岩佐和裁のブログ、裁縫記:IWASA WASAI's blog, SAIHOUKI

岩佐和裁で販売している和服や和裁用具を紹介しています。

I am explaining how I sew a kimono. 和裁、道中着、地のし

2011年05月31日 11時39分46秒 | 道中着
岩佐和裁の携帯用ホームページです。(ドコモ、au、ソフトバンク全てに対応しております)
着物の御仕立、お直しのお店岩佐和裁
現在水曜と土曜の午前11時から午後5時に和裁教室(というよりは和裁広場?)を開催して和裁をしたい方の手助けをしております。
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ご利用料金についてはこのブログやユーチューブの動画をご覧になるだけなら無料に、何らかの形で私が直接お手伝いをしたら有料になります。(料金は生徒さんと相談して決めています)
 参加希望の方はHPの和裁教室ページをご覧下さい。

I am explaining how I sew a kimono. 和裁、道中着、は縫いの解き 
 

I am explaining how I sew a kimono. 和裁、道中着、コート裏と表袖分の地のし 
 

I am explaining how I sew a kimono. 和裁、道中着、衿衽と身頃分の地のし  
 

道中着


道中着はおしゃれコートのひとつで、普段着などに気軽に羽織れるものとして用いられます。
 衿は3寸巾の広衿を着用時に衿肩明で二つに折り、自然に着物のように打ち合せてバチ衿風に裾に行くにしたがって広くします。
表地と共布か飾り紐などの外紐と裏地と共布の内紐を結び着用します。
 表地には縮緬や紬などの着尺地を用います。
道中着は略式のコートですので礼装には用いません。
 今回の道中着は男物の袷の長着を使います。
表地の袖と身頃はそのまま袖と身頃に、衿衽は衿になり、袖口布には裾廻しの袖口布を使います。
 着物の胴裏は使用せず新しい羽裏を使います。
まずは洗張りのは縫いを解いて、地のしをします。

道中着Docyugi
This is an overcoat designed to protect the kimono from dust and keep warm when outside during the winter.
The collar looks like the kimono collar,and the length can be adjusted to make either a half-length coat or a three-quarter length coat.
Spun silk,wool and smoll patterns make nice coats which can be worn with travel or visiting kimono,such as tsumugi or komon.
I draw out sewing thread.
I iron Garment Fabric and Lining.
Since it is difficult to write how to sew in English, Please refer to videos.
Please contact me, if there are comment, a question, and a demand.
My mail address is info@iwasa-wasai.com.

The partial name of a kimono


The cutting drawing of a kimono

1.s=後袖usiro sode(Back Sleeve) : 2.s=前袖mae sode(Front Sleeve) : 3.s=後袖usiro sode(Back Sleeve) : 4.s=前袖mae sode(Front Sleeve) :
1.m=後身頃usiro migoro(Back Body) : 2.m=前身頃mae migoro(Front Body) : 3.m=後身頃usiro migoro(Back Body) : 4.m=前身頃mae migoro(Front Body) :
o=衽okumi(overlap panel) : e=地衿ji eri(coller) : te=共衿tomo eri(a collar of the same material sewn over a kimono collar for protection)

The book of kimono (cover)


The book of kimono (back cover)


The new kimono (cover)


The new kimono (back cover)


I bought these books in Amazon Japan.

追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実を正しく把握し、日本の原子力発電について考え行動する必要があります。
2011年5月30日、京大原子炉・小出裕章氏「なしくずしの許容被爆線量、内部被曝」5月30日たねまきジャーナル
2011年5月30日、証明できなかった山下教授の御高説<田中龍作>
2011年5月29日、街の弁護士日記 SINCE1992 流言飛語を垂れ流した政府・マスコミは責任を取れ
2011年5月29日、「セシウム一掃作戦を覚悟を持ってやりきる政権を、一刻も早く作る必要がある!今中哲二・京都大学原子炉」。はたともこ氏のツイートより
2011年5月29日、京都大学原子炉実験所・今中哲二氏インタビュー06<岩上安身>
2011年5月29日、京都大学原子炉実験所・今中哲二氏インタビュー05<岩上安身>
2011年5月29日、京都大学原子炉実験所・今中哲二氏インタビュー04<岩上安身>
2011年5月29日、京都大学原子炉実験所・今中哲二氏インタビュー03<岩上安身>
2011年5月29日、京都大学原子炉実験所・今中哲二氏インタビュー02<岩上安身>
2011年5月29日、京都大学原子炉実験所・今中哲二氏インタビュー01<岩上安身>
2011年5月29日、飯舘村 山下教授 「洗脳の全容」<田中龍作>
2011年5月29日、福島第一原発で「チャイナシンドローム」が起こり、燃料の冷却と閉じ込めが困難になっていると指摘されている<櫻井ジャーナル(私家版)>
2011年5月28日、異常すぎる日本の「暫定基準値」 乳児に与える飲料の基準は国際法で定められた原発の排水より上。ロケットニュース24
2011年5月28日、日本の原子力行政の構造的欠陥<徳山 勝>
2011年5月28日、「マスコミに載らない海外記事」原子力という狂気
2011年5月28日、海底の土から放射性物質 宮城~千葉沖、数百倍も【共同通信】
飯舘村 農地を捨てて<田中龍作>
2011年5月28日、槌田敦さん講演会「福島原発事故の真実ー私たちは今何をすべきかー」
2011年5月28日、福島報告・子供を放射能から守るための教育現場の苦悩 。解説:藍原寛子氏(医療ジャーナリスト)<神保哲生>
2011年5月27日、「My news japan」「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染<三宅勝久>
2011年5月28日、渡辺龍也氏(東京経済大学現代法学部教授):フェアトレードで被災地支援を<神保哲生>
2011年5月27日、「本気で苛酷事故が起こると思っていない人たちがやる対策なんて、最初からないに等しい:後藤政志氏」。はたともこ氏のツイートより
2011年5月27日、「小沢一郎・民主党元代表インタビュー:一問一答 (ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)」
2011年5月27日、「1mSvは、80兆ある人間の細胞の一つ一つに1個ずつ分子切断を与える量:内部被曝・矢ケ崎克馬琉球大名誉教授。はたともこ氏のツイートより
2011年5月27日、矢ケ崎克馬琉球大名誉教授インタビュー<岩上安身>
2011年5月27日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月27日、「ロシアもイギリスも垂れ流し、中国はチベットに 「現代のババ抜き」核廃棄物はどこへ捨てる? 」川口マーン惠:現代ビジネス
2011年5月27日、衆院委で吉井氏:GE社の責任も問え/政府に東電社員36人 在籍出向 まるで霞が関出張所(しんぶん赤旗)
2011年5月26日、PJnews「コンピューター監視法案」ついに審議入りも、日弁連や民主党内からも懸念、疑問の声が<田中大地>
2011年5月26日、環境エネルギー政策研究所 飯田哲也氏インタビュー環境エネルギー政策研究所 飯田哲也氏インタビュー<岩上安身>
2011年5月26日、飯舘村 御用学者に振り回されたあげくに<田中龍作>
2011年5月25日、原子力導入の突破口を開いた中曽根には、内務省、CIA、キッシンジャー、鹿島建設、児玉誉士夫、皇国史観がつながる<櫻井ジャーナル(私家版)>
2011年5月24日、 CNIC News 後藤政志氏 福島原発解説
2011年5月26日、世界で2ヵ国しかない、グリーンピースの海洋調査を断った国・日本。政府は今すぐ独自に調査をやり直すべきだ<上杉隆>
2011年5月26日、「原発で政府のまやかしに気付いた人、その延長線で外交安全保障のまやかしにも目を向けて下さい:孫崎 享氏」  憲法・軍備・安全保障
2011年5月26日、「脱原発に直結する「地震原因説」:斑目氏の耐震設計審査指針全面改訂の提起に、原発推進派が猛烈な危機感」原子力・核問題、はたともこ氏のツイートより。
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」後藤政志氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」後藤政志氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」石橋克彦氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」石橋克彦氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」孫正義氏
2011年5月23日、【質疑1】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑2】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑3】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑4】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑5】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑6】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑7】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑8】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑9】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑10】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑11】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑12】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月21日、福島原発事故続報1・なぜ根拠なき楽観シナリオを垂れ流し続けるのか<神保哲生>
2011年5月21日、福島報告続報・校庭の土壌除去を行った郡山市の英断と政府の無為無策<神保哲生>
2011年5月21日、広瀬弘忠氏:この震災を日本衰退の引き金にしないために <神保哲生>
日本の放射能暫定基準と世界の基準の差異
2011年5月21日、崩壊熱の推移グラフ・数値を明らかにしない東京電力…市民を馬鹿扱い?~抗議するしかない<日隅一雄>
2011年5月20日、ドイツ緑の党連邦議員 ジルビア・コッティング・ウール氏緊急インタビュー 1/2<岩上安身>
2011年5月20日、ドイツ緑の党連邦議員 ジルビア・コッティング・ウール氏緊急インタビュー 2/2<岩上安身>
2011年5月20日、ドイツ緑の党 シルビア・コッティング・ウール氏記者会見
2011年5月20日 和光大学 後藤政志氏 講義
2011年5月19日、「原発依存社会からの脱却に向けて」議員セミナー<岩上安身>
2011年5月19日、小出裕章氏:核燃料露出の1号機は既に人類未体験ゾーンへ
2011年5月19日、矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク
2011年5月18日、はたともこ氏のツイートより「アレバ社「ラ・アーグ使用済核燃料再処理工場」は、放射性廃棄物を『合法的』に大気や海洋に放出」 
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏1
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏2
2011年5月16日、「想定外」が許されない機械 小出裕章
2011年05月12日、小出裕章氏インタビュー、空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
2011年05月10日、衆議院第二議員会館、広瀬隆氏、福島原発巨大事故、今何が必要か
2011年5月8日、原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日、CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 1-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 2-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 3-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 4-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 5-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 6-6
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演1-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演2-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演3-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演4-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演5-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演6-6
2011年4月21日、菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日、『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日、岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会①
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会②
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会③
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会④
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
内藤新吾氏による浜岡原発や原発の危険性の解説です。
 浜岡原発の不要性や国策により建設されたことを指摘、原子力発電所のしくみを分かり易く解説しています。
また、原子力発電所の冷却用再循環ポンプの脆弱性を指摘し、津波による事故を予測しています。
 2011年3月11日午後2時46分ごろに起こった東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を予測するような内容になっています。
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。1/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。2/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。3/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。4/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。5/5
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病1【ヒロシマ原爆体験】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病2【原爆で天井まで飛んだ】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病3【医療活動とぶらぶら病】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病4【1ミリシーベルトでも危険】
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間  2011年04月24日、原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ、肥田舜太郎医師と福島の女性


