土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

税金の高い国は滅ぶのです。

2013-09-12 17:14:24 | 増税亡国論

土佐のくじらです。

新聞報道によると、安倍首相が来年4月に予定していた消費増税を、実施する意向を固めたようですね。

しかしそれは本当かどうかは、まだわかりません。

以前記事にも書きましたが、財務官僚は、アベノミクス+東京オリンピック開催による、確実な好景気を必ず潰しにかかります。

そのための、外堀を埋めている段階かも知れません。

つまり、「首相、もう新聞報道しましたので、もう増税するしかありません。」ということかも知れないです。

まぁ、これで増税しなければ、内閣も財務官僚も、面目つぶれですから、誰かが腹を切らなければならないですから、それだけ財務官僚も必死ということです。

増税分3%の内、2%は国民に還元する・・・ということだそうですが、それならば、最初から上げなければよいのです。

税金を徴収するにも、そして還付するにも、コストがかかります。

つまりその分、税金が無駄になります。

それならば、最初から集めなければ良いのです。

税負担はできるだけ軽くし、国民を豊かにして、国民に直接お金を使ってもらえば、それが最も効率的なのです。

役人は、国民がそんなこともわからない連中だと、馬鹿にしているのです。

消費税は、1954年にフランスで始まりました。

消費税・・・と訳されており、消費者が納税するイメージがありますが、消費税納入義務があるのは、業者なのですね。

つまり消費税とは、売上税なのです。

売上税ですから、利益が出る前に納税しなければなりません。

つまり今ですと、1億円の売り上げがあれば、利益に関わらず500万円の納税義務があるのが、消費税の本当の姿です。

消費税発足当時のフランスでは、脱税が横行していたので、消費税によって、売り上げの段階で納税させるようにしたのですね。

ヨーロッパ人は歴史的に、納税をケチる文化があります。
イギリスの議会設立やフランス革命、そしてアメリカ独立のきっかけも税金でした。

近代史というのは、植民地の歴史であると同時に、税金史観でもあります。

一昨年ヨーロッパでは、ギリシャに引き続き、イタリアが事実上財政破綻しました。

この原因は、イタリア政府が、税金の取立てを厳しくしたからなのです。

有名な、「レシートを受け取らなければ、罰金される法律」以降、イタリアでは、強烈な不景気が続いてしまったのです。

レシート法以前のイタリア人は、消費税(売上税)逃れのために、売り上げをごまかして、利益を確保していたのですが(笑)、この法律によって、イタリア国民はそれができなくなりました。

実質的な増税で、国民の所得、資産が減り、個人消費や設備投資も減り続けました。

利益があがる前に高額納税すれば、誰も利益が出せません。こんなのは、当たり前のことです。

結果、イタリア政府は破綻です。

不景気で経済成長が全くできず、必要な税収が得られなかったのです。

フェラーリやランボルギーニを有する国が、財政破綻。

これには、深く税金が絡んでいます。

日本は、イタリアの後追いをしてはいけません。

税金が高い国は滅びます。

これは、歴史の鉄則です。

豊かな国民が暮らす国こそ、豊かな国なのです。

国民を貧しくすれば、すぐに貧しい国なります。

消費増税は、政治的見解が甘すぎます。

今の政治家は、勉強不足です。


最悪の国主 藤原泰衡

2013-09-12 08:43:42 | 歴史の読み方

土佐のくじらです。

兄源頼朝は政治面において、弟義経は軍事面において、双方とも時代と空間を超えた素質の持ち主でした。
ある意味で、どちらかが凡庸であれば、あるいはこのスーパースター兄弟の悲劇はなかったと思います。

また、同時期に平清盛のような、これまた時代と空間を越えた見識を持つ仲介人がいれば、両者の突出した才能をリンクさせ、もっとスケールの大きな国家へと、中世日本を導いたのやも知れません。

