土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

社会福祉のための消費増税なんて、ウソだ!

2013-09-14 19:41:56 | 増税亡国論

土佐のくじらです。

やはり、「安倍首相は、来年4月の消費増税を実施する意向を固めた。」という一連の記事は、アベノミクス+東京オリンピック開催で確実となった、日本の好景気を極度に恐れる財務官僚の、仕掛けの可能性が高まって参りました。
安倍内閣で首相の側近中の側近である管官房長官は、「そのような発言はしていない。」と、一連の報道を否定しました。
http://gohoo.org/alerts/130913/

つまり、それだけ財務官僚は必死なのです。

好景気になれば、ほぼ固定給である官僚の生活水準は相対的に下がります。
また税金の存在がなければ、権益が発生せず、退職後の安定した生活を支える天下り先確保が難しくなる官僚にとっては、日本の不景気を確実にする増税は、自衛手段の一種かも知れません。

しかし、そのようなコスッカラシイ、一見正当性のあるような手段を用いて、日本国民が本来享受するはずの、幸福な人生を奪うようなことは、絶対に絶対に許してはなりません。

そして消費税は確か、年金や医療福祉のための増税でしたよね。
しかし、消費税UPで大打撃を受ける業界の筆頭をご存じですか?

それは実は、医療界なのです。

病院が治療に使っている、ガーゼやお薬などの医療資材には、消費税がかかっているからです。

でも病院は決まった金額しか、患者さんに請求できない仕組みです。
ガチガチの、医療保険制度があるからです。

つまり、消費税がUPしたからといって、その資材の値上がり文を、治療額上として乗せできない業界なのですよ。
ですから医療界は、税のコストアップを、そのままかぶるしかないのです。

当然、どこかにしわ寄せが来ます。
倒産や廃業したりする病院が、このままでは激増します。
患者さんの食事や掃除や洗濯、医療資材を収めている業者にも影響が出ます。

今このような分野を、民間委託している医療施設も多いですが、今民間施設は大抵、5%の消費税分を自己負担しています。
これ以上の消費税負担を、彼らは耐えることはできません。

そして何より、この先日本が高齢化社会になって行くならば、病院が減ったり、治療の質が落ちたり、新技術への投資ができなくなったり、そういうことは、由々しきことだと思いませんか?
増税すれば、あなたが病気になったときに受ける治療の質は落ちるのです。

そして結局は、患者さんの治療の選択の自由は、著しく制限されることになってしまうのです。

医療福祉のための増税なのに、その医療界に大打撃を与えるなんて、本末転倒もはなはだしいです。

どうせ、「医療業界は、低減税率を・・・。」と言うはずです。
そしてそれでね、結局は、天下り先ができるのですよ。
もう、いい加減にしなさい!

つまり、
消費増税は、高齢化社会になる日本の、社会福祉を守るため・・・
この名目は、はなっから大嘘だということです。

増税すれば、社会保障の最前線の現場が、大打撃を受けるからです。

日本国民の皆様。
消費増税は、高齢化社会に向けての、社会保障を守るためではありません。
それは、ウソです。

好景気になれば、相対的に生活水準が相対的に下がる、官僚(公務員)の生活を守るためのものです。

日本の課題は、増税では解決しないのです。

増税は、役人の権限を強めるだけです。
さすれば、相対的に国民は弱くなります。

ですから、「将来の年金がなくなる。」「だから税金を上げなさい。」という脅しに、ひるんではいけません。
これは、官による恐喝です。
恐喝であり、詐欺です。

日本の課題はむしろ、減税・規制緩和・新産業創出で、克服できるものばかりなのです。

日本国民は優秀です。
役人は引っ込んでおりなさい。


なぜ鎌倉源氏は続かなかったのか 

2013-09-14 18:24:56 | 歴史のミステリー

土佐のくじらです。

さて、源頼朝は、朝廷の軍事部門の長である、征夷大将軍に就任しました。
この征夷大将軍には、朝廷の政治に口を挟む権限はありません。

今の私たちが抱いているイメージである、征夷大将軍=実質的な日本国王という概念は、頼朝以前にはなかったものです。
征夷大将軍は、あくまで軍事部門の長ですから、時の天皇や公家たちは、「鎌倉殿(源頼朝)は、欲がないのう。おーほほほほほほ。(^O^)」と、思っていたでしょうね。