浜岡原発は14日に停止しました。しかし停止したから安全ではなく、原子炉から燃料棒を取り出さなければ、電源消失になれば福島と同じです。
 管総理は安全が確認されるまでとか言っていますが、冗談じゃないあそこは廃炉です。そして廃炉にしたところで核燃料プールに使用済み核燃料があるので時限爆弾をかかえている様なものです。
す)
 この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
 原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、すでに姫路第二発電所のコンバインドサイクル発電の様な大変高性能な火力発電所(進化を遂げる火力発電)があります。
これらを活用すれば、夏の電力需要に対して十分対応可能です。
 テレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人は核武装と原発利権が本音だと思います。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
 
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Since the animation which the janitor manufactured and raised is fundamentally free, use for study of Japanese dressmaking, etc. freely. (The use agreement is as follows) I permit edit of the individual who is not the profit purpose.
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A photograph material also applies correspondingly above.

Parts of a kimono
Diagram of the kimono parts

Various terms refer to parts of a kimono, as listed below.
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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、衿とじ、衿折り、衿くけ

2011年05月29日 18時05分00秒 | 振袖
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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、上前の流れの衿とじ 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、下前の流れの衿とじ 
 

I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、衿折り1 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、衿折り2 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、衿くけ 
  

下前の流れと上前の流れの衿とじをして、衿折りをします。
 衽や前たての縫込みをたたみ衿くけの縫込みに表の色糸でおさえます。
裏衿に表衿巾の折をして、その折の1分5厘下に裏衿巾のへらをして通しべらをします。
 通しべらを手折りして、衿山、共衿のへら、衿先にまち針をして、衿をくけます。

The partial name of a kimono


The cutting drawing of a kimono

1.s=後袖usiro sode(Back Sleeve) : 2.s=前袖mae sode(Front Sleeve) : 3.s=後袖usiro sode(Back Sleeve) : 4.s=前袖mae sode(Front Sleeve) :
1.m=後身頃usiro migoro(Back Body) : 2.m=前身頃mae migoro(Front Body) : 3.m=後身頃usiro migoro(Back Body) : 4.m=前身頃mae migoro(Front Body) :
o=衽okumi(overlap panel) : e=地衿ji eri(coller) : te=共衿tomo eri(a collar of the same material sewn over a kimono collar for protection)

I Joining a collar and a back of collar.
And I Setting a collar with an iron.
I mark back of collar width on back of collar.
I do Blind Stitch of a collar.
Since it is difficult to write how to sew in English, Please refer to videos.
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The book of kimono (cover)


The book of kimono (back cover)


The new kimono (cover)


The new kimono (back cover)


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2011年5月28日、槌田敦さん講演会「福島原発事故の真実ー私たちは今何をすべきかー」
2011年5月28日、福島報告・子供を放射能から守るための教育現場の苦悩 。解説:藍原寛子氏(医療ジャーナリスト)<神保哲生>
2011年5月28日、渡辺龍也氏(東京経済大学現代法学部教授):フェアトレードで被災地支援を<神保哲生>
2011年5月27日、「小沢一郎・民主党元代表インタビュー:一問一答 (ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)」
2011年5月27日、矢ケ崎克馬琉球大名誉教授インタビュー<岩上安身>
2011年5月27日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月27日、「ロシアもイギリスも垂れ流し、中国はチベットに 「現代のババ抜き」核廃棄物はどこへ捨てる? 」川口マーン惠:現代ビジネス
2011年5月27日、衆院委で吉井氏:GE社の責任も問え/政府に東電社員36人 在籍出向 まるで霞が関出張所(しんぶん赤旗)
2011年5月26日、環境エネルギー政策研究所 飯田哲也氏インタビュー環境エネルギー政策研究所 飯田哲也氏インタビュー<岩上安身>
2011年5月26日、飯舘村 御用学者に振り回されたあげくに<田中龍作>
2011年5月25日、原子力導入の突破口を開いた中曽根には、内務省、CIA、キッシンジャー、鹿島建設、児玉誉士夫、皇国史観がつながる<櫻井ジャーナル(私家版)>
2011年5月24日、 CNIC News 後藤政志氏 福島原発解説
2011年5月26日、世界で2ヵ国しかない、グリーンピースの海洋調査を断った国・日本。政府は今すぐ独自に調査をやり直すべきだ<上杉隆>
2011年5月26日、「原発で政府のまやかしに気付いた人、その延長線で外交安全保障のまやかしにも目を向けて下さい:孫崎 享氏」  憲法・軍備・安全保障
2011年5月26日、「脱原発に直結する「地震原因説」:斑目氏の耐震設計審査指針全面改訂の提起に、原発推進派が猛烈な危機感」原子力・核問題、はたともこ氏のツイートより。
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」後藤政志氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」後藤政志氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」石橋克彦氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」石橋克彦氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」孫正義氏
2011年5月23日、【質疑1】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑2】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑3】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑4】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑5】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑6】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑7】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑8】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑9】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑10】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑11】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑12】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月21日、福島原発事故続報1・なぜ根拠なき楽観シナリオを垂れ流し続けるのか<神保哲生>
2011年5月21日、福島報告続報・校庭の土壌除去を行った郡山市の英断と政府の無為無策<神保哲生>
2011年5月21日、広瀬弘忠氏:この震災を日本衰退の引き金にしないために <神保哲生>
日本の放射能暫定基準と世界の基準の差異
2011年5月21日、崩壊熱の推移グラフ・数値を明らかにしない東京電力…市民を馬鹿扱い?~抗議するしかない<日隅一雄>
2011年5月20日、ドイツ緑の党連邦議員 ジルビア・コッティング・ウール氏緊急インタビュー 1/2<岩上安身>
2011年5月20日、ドイツ緑の党連邦議員 ジルビア・コッティング・ウール氏緊急インタビュー 2/2<岩上安身>
2011年5月20日、ドイツ緑の党 シルビア・コッティング・ウール氏記者会見
2011年5月20日 和光大学 後藤政志氏 講義
2011年5月19日、「原発依存社会からの脱却に向けて」議員セミナー<岩上安身>
2011年5月19日、小出裕章氏:核燃料露出の1号機は既に人類未体験ゾーンへ
2011年5月19日、矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク
2011年5月18日、はたともこ氏のツイートより「アレバ社「ラ・アーグ使用済核燃料再処理工場」は、放射性廃棄物を『合法的』に大気や海洋に放出」 
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏1
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏2
2011年5月16日、「想定外」が許されない機械 小出裕章
2011年05月12日、小出裕章氏インタビュー、空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
2011年05月10日、衆議院第二議員会館、広瀬隆氏、福島原発巨大事故、今何が必要か
2011年5月8日、原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日、CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 1-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 2-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 3-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 4-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 5-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 6-6
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演1-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演2-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演3-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演4-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演5-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演6-6
2011年4月21日、菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日、『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日、岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会①
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会②
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会③
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会④
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
内藤新吾氏による浜岡原発や原発の危険性の解説です。
 浜岡原発の不要性や国策により建設されたことを指摘、原子力発電所のしくみを分かり易く解説しています。
また、原子力発電所の冷却用再循環ポンプの脆弱性を指摘し、津波による事故を予測しています。
 2011年3月11日午後2時46分ごろに起こった東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を予測するような内容になっています。
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。1/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。2/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。3/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。4/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。5/5
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病1【ヒロシマ原爆体験】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病2【原爆で天井まで飛んだ】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病3【医療活動とぶらぶら病】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病4【1ミリシーベルトでも危険】
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間  2011年04月24日、原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ、肥田舜太郎医師と福島の女性