ともあれ平安末期に現れた、このキラ星のような偉人たちは、当時の時代精神として生き、歴史の歯車を回すだけが役割だったのかもしれません。

当時においては、上記に書いた平清盛役、すなわち歴史的仲介人の役割を果たすポジションにいたのは、東北の奥州藤原氏だったと私は思うのです。

奥州藤原氏は、平安末期に東北地方一体を支配していた巨大勢力です。
金の産出もあり経済的に優れ、その財力は西の朝廷勢力を凌駕していました。

朝廷には献上品を送るなどの融和策を講じ、政治力と経済力で東北地方を、事実上独立させていたのが奥州藤原氏です。
マルコポーロの描いた黄金の国ジパング伝説の元は、奥州藤原氏・・・という説もあります。

当時の東北は、コメの産出が今ほど出来ません。
ですからヤマトの国づくりの基本である、「コメと酒外交」が上手く機能しなかった可能性も高く、縄文文明がまだ残っていた可能性も高いと考えます。

そして恐らく、縄文以来の交易による、富の蓄積があったでしょう。
体格の大きな馬の産地でもあり、それは大陸からもたらされたものではなかったかと想像します。

奥州藤原氏3代当主秀衝(ひでひら)は、幼少時の義経を領内で育てました。
そして成人した義経を、兄頼朝の戦いに参戦させ、義経の数少ない後見人でした。

義経は、奥州藤原流の馬による攻撃で、破竹の快進撃を成したとも言えます。
馬は人よりも、移動距離もスピードも桁違いです。

義経は兄頼朝に追われた晩年、3代当主秀衝を頼り、奥州に身を寄せます。
秀衝は義経を構い、「義経を、奥州藤原氏の大将軍として、頼朝と対峙せよ。」と遺言し、病に倒れこの世を去ります。

しかし家督を継いだ泰衡は、父の意思を守りませんでした。
泰衡は頼朝に脅され、自集団にいる義経を軍事的に包囲し死に追いやります。

後の織田信長が部下の裏切りにより滅びたように、いかに軍事的天才と言えども、自軍に裏切られればひとたまりもありません。

そして奥州藤原氏は、頼朝軍の攻勢を受けて滅びます。
当たり前です。
義経なき、そして独立の気概なき藤原氏を攻めることなど、こんな容易なことはないからです。

義経を大将軍に・・・。

父秀衝の遺言どおりにしていれば、奥州藤原氏は安泰だったのです。
なぜならば、義経がいれば、頼朝は奥州攻めができないからです。

頼朝は、義経の強さを知り尽くしているからこそ、母体主である藤原氏を恫喝しているからです。

こんなこともわからない国主に、率いられる国民は哀れです。
近視眼的で大局観がなく、つかの間の平和や自信の美意識などの小さな価値観のためだけに、本当に大切なものを売り飛ばすような国主は最悪です。

結局義経を葬った後、頼朝は奥州攻めをしました。
泰衡の判断は、結局、敵を引き入れたことになるのです。

頼朝に攻め入られた泰衡は、拠点である平泉に火を放ち逃げました。

敵にくれてやるのが惜しかったのでしょうか?
お陰で、この国から、多くの富が消失しました。
砂金のありかも、貿易に関する多くの人材もソフトも・・・。

泰衡は政治家としだけでなく、人間として大切な何かが欠落している人だと思えます。
判断の全てを、間違うタイプです。
また間違いの質が悪く、ずるずると間違い続けるタイプなので、大きな判断業務をさせてはいけない人です。

現代で言うならば、鳩山・菅元首相や、河野談話を発表した河野洋平氏に似たタイプだと思います。
自分は良いことをしているつもりで、国益を損じ、他国を自国に引き込むタイプの政治家です。

ともあれ、頼朝は東北を自営に組み込みましたが、豊かな奥州ではなく、ただの広大な地域でした。
泰衡が義経をかばい続け、独立の気概を見せてさえいれば、この時代以降の日本の歴史は、大きく飛躍できていたはずです。

                                                   (続く)