頼朝以前の平清盛は太政大臣という役職に付いて、直接朝廷政治を動かしました。
太政大臣は公家の最高の位です。
当時は貴族以外は政治参画できませんでしたから、平家は貴族化し、政治参入したのですね。

今で言うならば、政治は選挙で選ばれた議員しか行えませんから、国会議員になったのが平清盛で、議員にはならず他の方法で実質的な政治を成したのが源頼朝と言えましょうね。

頼朝の姿勢は、武士としての部をわきまえたもの・・・として、当時の公家たちにはむしろ、謙虚に写ったでしょう。
基本政策も保守的な、土地本位制の維持でしたので、古来の貴族の受けも良かったはずです。

頼朝の考えは平清盛のような、先進的な銭本位制ではありませんでした。
幕府・・・というのも、あくまで建前上は、武士を統括するための拠点であったわけです。

京から遠い鎌倉に、頼朝は幕府を構えましたが、これなども公家側からすれば、朝廷政治に口を挟まない姿勢として、好意的に認識されていたはずです。

ところがどっこい(笑)、当時は土地本位制の時代ですから、領地主を任命する人事権と、税を取り立てる徴税権を、頼朝が事実上握ったことで、実質的な権力は、頼朝の幕府が握ることになったのですね。

頼朝は、武士が貴族の臣下の立場を執りながら、実質的な実権は、ごっそりいただく・・・(笑)。
そういう手法です。

これがその後の武士政権の、一つの模範的な事例となるのですね。このように全国的な影響力を持った頼朝でしたが、幕府内では困った問題を抱えていました。それは・・・。

頼朝には、自分の領地が、全くなかったのです。
頼朝は子供の頃から、たった一人での人質生活でしたし、成人してからは戦続きでした。

当時の領地の概念は、自分で開墾するか、先祖代々受け継いだものでしたので、領地を造る機会も暇もなかった頼朝には、領地は全くありませんでした。
領地がないので、実は自分の直属の家来もほとんどいなかったのですね。

頼朝には、自分の領地がありませんので、御家人に領地を与えることはできませんでした。
「領地を○○の物だと認める。」のが、頼朝流なのです。(笑)

しかしこれで、御家人の間では、領地を巡る争いはなくなったので、そのときは良かったのです。

また、頼朝に忠誠を誓うということで、頼朝の協力者は御家人になりました。
御家人とは言わば、契約社員、傭兵みたいなものですね。

そういう経済構造でしたから、幕府内での頼朝は、北条氏など有力御家人に、食べさせてもらっている立場でした。
故に頼朝は、御家人たちに対して、強い立場での発言は、どうしてもできなかったのです。

言わば、タレント議員一期生で、いきなり総理大臣になったようなものです。(笑)
また、一時期の風によって当選した議員のようなものです。

ですから頼朝は、幕府内では、御家人たちの意向を聞かざるを得ませんでした。
頼朝時代には、都の警護の期間を短くしたり、武士の待遇改善がかなり進みますけど、そういう頼朝の置かれていた環境も、当然影響していると思います。

自分の領地を持たない源氏は、実績もあり、カリスマ性もあった頼朝在世中は、何とか維持されましたが、頼朝の死後、急速に源氏の発言力が小さくなります。

武士の人事権を持つ将軍が、自分の領地がない・・・。
不思議な事実ですけど、後の室町幕府の足利氏も、群馬県の足利郷しか自領を持っていません。

更に後の徳川家康は、天下取りの後も領地の拡大政策を続けますが、その行動原理は、恐らくこういった過去の歴史的教訓から導き出されたものではないかと思います。

そして、鎌倉幕府の源氏は、3代将軍実朝が嫡子を残さず没したことで、嫡流は途絶えました。
その後は、他の土地にいる源氏の血筋の人を探し、お飾り将軍に祭り上げて、一応幕府は続きます。

実権は、最大御家人である北条氏が握り、執権という立場で、実質的な運営を行います。

今も昔も、多くの支持者と安定した政治資金は、とても重要なのですね。