浜岡原発は14日に停止しました。しかし停止したから安全ではなく、原子炉から燃料棒を取り出さなければ、電源消失になれば福島と同じです。
 管総理は安全が確認されるまでとか言っていますが、冗談じゃないあそこは廃炉です。そして廃炉にしたところで核燃料プールに使用済み核燃料があるので時限爆弾をかかえている様なものです。
す)
 この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
 原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、すでに姫路第二発電所のコンバインドサイクル発電の様な大変高性能な火力発電所(進化を遂げる火力発電)があります。
これらを活用すれば、夏の電力需要に対して十分対応可能です。
 テレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人は核武装と原発利権が本音だと思います。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え~って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

(司会)え~ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」

(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
 
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Parts of a kimono
Diagram of the kimono parts

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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、褄下

2011年05月27日 15時56分17秒 | 振袖
岩佐和裁の携帯用ホームページです。(ドコモ、au、ソフトバンク全てに対応しております)
着物の御仕立、お直しのお店岩佐和裁
現在水曜と土曜の午前11時から午後5時に和裁教室(というよりは和裁広場?)を開催して和裁をしたい方の手助けをしております。
 教科書等につきましては、現在市販されている和裁の本か公開したユーチューブ動画をテキストとして使用しています。
ご利用料金についてはこのブログやユーチューブの動画をご覧になるだけなら無料に、何らかの形で私が直接お手伝いをしたら有料になります。(料金は生徒さんと相談して決めています)
 参加希望の方はHPの和裁教室ページをご覧下さい。

I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、上前の衿先1 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、上前の衿先2 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、衿先の止め 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、上前の褄下  


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、下前の衿先1  


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、下前の衿先2  


衽の縦縫いと褄下の仕上げをして裏衽の褄下のへらをしたら、そのへらの2厘下に通しべらをして衿先を止めます。
 衿付の止めは衿先のところを地衿と衿先布の表同士を合せて衿付の縫い止りを衽→衿→衿→衽の順に真横に二本どりの糸(裾廻し色糸)で地の目4本位すくい縛ります。
衿先の縫いは地衿は衿先のへらの1分上、衿先布は衿付けとくけ部分は表と同じ1分上で、その間はそれより5厘縫い込み、衿巾より2針位余分に縫って糸止めします。
 衿先の地衿と衿先布の縫込み同士をとじて、その縫込みを裏衿付の縫込みに縫い目より1分持ち出しておさえつけます。
衿の流れの所から手を入れ衽をひっくり返したら、表は折りの8厘上を裏衽は先程した通しべら通りに衿先は止めの3分位下から、褄先は褄を上げた時の縦褄の縫いに5分位重ね縫いをして褄下を縫います。
 褄下の縫込みを鏝で伸ばしたら先ほどひっくり返した衽を出来上がりの状態にして、3厘きせをかけ5厘のみかたを見せて鏝で決めます。

The partial name of a kimono


The cutting drawing of a kimono

1.s=後袖usiro sode(Back Sleeve) : 2.s=前袖mae sode(Front Sleeve) : 3.s=後袖usiro sode(Back Sleeve) : 4.s=前袖mae sode(Front Sleeve) :
1.m=後身頃usiro migoro(Back Body) : 2.m=前身頃mae migoro(Front Body) : 3.m=後身頃usiro migoro(Back Body) : 4.m=前身頃mae migoro(Front Body) :
o=衽okumi(overlap panel) : e=地衿ji eri(coller) : te=共衿tomo eri(a collar of the same material sewn over a kimono collar for protection)

I sew a 振袖furisode(long-sleeved kimono).
I bind the 衿先erisaki(collar point) with 2 thread, and sew it up.
I do the mark 褄下tumasita(under 褄tuma). And I sew it up.
Since it is difficult to write how to sew in English, Please refer to videos.
Please contact me, if there are comment, a question, and a demand.
My mail address is info@iwasa-wasai.com.

追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実を正しく把握し、日本の原子力発電について考え行動する必要があります。
2011年5月27日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月26日、環境エネルギー政策研究所 飯田哲也氏インタビュー環境エネルギー政策研究所 飯田哲也氏インタビュー<岩上安身>
2011年5月26日、飯舘村 御用学者に振り回されたあげくに<田中龍作>
2011年5月25日、原子力導入の突破口を開いた中曽根には、内務省、CIA、キッシンジャー、鹿島建設、児玉誉士夫、皇国史観がつながる<櫻井ジャーナル(私家版)>
2011年5月24日、 CNIC News 後藤政志氏 福島原発解説
2011年5月26日、世界で2ヵ国しかない、グリーンピースの海洋調査を断った国・日本。政府は今すぐ独自に調査をやり直すべきだ<上杉隆>
2011年5月26日、「原発で政府のまやかしに気付いた人、その延長線で外交安全保障のまやかしにも目を向けて下さい:孫崎 享氏」  憲法・軍備・安全保障
2011年5月26日、「脱原発に直結する「地震原因説」:斑目氏の耐震設計審査指針全面改訂の提起に、原発推進派が猛烈な危機感」原子力・核問題、はたともこ氏のツイートより。
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」後藤政志氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」後藤政志氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」石橋克彦氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」石橋克彦氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」孫正義氏
2011年5月23日、【質疑1】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑2】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑3】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑4】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑5】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑6】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑7】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑8】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑9】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑10】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑11】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑12】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月21日、福島原発事故続報1・なぜ根拠なき楽観シナリオを垂れ流し続けるのか<神保哲生>
2011年5月21日、福島報告続報・校庭の土壌除去を行った郡山市の英断と政府の無為無策<神保哲生>
2011年5月21日、広瀬弘忠氏:この震災を日本衰退の引き金にしないために <神保哲生>
日本の放射能暫定基準と世界の基準の差異
2011年5月21日、崩壊熱の推移グラフ・数値を明らかにしない東京電力…市民を馬鹿扱い?~抗議するしかない<日隅一雄>
2011年5月20日、ドイツ緑の党連邦議員 ジルビア・コッティング・ウール氏緊急インタビュー 1/2<岩上安身>
2011年5月20日、ドイツ緑の党連邦議員 ジルビア・コッティング・ウール氏緊急インタビュー 2/2<岩上安身>
2011年5月20日、ドイツ緑の党 シルビア・コッティング・ウール氏記者会見
2011年5月20日 和光大学 後藤政志氏 講義
2011年5月19日、「原発依存社会からの脱却に向けて」議員セミナー<岩上安身>
2011年5月19日、小出裕章氏:核燃料露出の1号機は既に人類未体験ゾーンへ
2011年5月19日、矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク
2011年5月18日、はたともこ氏のツイートより「アレバ社「ラ・アーグ使用済核燃料再処理工場」は、放射性廃棄物を『合法的』に大気や海洋に放出」 
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏1
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏2
2011年5月16日、「想定外」が許されない機械 小出裕章
2011年05月12日、小出裕章氏インタビュー、空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
2011年05月10日、衆議院第二議員会館、広瀬隆氏、福島原発巨大事故、今何が必要か
2011年5月8日、原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日、CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 1-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 2-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 3-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 4-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 5-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 6-6
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演1-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演2-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演3-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演4-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演5-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演6-6
2011年4月21日、菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日、『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日、岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会①
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会②
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会③
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会④
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
内藤新吾氏による浜岡原発や原発の危険性の解説です。
 浜岡原発の不要性や国策により建設されたことを指摘、原子力発電所のしくみを分かり易く解説しています。
また、原子力発電所の冷却用再循環ポンプの脆弱性を指摘し、津波による事故を予測しています。
 2011年3月11日午後2時46分ごろに起こった東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を予測するような内容になっています。
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。1/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。2/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。3/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。4/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。5/5
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病1【ヒロシマ原爆体験】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病2【原爆で天井まで飛んだ】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病3【医療活動とぶらぶら病】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病4【1ミリシーベルトでも危険】
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間  2011年04月24日、原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ、肥田舜太郎医師と福島の女性


