土佐のくじらです。
国連総会に出席するため訪米中の安倍晋三首相が、現地で活発に講演を重ねています。
25日午後(日本時間26日未明)には、ニューヨーク証券取引所で講演し、
「世界経済回復のためには3語で十分。『Buy my Abenomics!(アベノミクスの経済政策は買いだ)』」と、日本への投資を促しました。また、規制改革でアメリカのような「起業大国」を目指すとも表明していらっしゃいます。
安倍首相は、消費増税を回避したいはずです。
なぜなら、消費増税すると、アベノミクスが頓挫するからです。
このお方は、ある意味での大局観をお持ちだと思います。
そういった意味では、日本国民は運が良いなぁと思います。
ただ国内では、首相の留守の間に、政官合同での増税路線が、着々と進行中です。
既存の政治家の方って、軒並み経済が分からないんじゃないかと、ここ最近深く思うことが多いです。
以前の記事で書いたごとく、1万円は、1万円の価値しかない・・・という、江戸時代以前の物々交換経済・・・というか、昔ながらの米本位制経済から、彼らの頭は、一切進歩していないんじゃないかと、私は推測するのですね。
米は、米の価値しかありません。
つまり、食べてしまえば終わりです。
彼らの経済頭脳は、そういう思考形態のまま止まっているのではないでしょうかね。(笑)
財務官僚型が日本に対して行おうとしている財政の考え方や、彼らの経済知識におんぶに抱っこしている既存の政治家たちの、経済の考え方を推測すると、お金を出したら損をする・・・しか、見受けられませんね。
たとえば、
Aさんの田んぼに、いくら水を入れると、川から水がいくらか減る・・・みたいな妄想に取り付かれているとしか、私は思えないですね。
たとえば、
Aさんの田んぼに1tの水を、川から流し入れたからといって、川の水が1t減るでしょうか?
答えは、減らない・・・です。
なぜなら、Aさんの田んぼに水が溜まりきったら、今度は、Aさんの田んぼから水が溢れて、今度はBさんの田んぼを潤し、そしてCさんの田んぼへ・・・。
そういう経過を辿って、最後は本流である川に、必ず戻ってくるからです。
そうでなければ、田んぼに水をはる時期なれば、川の水は涸れ果ててしまうはずなんですね。
私は高知県の田園都市に暮らしておりますが、田んぼに水を張り巡らせることで涸れ果てた川など、一度も見たことがありません。
実態経済とは、そういうものなのですよ。
私は特に、学位も何もありませんし、観察と経験則しかなくて、申し訳ないんですが、そういう、実態の経済ならわかるんです。
既存の政治家さんたちは、この実態の経済・・・という分野の見識が、完全に欠落していると私は思います。
今の日本は、一大好景気のチャンスです。
東日本大震災からの復興の必要性があり、仕事は無限にあります。
アベノミクスによる金融緩和によって、その復興費用をその気になれば国家は、税金を徴収することなく刷り出すことができます。
東京へのオリンピック招致も決定しました。
これで今後、首都東京への積極投資が確実です。
日本の富の50%以上を生み出す、世界のメガシティーへの積極投資、そしてそれに伴う基本インフラ向上は、必ず全国に好影響を与えます。
日本経済はむしろ、放っておいた方が飛躍します。
だからこそ、好景気が来ると困る官僚は必死です。
だからこその増税政策であり、この仕掛けは彼らの生き残りを賭けたバトルでもあります。
しかしながら、もういい加減にしないと醜いです。
日本国民には首相が言うように、世界のリーダーとなる資格があるからです。
国民の皆様、日本経済は、飛躍の時代を迎えています。
財務官僚よ、日本経済に手を出すな!
土佐のくじらです。
当ブログでは今、戦国時代の織田信長に着目しております。
信長の生き方は、現代日本が参考にすべき着目点が、たくさんあるように思います。
現代日本は、私の目には、信長の天下布武政策の、逆をやっているように見えています。
さて、信長のキャッチフレーズ”天下布武”は、要するに”脱戦国”です。
その”信長イズム”の実現の第一段が、兵農分離政策であり、その実現のために信長は、家臣を”銭”で雇いました。
これで織田軍は、年中季節を選ばず戦を出来る体制に、当時の国内で唯一なることが出来たのです。
この兵農分離政策を支えるには”銭”が必要ですが、その銭を得るために信長は、重商政策を実施します。
その代表的なものが有名な、”楽市楽座”ですね。
関税や商売にかかる税金を、織田氏領内で免除したのです。
これによって商売人が、自領内に沢山入ってくるようになりました。
しかしおかしいですね。
商売人が沢山入ってきても、税金を取らなければ、織田氏が潤わない・・・
一見そう見えますね。
しかし、港の使用料は取っていますし、銭で兵隊を雇い、商人が市中に増えれば、全国から人が流入しますので、領内の人口はそれだけ増えますね。
となると、人口が増えれば、米の消費量は人口に比例して増えますよね。
ひとりひとりは当然、ご飯は食べないといけませんのでね。
その領民が食べる米は、一体誰が流通させるのでしょうか?
そうです。
尾張領内の米は、織田氏がほぼ全て支給していますので、人口さえ増えれば、織田氏の現金収入は、人口に比例して増えるわけですよ。
その銭で、また全国から傭兵を雇える・・・
銭で傭兵を雇えれば、それで戦が出来る・・・
つまり、
減税 → 人口増 → コメの消費量増 → 織田氏収入増 → 傭兵増 → 織田氏強化
となるわけです。
織田軍は、季節性を持たない軍隊ですので、防衛も強いです。
専門のガードマン(傭兵)が数多くいますからね。
他国は、自領は必死で守りますが、農繁期になると、どうしても自国の防衛は手薄になっていました。
武士=農民システムだと、農作業で人手を取られますから、どうしてもそうならざるを得なかったのです。
防衛のしっかりしている織田氏の尾張の国は、安全な商売が出来るので、またまた商人が集まる=人口が増える=織田氏はウハウハ・・・(笑)と、軍事面と経済面での善の循環が、尾張領内で始まるわけですよ。
兵農分離と楽市楽座・・・
これは、脱戦国政策=天下不武を実現するための、具体的政策の一例だったのです。
こうやって織田信長は、自分の軍隊を順々と、勝てる体質に育てていったのです。
組織をシステマティックに強化して行く所は、時間が味方をするようになります。
昨年より今年、今年より来年と、確実に強くなって行きます。
しかしまだそれでも、織田軍=最強軍団ではありませんでした。
織田軍は傭兵が主流の、全国からの寄せ集め軍でしたから、決して兵隊個々人は、それほど強くはなかったのです。
意外ですが、むしろ全国一弱い軍隊だった・・・と思われるのです。
忠誠心も、そんなにあるわけがありませんからね。
そこで信長が考えた、次なる脱戦国政策が、武器と戦術の工夫であったわけです。
(続く)