以上、税率を上げてはいけません。

このままでは日本は、税金払うために働く国になります。
日本は、私有財産を否定する国家になろうとしています。

私は消費増税法案に、とことん反対します。



もしも、源義経が生きていたら。

2013-09-13 03:20:10 | 歴史のミステリー

土佐のくじらです。

「歴史にIF(もしも)はない。」と言われます。
しかし、源義経や坂本龍馬、西郷隆盛などの超偉人に対しては、どうしても「ああ、生き残っていてくれたらなぁ。」と思わせるきらめきがあります。

今回はその日本人の願望に、義経と当時の隠された時代背景を基に、その歴史のタブーに挑戦してみたいと思います。

まず私見を述べるならば、義経を失ったことで、その後の日本は相当スケールダウンしたはずです。
その最も罪の重い歴史上の役者は、先にも書いた奥州藤原氏、4代国主藤原泰衡です。

この御仁が今、ご当地ではどのような評価をなさっているかは存じませんが、「生まれてきて欲しくなかった。」とすら思います。
まぁ、3代国主の秀衝(ひでひら)は、奥州藤原氏を絶頂に導く名君でしたし、その遺訓「義経を大将軍に、頼朝と対峙せよ。」は深い政治的洞察がありましたが、如何せん後継者を間違えたと思います。

当時の奥州藤原氏は、絶対に大陸との交易をしていたはずです。
当時東北地方では、余りコメが算出できませんでしたので、同時期の西国のような、農産物による繁栄であれだけの国力を築くのは不可能です。

私事で恐縮ですが、新婚旅行先が岩手県平泉でしたので、その仏閣等の、奥州藤原氏の歴史的遺産のスケールの大きさを間近で見ました。
とても素晴らしく、近畿の神社仏閣等の歴史的遺産よりも、何もかもが大きく、贅を尽くした造りとなっています。

西国の経済基盤であるコメが余り取れないことから、太古の縄文式海洋文明が、まだ当時は色濃く残っていたと考えられます。
また、奥州では金が産出されていましたが、当時西国では、金が流通していた節がありませんから、奥州独自の経済圏があったはずであり、それは大陸の沿海州・朝鮮半島・北宋(後の金帝国)などではなかったかと推測いたします。

ひっとしたら、沿海州あたりに、奥州藤原氏の領地があったかも知れません。
文献が全く存在いたしませんので、想像する以外、方法はございませんが・・・。

泰衡が父秀衝の遺言通り、義経を大将軍に頼朝と対峙していれば、頼朝は絶対に奥州を攻めることはできませんから、奥州側が動かない限り、にらみ合いが続きます。
頼朝義経兄弟の仲は、実はただの見識の違いに過ぎないし、時代を超える見識を持つ者が仲介すれば、和解する可能性が高いものです。
頼朝の妻、北条政子などは、義経には一目置いていた様子もあり、歴史的仲介役になったやも知れません。


また頼朝と義経は、10歳以上年齢が違いますので、にらみ合っている間に、頼朝の方が先に亡くなる可能性もあります。

さすれば、違った形での武士社会の到来の可能性もありますよね。
結局、後継者に恵まれなかった頼朝でしたし、実は頼朝には、幕府内の権力維持のための、根本的に欠落している部分を克服できてはいなかったので、何が起こっても不思議ではない状況もありました。

まぁ、奥州は大陸との経済的パイプを確保したまま、存続できた可能性が高いのです。

そしてその後、モンゴル帝国の万里の長城越えによる、金帝国の滅亡劇が大陸では起こりますが、奥州藤原氏が存続できていれば、沿海州を守る名目で、大陸に武士団を送ることができます。
さすれば、朝鮮半島以前で、モンゴルの侵入を防ぎえたはずなのですね。

金の滅亡も、ひょっとしたら防げたかも知れません。
ということは、元寇が起こっていない可能性が出てくるのです。

義経は九州の平家の残党を擁護しておりましたので、奥州と鎌倉勢力が対峙していれば、鎌倉幕府残党狩りもできず、南宋とつながりの深い九州の平家と、南宋による対モンゴル戦略も可能です。

モンゴルを日本を機軸に、東と南から包囲できたのです。

まぁ、歴史にIFはありません。
藤原泰衡の近視眼的なおろかな判断によって、全ては歴史のかなたに夢と消えました。
そしてその後の日本は、元寇に対してキツイ対応を迫られる結果となったのです。

歴史を真に教訓とするならば、二度と藤原泰衡のような、愚かな判断をしてはなりません。
本当に大切な国家の宝を、一時期の和平のためとか、そういう刹那な基準で、売り渡すようなことはしてはならないのです。

                                                   (続く)