浜岡原発は14日に停止しました。しかし停止したから安全ではなく、原子炉から燃料棒を取り出さなければ、電源消失になれば福島と同じです。
 管総理は安全が確認されるまでとか言っていますが、冗談じゃないあそこは廃炉です。そして廃炉にしたところで核燃料プールに使用済み核燃料があるので時限爆弾をかかえている様なものです。
す)
 この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
 原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、すでに姫路第二発電所のコンバインドサイクル発電の様な大変高性能な火力発電所(進化を遂げる火力発電)があります。
これらを活用すれば、夏の電力需要に対して十分対応可能です。
 テレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人は核武装と原発利権が本音だと思います。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
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「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え~って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

(司会)え~ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」

(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
 
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Parts of a kimono
Diagram of the kimono parts

Various terms refer to parts of a kimono, as listed below.
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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、衿と衽のとじ

2011年05月24日 20時08分18秒 | 振袖
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現在水曜と土曜の午前11時から午後5時に和裁教室(というよりは和裁広場?)を開催して和裁をしたい方の手助けをしております。
 教科書等につきましては、現在市販されている和裁の本か公開したユーチューブ動画をテキストとして使用しています。
ご利用料金についてはこのブログやユーチューブの動画をご覧になるだけなら無料に、何らかの形で私が直接お手伝いをしたら有料になります。(料金は生徒さんと相談して決めています)
 参加希望の方はHPの和裁教室ページをご覧下さい。
振袖の下前衽下りから上前衽下りの間の衿とじをします。 
 

振袖の上前衽のとじをします。 
 

振袖の下前衽のとじをします。 
 

表衿と裏衿の背中心と衽下りにまち針をして下前衽下りから上前衽下りにかけて衿とじをします。とじの間隔は5分、衿肩明付近は3分間隔にします。
 次に背、脇同様に衽のとじをします。衽のとじは前たての縫込みが開く裏衽の小接ぎのやや上迄します。
I sew a 振袖furisode(long-sleeved kimono).
I Joining Top Collar and Under Collar between bottom 上前衽下りuwamae okumisagari of 下前衽下りsitamae okumisagari.
I Joining 表衽omote okumi( front 衽okumi) and 裏衽ura okumi( back 衽okumi) of the 上前衽uwamae okumi.
I Joining 表衽omote okumi( front 衽okumi) and 裏衽ura okumi( back 衽okumi) of the 下前衽sitamae okumi.
Since it is difficult to write how to sew in English, Please refer to videos.
Please contact me, if there are comment, a question, and a demand.
My mail address is info@iwasa-wasai.com.

追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実を正しく把握し、日本の原子力発電について考え行動する必要があります。
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」小出裕章氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」後藤政志氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」後藤政志氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」石橋克彦氏 1/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」石橋克彦氏 2/2
2011年5月23日、参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」孫正義氏
2011年5月23日、【質疑1】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑2】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑3】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑4】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑5】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑6】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑7】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑8】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑9】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑10】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑11】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月23日、【質疑12】参議院の行政監視委員会「原発事故と行政監視の在り方」
2011年5月21日、福島原発事故続報1・なぜ根拠なき楽観シナリオを垂れ流し続けるのか<神保哲生>
2011年5月21日、福島報告続報・校庭の土壌除去を行った郡山市の英断と政府の無為無策<神保哲生>
2011年5月21日、広瀬弘忠氏:この震災を日本衰退の引き金にしないために <神保哲生>
2011年5月21日、崩壊熱の推移グラフ・数値を明らかにしない東京電力…市民を馬鹿扱い?~抗議するしかない<日隅一雄>
2011年5月20日 和光大学 後藤政志氏 講義
2011年5月19日、「原発依存社会からの脱却に向けて」議員セミナー<岩上安身>
2011年5月19日、小出裕章氏:核燃料露出の1号機は既に人類未体験ゾーンへ
2011年5月19日、矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク
2011年5月18日、はたともこ氏のツイートより「アレバ社「ラ・アーグ使用済核燃料再処理工場」は、放射性廃棄物を『合法的』に大気や海洋に放出」 
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏1
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏2
2011年5月16日、「想定外」が許されない機械 小出裕章
2011年05月12日、小出裕章氏インタビュー、空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
2011年05月10日、衆議院第二議員会館、広瀬隆氏、福島原発巨大事故、今何が必要か
2011年5月8日、原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日、CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 1-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 2-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 3-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 4-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 5-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 6-6
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演1-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演2-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演3-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演4-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演5-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演6-6
2011年4月21日、菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日、『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日、岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会①
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会②
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会③
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会④
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
内藤新吾氏による浜岡原発や原発の危険性の解説です。
 浜岡原発の不要性や国策により建設されたことを指摘、原子力発電所のしくみを分かり易く解説しています。
また、原子力発電所の冷却用再循環ポンプの脆弱性を指摘し、津波による事故を予測しています。
 2011年3月11日午後2時46分ごろに起こった東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を予測するような内容になっています。
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。1/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。2/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。3/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。4/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。5/5
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病1【ヒロシマ原爆体験】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病2【原爆で天井まで飛んだ】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病3【医療活動とぶらぶら病】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病4【1ミリシーベルトでも危険】
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間  2011年04月24日、原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ、肥田舜太郎医師と福島の女性


浜岡原発は14日に停止しました。しかし停止したから安全ではなく、原子炉から燃料棒を取り出さなければ、電源消失になれば福島と同じです。
 管総理は安全が確認されるまでとか言っていますが、冗談じゃないあそこは廃炉です。そして廃炉にしたところで核燃料プールに使用済み核燃料があるので時限爆弾をかかえている様なものです。
す)
 この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
 原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、すでに姫路第二発電所のコンバインドサイクル発電の様な大変高性能な火力発電所(進化を遂げる火力発電)があります。
これらを活用すれば、夏の電力需要に対して十分対応可能です。
 テレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人は核武装と原発利権が本音だと思います。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え~って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

(司会)え~ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」

(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
 
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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、袖付

2011年05月22日 15時42分14秒 | 振袖
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現在水曜と土曜の午前11時から午後5時に和裁教室(というよりは和裁広場?)を開催して和裁をしたい方の手助けをしております。
 教科書等につきましては、現在市販されている和裁の本か公開したユーチューブ動画をテキストとして使用しています。
ご利用料金についてはこのブログやユーチューブの動画をご覧になるだけなら無料に、何らかの形で私が直接お手伝いをしたら有料になります。(料金は生徒さんと相談して決めています)
 参加希望の方はHPの和裁教室ページをご覧下さい。
I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、下前の袖付 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、上前の表の袖付 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、上前の裏の袖付 


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、袷の袖付の止め 
  

袖付けの止めは縫い終わりの止めからします。
 袖山と肩山を合せて待ち針をして二本どりの糸で、表袖の裏側→表身頃→裏袖(ここまでは袖の振り、身八っ口の縫い止まりに近い方)→裏身頃(身八っ口の縫いどまりから縦に地の目二~三本をすくい、その時に力布を入れます)→裏袖(ここからは袖の振り、身八っ口の縫い止まりの地の目二~三本上)→表身頃→表袖の裏側で糸をしばり適当な長さに止めた糸を切ります。
縫いはじめになる袖付の止めも同様にしますが、止めた糸のうち針穴に通っている糸を1本だけ残し、その糸で表の袖付けを縫い残りの三本の糸は適当な長さで切ります。
袖付のつりあいは表は袖山と袖付の5分位の間は袖をゆるくして、裏は袖山はたいらに袖付から5分位は身頃をゆるくします。残りの部分は身頃がゆるくなります。 
I sew a 振袖furisode(long-sleeved kimono).
I bind with two thread with a 袖付sodetuke.
And I attach a sleeve to Body (Bodice). (JOINING FABRICS)
袖sode= sleeve
付け=join ,fix, attach, fasten, ???
Since it is difficult to write how to sew in English, Please refer to video.
Please contact me, if there are comment, a question, and a demand.
My mail address is info@iwasa-wasai.com.

追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実を正しく把握し、日本の原子力発電について考え行動する必要があります。
2011年5月21日、福島原発事故続報1・なぜ根拠なき楽観シナリオを垂れ流し続けるのか<神保哲生>
2011年5月21日、福島報告続報・校庭の土壌除去を行った郡山市の英断と政府の無為無策<神保哲生>
2011年5月21日、広瀬弘忠氏:この震災を日本衰退の引き金にしないために <神保哲生>
2011年5月21日、崩壊熱の推移グラフ・数値を明らかにしない東京電力…市民を馬鹿扱い?~抗議するしかない<日隅一雄>
2011年5月20日 和光大学 後藤政志氏 講義
2011年5月19日、「原発依存社会からの脱却に向けて」議員セミナー<岩上安身>
2011年5月19日、小出裕章氏:核燃料露出の1号機は既に人類未体験ゾーンへ
2011年5月19日、矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク
2011年5月18日、はたともこ氏のツイートより「アレバ社「ラ・アーグ使用済核燃料再処理工場」は、放射性廃棄物を『合法的』に大気や海洋に放出」 
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏1
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏2
2011年5月16日、「想定外」が許されない機械 小出裕章
2011年05月12日、小出裕章氏インタビュー、空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
2011年05月10日、衆議院第二議員会館、広瀬隆氏、福島原発巨大事故、今何が必要か
2011年5月8日、原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日、CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 1-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 2-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 3-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 4-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 5-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 6-6
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演1-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演2-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演3-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演4-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演5-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演6-6
2011年4月21日、菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日、『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日、岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会①
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会②
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会③
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会④
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
内藤新吾氏による浜岡原発や原発の危険性の解説です。
 浜岡原発の不要性や国策により建設されたことを指摘、原子力発電所のしくみを分かり易く解説しています。
また、原子力発電所の冷却用再循環ポンプの脆弱性を指摘し、津波による事故を予測しています。
 2011年3月11日午後2時46分ごろに起こった東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を予測するような内容になっています。
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。1/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。2/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。3/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。4/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。5/5
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病1【ヒロシマ原爆体験】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病2【原爆で天井まで飛んだ】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病3【医療活動とぶらぶら病】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病4【1ミリシーベルトでも危険】
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間  2011年04月24日、原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ、肥田舜太郎医師と福島の女性


浜岡原発は14日に停止しました。しかし停止したから安全ではなく、原子炉から燃料棒を取り出さなければ、電源消失になれば福島と同じです。
 管総理は安全が確認されるまでとか言っていますが、冗談じゃないあそこは廃炉です。そして廃炉にしたところで核燃料プールに使用済み核燃料があるので時限爆弾をかかえている様なものです。
す)
 この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
 原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、すでに姫路第二発電所のコンバインドサイクル発電の様な大変高性能な火力発電所(進化を遂げる火力発電)があります。
これらを活用すれば、夏の電力需要に対して十分対応可能です。
 テレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人は核武装と原発利権が本音だと思います。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え~って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

(司会)え~ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」

(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
 
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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、脇とじ

2011年05月20日 17時38分10秒 | 振袖
岩佐和裁の携帯用ホームページです。(ドコモ、au、ソフトバンク全てに対応しております)
着物の御仕立、お直しのお店岩佐和裁
現在水曜と土曜の午前11時から午後5時に和裁教室(というよりは和裁広場?)を開催して和裁をしたい方の手助けをしております。
 教科書等につきましては、現在市販されている和裁の本か公開したユーチューブ動画をテキストとして使用しています。
ご利用料金についてはこのブログやユーチューブの動画をご覧になるだけなら無料に、何らかの形で私が直接お手伝いをしたら有料になります。(料金は生徒さんと相談して決めています)
 参加希望の方はHPの和裁教室ページをご覧下さい。
I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、脇とじ

脇とじも背とじと同様に裾に脇縫いのきせ山を揃えてまち針をして、裾口は手前側がゆるくならない様に注意して1寸位の間隔でとじます。
I sew a 振袖furisode(long-sleeved kimono).
JOINING FABRICS [ SIDE SEAM of Garment Fabric and Lining Fabric ]. =脇とじwakitoji
The interval of a stitch is 1 寸sun.
Since it is difficult to write how to sew in English, please look at an animation.
Please contact me, if there are comment, a question, and a demand.
My mail address is info@iwasa-wasai.com.

追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実を正しく把握し、日本の原子力発電について考え行動する必要があります。
2011年5月20日 和光大学 後藤政志氏 講義
2011年5月19日、小出裕章氏:核燃料露出の1号機は既に人類未体験ゾーンへ
2011年5月19日、矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏1
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏2
2011年5月16日、「想定外」が許されない機械 小出裕章
2011年05月12日、小出裕章氏インタビュー、空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
2011年05月10日、衆議院第二議員会館、広瀬隆氏、福島原発巨大事故、今何が必要か
2011年5月8日、原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日、CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 1-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 2-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 3-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 4-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 5-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 6-6
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演1-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演2-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演3-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演4-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演5-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演6-6
2011年4月21日、菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日、『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日、岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会①
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会②
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会③
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会④
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
内藤新吾氏による浜岡原発や原発の危険性の解説です。
 浜岡原発の不要性や国策により建設されたことを指摘、原子力発電所のしくみを分かり易く解説しています。
また、原子力発電所の冷却用再循環ポンプの脆弱性を指摘し、津波による事故を予測しています。
 2011年3月11日午後2時46分ごろに起こった東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を予測するような内容になっています。
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。1/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。2/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。3/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。4/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。5/5
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病1【ヒロシマ原爆体験】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病2【原爆で天井まで飛んだ】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病3【医療活動とぶらぶら病】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病4【1ミリシーベルトでも危険】
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間  2011年04月24日、原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ、肥田舜太郎医師と福島の女性


浜岡原発は14日に停止しました。しかし停止したから安全ではなく、原子炉から燃料棒を取り出さなければ、電源消失になれば福島と同じです。
 管総理は安全が確認されるまでとか言っていますが、冗談じゃないあそこは廃炉です。そして廃炉にしたところで核燃料プールに使用済み核燃料があるので時限爆弾をかかえている様なものです。
す)
 この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
 原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、すでに姫路第二発電所のコンバインドサイクル発電の様な大変高性能な火力発電所(進化を遂げる火力発電)があります。
これらを活用すれば、夏の電力需要に対して十分対応可能です。
 テレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人は核武装と原発利権が本音だと思います。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え〜って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

(司会)え〜ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」

(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
 
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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、身八っ口の止めと縫い

2011年05月19日 19時03分43秒 | 振袖
岩佐和裁の携帯用ホームページです。(ドコモ、au、ソフトバンク全てに対応しております)
着物の御仕立、お直しのお店岩佐和裁
現在水曜と土曜の午前11時から午後5時に和裁教室(というよりは和裁広場?)を開催して和裁をしたい方の手助けをしております。
 教科書等につきましては、現在市販されている和裁の本か公開したユーチューブ動画をテキストとして使用しています。
ご利用料金についてはこのブログやユーチューブの動画をご覧になるだけなら無料に、何らかの形で私が直接お手伝いをしたら有料になります。(料金は生徒さんと相談して決めています)
 参加希望の方はHPの和裁教室ページをご覧下さい。
I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、身八っ口1


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、身八っ口2


身八っ口は表と胴裏の脇縫いの身八っ口の縫い終わりをを二本どりの糸で止め、前身頃の身八っ口から表は折りの5厘上、胴裏はへら通りに止めの3分上より縫い始め、袖付のヘラの5分手前より表のみヘラ通りにして縫い止めます。
 後身頃の身八っ口は止めの3分上より返し針をして縫い始め、袖付の5分手前よりヘラ通りに戻します。
I sew 身八っ口miyatuguti.
SIDE OPENING calls it 身八っ口miyatuguti with a kimono.
It is a portion from the upper end of 脇縫いwakinui(SIDE SEAM) to 袖付sodetuke(attaching a sleeve to the body of a shirt).
Since it is difficult to write how to sew in English, please look at an animation.
Please contact me, if there are comment, a question, and a demand.
My mail address is info@iwasa-wasai.com.

追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実を正しく把握し、日本の原子力発電について考え行動する必要があります。
2011年5月19日、小出裕章氏:核燃料露出の1号機は既に人類未体験ゾーンへ
2011年5月19日、矢ヶ崎克馬氏:依然として最大の脅威は内部被曝のリスク
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏1
2011年5月17日、CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏2
2011年5月16日、「想定外」が許されない機械 小出裕章
2011年05月12日、小出裕章氏インタビュー、空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
2011年05月10日、衆議院第二議員会館、広瀬隆氏、福島原発巨大事故、今何が必要か
2011年5月8日、原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日、CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日、CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日、CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 1-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 2-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 3-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 4-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 5-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 6-6
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演1-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演2-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演3-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演4-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演5-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演6-6
2011年4月21日、菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日、『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日、岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会①
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会②
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会③
2011年3月27日、「ピカドンからの66年」肥田舜太郎先生講演会④
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告
内藤新吾氏による浜岡原発や原発の危険性の解説です。
 浜岡原発の不要性や国策により建設されたことを指摘、原子力発電所のしくみを分かり易く解説しています。
また、原子力発電所の冷却用再循環ポンプの脆弱性を指摘し、津波による事故を予測しています。
 2011年3月11日午後2時46分ごろに起こった東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を予測するような内容になっています。
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。1/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。2/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。3/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。4/5
2009年4月、浜岡原発の危険を語る。5/5
自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病1【ヒロシマ原爆体験】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病2【原爆で天井まで飛んだ】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病3【医療活動とぶらぶら病】
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病4【1ミリシーベルトでも危険】
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間
 2011年04月24日、原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマ、肥田舜太郎医師と福島の女性


浜岡原発は14日に停止しました。しかし停止したから安全ではなく、原子炉から燃料棒を取り出さなければ、電源消失になれば福島と同じです。
 管総理は安全が確認されるまでとか言っていますが、冗談じゃないあそこは廃炉です。そして廃炉にしたところで核燃料プールに使用済み核燃料があるので時限爆弾をかかえている様なものです。
す)
 この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
 原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、すでに姫路第二発電所のコンバインドサイクル発電の様な大変高性能な火力発電所(進化を遂げる火力発電)があります。
これらを活用すれば、夏の電力需要に対して十分対応可能です。
 テレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人は核武装と原発利権が本音だと思います。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え〜って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

(司会)え〜ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」

(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
 
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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、背とじ

2011年05月17日 18時26分58秒 | 振袖
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現在水曜と土曜の午前11時から午後5時に和裁教室(というよりは和裁広場?)を開催して和裁をしたい方の手助けをしております。
 教科書等につきましては、現在市販されている和裁の本か公開したユーチューブ動画をテキストとして使用しています。
ご利用料金についてはこのブログやユーチューブの動画をご覧になるだけなら無料に、何らかの形で私が直接お手伝いをしたら有料になります。(料金は生徒さんと相談して決めています)
 参加希望の方はHPの和裁教室ページをご覧下さい。
I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾廻し部分の背とじ


I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、胴裏部分の背とじ


裾吹きをきめて背縫いの表裏のきせ山を揃え縦方向にまち針をし、裏に返して裾より3寸くらいのところに表がややゆるくなるイメージでまち針をします。
 あとは胴接ぎ、衿付けのところにまち針をして背とじをします。
背とじの裾廻し部分は、裾廻しのきせ山と表の背縫いの縫い目が合わさる様にたいらにとじ、背縫い部分は胴接ぎ部分は胴裏をきもちゆるくして、のこりは胴裏を少しつらせ胴裏を地の目2、3本くらいを縦にすくい1寸くらいの間隔でとじます。
 この裾廻し部分で縫込みをきせ分だけずらすのは、たたみ易くする為です。
I sew a 振袖furisode(long-sleeved kimono).
There is Linig Spasification having Unlined in a kimono.
I wear Linig Spasification in winter and wear Unlined from late spring in early autumn.
This 振袖furisode(long-sleeved kimono) is Linig Spasification.
There is a stitch in PLEAT LINE of this long-sleeved kimono.
It is called the 背とじsetoji to sew PLEAT LINE of Garment Fabric and PLEAT LINE of Lining Fabric.
I am doing the 背とじsetoji.
Since it is difficult to write how to sew in English, please look at an animation.

Please contact me, if there are comment, a question, and a demand.
My mail address is info@iwasa-wasai.com.

追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実を正しく把握し、日本の原子力発電について考え行動する必要があります。
2011年5月17日CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏1
2011年5月17日CNIC News 東電福島原発解説 後藤政志氏2
2011年5月16日「想定外」が許されない機械 小出裕章
2011年05月12日、小出裕章氏インタビュー、空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
2011年05月10日、衆議院第二議員会館、広瀬隆氏、福島原発巨大事故、今何が必要か
2011年5月8日、原発は「地震や津波にも安全」なら許されるのか
2011年5月7日、チェルノブイリの避難ルールを基準にしたら、福島第一原発から80キロは希望すれば移住が認められる?!<日隅一雄>
福島第一原子力発電所から80㎞圏内の線量測定マップ
2011年5月5日、20mSvで健康被害があることを前提にした施策が求められる~鎖国に走る現政権<日隅一雄>
2011年5月5日 CNIC News 福島原発解説 後藤政志氏
2011年5月3日 CNIC News 浜岡原発について
2011年5月3日 CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
2011年5月3日 CNIC News 20ミリシーベルト問題 2/2
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 1-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 2-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 3-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 4-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 5-6
2011年4月29日(金) 終焉に向かう原子力 小出裕章氏講演 6-6
2011年4月29日(金) 明治大学アカデミーコモン内 アカデミーホール 終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演1-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演2-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演3-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演4-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演5-6
2011年4月29日(金)終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演6-6
2011年4月21日菊池洋一氏(元GE技術者・福島第一原発設計者)
2011年4月16日『被曝労働』白血病のため二十九歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母美智子さんが被ばく労働 について語ります。
2011年4月10日岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
2011年3月20日、小出裕章助教隠された原子力
20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告

自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
2011年3月19日、肥田舜太郎氏、低線量被曝とぶらぶら病1【ヒロシマ原爆体験】
2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間



浜岡原発は14日に停止しました。しかし停止したから安全ではなく、原子炉から燃料棒を取り出さなければ、電源消失になれば福島と同じです。
 管総理は安全が確認されるまでとか言っていますが、冗談じゃないあそこは廃炉です。そして廃炉にしたところで核燃料プールに使用済み核燃料があるので時限爆弾をかかえている様なものです。 
この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
 原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、すでに姫路第二発電所のコンバインドサイクル発電の様な大変高性能な火力発電所(進化を遂げる火力発電)があります。
これらを活用すれば、夏の電力需要に対して十分対応可能です。
 テレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人は核武装と原発利権が本音だと思います。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています) 
知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
()
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え〜って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾合せ

2011年05月13日 22時08分10秒 | 振袖
岩佐和裁の携帯用ホームページです。(ドコモ、au、ソフトバンク全てに対応しております)
着物の御仕立、お直しのお店岩佐和裁

ユーチューブに動画を公開して大分になりますが、はじめは動画の撮影と編集の勉強をするのが目的でした。
 私は母親が和裁をしていたので、和服を縫う光景を日常的に見ていましたが、今和裁をする人は少なくなっている様に聞きます。
まあ和服が普段着でなくなって久しくしかたがないのかもしれませんが、(私の祖父などは自分で洗張りをしていたそうで、伸子を持っていたそうです。)今や和裁をする光景は絶滅危惧種的な存在かもしれません。
 和裁の本もありますが、動画を編集して気がついたのですが、文字や写真と比べて動画の情報量は膨大です。
けれど人から直接教わる時の情報量の方がもっと膨大で、本来和裁は人から教わるのが一番です。
 現在水曜と土曜の午前11時から午後5時に和裁教室(というよりは和裁広場?)を開催して和裁をしたい方の手助けをしていますが、殆どの方は週1回の和裁で、それだけの時間で覚えるのは難しいみたいです。
和裁の教科書を作る事も考えましたが、すでに沢山のすぐれた和裁の本があるので、今のところ教科書が欲しい生徒さんにはそちらを買ってもらっています。
 和裁教室を始めて5年くらいになりますが、まだ形が定まっておらず、最近は定めないほうが独自色があっていいかも?と思いユーチューブだけではなくユーストリームによる中継もしようかと無謀な妄想をしております。
(先日、テスト映像の配信には成功しました)
今公開途中の振袖の作り方は地のしと裁断から撮影したので、これを袷の着物の縫い方の動画テキストとして使い、水曜と土曜の教室のアイテムとして利用しようと思います。
 ユーストリームの活用方法は和裁教室をライブ配信し電話と組み合わた中継和裁教室が出来ないか現在思案中です。
料金についてはこのブログやユーチューブの動画をご覧になるだけなら無料に、何らかの形で私が直接お手伝いをしたら有料にしようと思います。(料金は生徒さんと相談して決めるつもりです)
 参加希望の方はHPの和裁教室ページをご覧下さい。

I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾合せ1



I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾合せ2



I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾合せ3



I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾合せ4



I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾合せ5



I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾合せ6



I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裾合せ7



今日は振袖のまとめの裾です。
 表裏の素縫いが出来ましたら、まとめに入ります。
裾芯は大幅の胴裏を1寸幅に切って斜めに接ぎます。
 裾合せの縫いは縦縫いと褄下にまち針をして表地は折りの5厘上、裾廻しは2分5厘の通しべらのところを褄下より5分くらい内側から表地を見て縫います。(下前から上前方向に)
出来上がりが1分の吹きなので、褄のところは褄下より2分内側から表は裁ち切りより1分5厘に裾廻しは3分5厘ところに向かって縫います。(褄部分は上前から縫います)
 裾芯を裾の裁ち切りより1分かけだしてつりあいは平らにぞべでおさえ、表に返して表後身頃と前身頃に5厘のきせをかけて躾をします。
衽も5厘のきせをかけてぞべでおさえます。裏から平鏝を当てたら表に返して縦褄を縫い褄をあげます。
1分の太さに裾吹きを決め横とじをします。

I sew a long-sleeved kimono.
I sew the 裾suso of a kimono.
skirt=裾suso
The thickness of 裾吹きsusobuki is 1分bu.
1分bu=8mm
This iron is an iron of the kind of 鏝kote.
iron=鏝 kote
Since it is difficult to write how to sew in English, please look at an animation.

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追伸、福島の原発事故の影響は更に拡大しています。私たちはこの事実を正しく把握し、日本の原子力発電について考え行動する必要があります。
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2011年5月3日 CNIC News 20ミリシーベルト問題 1/2
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2011年4月10日岩上安身氏小出裕章助教授インタビュー
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20011年3月11日、福島原発事故メディア報道のあり方(広瀬隆氏)
2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会で石橋教授が原発震災を強く警告

自身も被爆され、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた「被爆医師」肥田 舜太郎先生のお話です。
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2000年9月9日、医師が見た被爆者の生と死~原爆被害、隠蔽と放置の12年間



浜岡原発はようやく停止しそうです。(停止したから安全ではなく、稼働中よりましという事です)
 この動画を見ましたら浜岡原発の真実が認識出来ると思います。
ストップ浜岡原発
しかし菅首相は浜岡原発以外の運転を停止する可能性については、「それはない。浜岡は大きな地震の来る可能性が特別に高い。特別なケースという位置づけだ」と否定しています。
 けれど福井県敦賀市の高速増殖炉の「もんじゅ」は深刻な状態(参考)高速増殖炉の危険な特徴
四国電力伊方原発九州電力川内原発は中央構造線断層帯上に、柏崎刈羽原発 柏崎千葉構造線断層帯に建設されています。
 総理や仙石副官房長官の言うように確率で地震の危険性を考えるなら、なぜ地震の発生よりもはるかに失敗の確率の低いロケットで放射性廃棄物を月などに捨てないのでしょうか?
それはいくら確率が低くても失敗した時のリスクが大きすぎるからです。
 ならば耐震性の脆弱な日本の原発の地震に対するリスクも同じではないですか!
国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、はたしてそうでしょうか?もっと扱い易い二酸化炭素の排出をクリアーした安全な発電システムも有り、夏の電力需要にしてもテレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人の言う事は信用出来ません。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
()
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
-----------------------------------
「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え〜って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

(司会)え〜ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」

(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
 
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I am explaining how I sew a kimono. 和裁、振袖、裏衽付け

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裏衿は下前の衿先より身頃を見て付けます。背中心より身頃の肩山と裏衿の肩山のへら、衽下り、衿先(糸が通った縫い針)にまち針をして、衿肩明と衽下り、衿先は裏衿をゆるく、背中心から1寸5分くらいと肩山から衽下りの間はたいらに残りの流れの部分は衽がゆるくなります。
 裏衿が高くなる様にきせをかけ、衿先の縫込みをおさえます。
衽下りの前たての縫込みを下にさげ、衿肩明の胴裏の付込みの縫込みを二つに折り糸でおさえ、その折山を鏝で伸ばします。
I sew a 裏衿uraeri.
I iron a 裏衿uraeri.
This iron is an iron of the kind of 鏝kote.
iron=鏝 kote
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国の財政で多くの借金を子孫に残す事を悪とするなら、処理の出来ない、冷却が出来ないと凄い危険物になる多量の放射性物質を残す事はもっと悪です。
 
原発のゴミを考える
原子力発電の経済性についても疑問が残ります。自民党の原発推進派、総理、仙石副官房長官、与謝野大臣などは更なる原発事故が発生し放射能汚染が拡大しても財政が健全化すると思っているのでしょうか?
 (2011/04/11)原子力発電のコストと電力料金について大島堅一立命館大学教授インタビュー by IWJ 岩上安身
生命体にとって猛毒な物質の中で生きる事は極めて困難です。ましてその中でヒトだけが健全な経済活動が出来ると思っているとしたら狂気の沙汰です。
原発を容認する人たちは電力需要の為といいますが、はたしてそうでしょうか?もっと扱い易い二酸化炭素の排出をクリアーした安全な発電システムも有り、夏の電力需要にしてもテレビ、大手新聞(グループ会社)民主党執行部、中曽根康弘氏など自民党の原発推進容認派の人の言う事は信用出来ません。(河野太郎氏は原発を明確に否定しています)
 知らない事は是認する事です。実際私もあの事故が起こるまで是認派でした。
兎に角、政府の発表やそれを伝えるテレビ局、その親会社の新聞社の情報には何かが欠落している様に感じます。
 私はそれらの不足分の情報をこちらから収集しています。
原子力資料情報室
岩上安身オフィシャルサイト
自由報道協会<ザ・ニュース>
家庭に影響する原発関連情報はこちらがお勧めです。
牧村しのぶブログ
たね蒔きジャーナル、2011年4月26日、広河隆一氏インタビューこちらも是非お聞き下さい。なおこの同じ番組に京都大学原子炉実験室助教小出裕章先生の福島第1原発事故の談話も納められてます
2011年4月26日、たね蒔きジャーナル、広河隆一氏インタビューの文字起こしです。
2011(H23)年4月26日(火)放送分の私の友人の広河隆一は長年チェルノブイリ事故現場にも精力的に取材してこられています。
フォトジャーナリスト及び、ディズジャパン編集長の広河隆一氏が今回の福島原発事故発生2日後の3月13日に現地に飛び込んで計測調査した時の報告とチェルノブイリ調査と比較した貴重な対談です。
以下は広河隆一氏の音声記録です。
チェルノブイリ事故を起こした旧ソ連よりも、日本政府の対応が如何にヒドイかが、チェルノブイリ事故と比較しながら具体的事例に則して語られています。是非お読み下さい。
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「こんにちは」
(司会)広河隆一さんはチェルノブイリ事故に取材にいらっしゃったのは何度くらいでしょうか?
「僕自身は勘定してないんですけれど、救援運動の知人によると、もう50回以上になると言っています。」

(司会)チェルノブイリ事故の事故から25周年の今日、この福島の事故について今広河隆一さんが体験していらっしゃるお仕事について、今はまずどんな思いでしょうか?
「えーと、まず自分の迂闊さというか・・・・そういうことを思っています。と言うのは、日本はこれだけの地震の国であるので、そこに原発を作 ると、そこに必ず地震が来ることになることを学者達は皆予想していて、その後津波が来ることも予測してた。それで事故が絶対起こるっていうことも、自分は 雑誌等で特集を組んでやったきたてんですけれども。でも、実際にそれが起こった時にどう対応するかっていうことを、何も持ってなかったわけなんですね。例 えば僕がいつもチェルノブイリの取材に持っていく放射線検知器があるんですけれど。それは100μSv/hまで計れるものなのですけれど。ところがそれを 持って今度は福島の原発の被災地の方へ行ったのですけれど。13日の午前中に行きましたけれども、その時の双葉町という一番近い町なのですけれども、そこ でその検知器の針が振り切れてしまったのですね。」

(司会)100μSv/hまでの針が振り切れてしまったのですね。

「ええ・・・・友達の持っていった1000μSv/hの針も振り切れたんですね。」

(司会)えっ?1000μSv/hの針も振り切れるということは・・・・
「はい。僕はいままでチェルノブイリの事故現場に今まで50回以上行ってたんですれでども、むこうではそんな事は全くなかったんですよね。僕 は自分の検知器だけで、これ位の放射線はあるから、じゃあ、ここでの滞在時間はチョット短めにしようとか、この場所はまだこれぐらいだからまだ大丈夫 だ・・・とか、五感で放射線は感じられませんので。だから全部機械を信じるわけなんですけれども。その機械が振り切れてしまうと、自分としてはもうどうし たらいいのかと、すっごい慌てふためいてしまうんですよね。そんな状況だったんですね。」

(司会)その時はまだ双葉町までは入れる状況でしたけど・・・その辺りの放射線とかの具体的なデーターとかを得ていらしゃったのでしょうか?
「いえ、政府も電力会社も発表してなかったんですね。それで我々もびっくりしてしまって、自分たちの機械が壊れてしまったのでは・・・・?っ て思ったんですけれど。原発に近づくにつれて、どんどん、どんどん数値が上がっていきますから。それである時点でむこうの役場の前まで行った時から、針が 全部振り切れてしまって全部使い物にならなくなってしまってましたから。ところが、我々だけじゃなく、そのことを知ずに地元の人が自転車で走ってきました から、また、バイクで走ってる人とかも一満いたんですよね。」

(司会)もう生活していらっしゃる普段の生活してる人とかがいたんですよね。
「ええ、いったんは避難地域になってますねど、念のため避難しなさいって言われてたので、そんなに大したことはないだろうと思って、その日は 天気も良かったので。事故から二日間ほど経って、皆ポケットに何千円かを持って、他には何も持たないで出てきてたから、じゃあ貯金通帳を取りに行こうって いうことで。あとは、ビニールハウスで花を植えてる人とかが、水をやらないと枯れてしまうっていうことで、そういう形で皆さん避難地域に入って来てたんで すよね。で、その人たちは被曝っていうことは全く知らされずに、そいうい数値は全く発表されませんでしたから、しなくてもいい被曝をしてしまったとい う・・・そういうように私は思ってますよね。」

(司会)そのとき広河隆一は町の人たちとお話しなどなさいましたか?
「ええ、それで、町で出会う人をとにかく全部止めて、この数値を示して、ここは今本当にこんなに危険な状態になっているからと説明し、そして 一旦退いて、また数値が下がったことが何かの形で連絡が入ってきてから、それからまた入って下さい、って御願いしました。そういう具合に町で出会った人た ちに言ってそこから出てもらうのと一緒に、僕たちもそこから出たんですよね。で、帰りの道を郡山まで走りながら、知らないから向かいからどんどん町の中へ 向かって車が町に入っていこうとして走って来るんですよね。その中には外国人労働者たちの車とか、中には子ども連れの人たちなんかもいたんですよね。」

(司会)はぁ・・・・子ども連れですか?
「はい。とにかく今はダメなんだ。ものすごい放射線が現在ありますから、って言って、それでその人たちを止めて、また子ども連れの人たちに は、そこの避難所に行くっていうので、しかも、そこの避難所にはもっと沢山の子供達がいるって言うので、それえ、そこの避難所に僕たちも一緒に行きまし た。子どもたちがいるその避難所のある町は川内村っていうんですけれども。そこでは皆にここは危険ですって言うとパニックになってしまいますから、むこう の責任者の副村長さんに、現在ここはこれこれの値の数値ですからって言って、ここの避難所には双葉町から来てる人も多いと思いますけど、そこへ戻ることは 今日は絶対危険ですからって、それから道には必ず検問を置いて、今日はダメなんだ。安全になってから通ってもいいんだって・・・・そういうふうにして欲し いし、出来たら皆さんもここから出て欲しいし、それが出来なかったらせめて子どもたちと妊婦だけでもここかだ出してあげて下さいって、そういうふうに訴え たんですけれど。」

(司会)その時の広河隆一の状況を毎日新聞の記者がお聴きして、その時の政府の発表が五時間遅れだったんですよね。13日の10時半過ぎに広 河隆一さんがそういう体験をされて、政府が1557μSv/hという発表をしたのが、実は午後3時頃だったんですよね。だから5時間くらい政府は放置した ままだったんですよね。驚くべき無頓着さって言いますか・・・・
「ええ。政府のほうは、とにかく放射線量が高いときに言えばパニックを煽るから、だからそれが下がった時に、一時高かったけれど、それが今は 下がりましたっ、ていうふうに言うっていう、そういう姿勢で発表してたんですよね。だけどパニックを煽るからって言って、状況を知らせずに、それで被爆者 を増やしてしまったら一体何のことかって思うんですけどね。」

(司会)実際にその避難所で情報を広河隆一さんがお伝えになった時に、皆さんはその場でパニックになられましたか?
「いいえ。僕はむこうの副村長だけを呼んで、こうこうこういう状況なんですって言って説明したんですね。そしてその副村長さんが深刻な顔をし てその放射線検知器の数値を書き留められて。そして僕はそこからまた別の田村市の責任者の人に伝えるためにまたそっちへ移ったんですけれど。二日後に新聞 を見たら、川内村の人たちは自主避難をしたって書いてあったので、すごくほっとしました。」

(司会)はぁ・・・・やっぱり正しい情報を、その場に応じた方法で、パニックにならない方法で伝えていくっていうことが難しいことですけれど大切なんでしょうねぇ・・・・
「ええ、難しいことですけれど大切なことだと思います。だけど本当に危険で大変な状況になったら、パニックになってでも逃げたほうがいいと僕は思うんです。」

(司会)チェルノブイリでいろんな人たちにお会いになられて、さまざまなものを見ていらしゃった広河隆一さんが、今の福島で今後どういうことが起こるのか、今後どうなるのか、どう考えていらっしゃいますか?
「えーと、将来の事は全く解りませんし、電力会社の人も政府の人も全く闇の中だと思いますね。明日何が起こるか解らないっていう状況だと思い ます。安心させるようなことを言っても、それに対する確信など、誰にも無いっていう状況だと思います。ただチェルノブイリ事故の場合と比較すると、政府や 電力会社や一部の学者たちが、いやチェルノブイリの十分の一しか放射線が出ていないんだ、安全なんだって言うようなことをおっしゃってますけど、僕にとっ てはチェルノブイリのもう十分の一もの放射能がもう出てしまったのか、っていうオドロキなんですよね。それは何故かって言うと、チェルノブイリの場合は、 セシウムだけをとってみても広島型原爆の少なく見積もっても500発、あるいは人によっては広島型原爆の800発分とか1000発分の放射能が出たって計 算されていますから、ですからチェルノブイリの十分の一っていうと、少なく見積もっても広島型原発の50発分の放射能が、もう出たっていうことになります よね。」

(司会)そういう計算になりますよね。
「ええ・・・・そういうふうに考えたら、これは本当にもう恐ろしい事態になっているんだって、そういうふうに思うんですよね。」

(司会)広河隆一さんのディズジャパンで書かれているレポートで非常に印象的な場面がありまして、20年前にチェルノブイリの被災地に行かれ ました時に、現地のソ連の方が飢えて死ぬより、10年経って癌で死ぬほうが良いって自分に言い聞かせて、自分たちの生産物を食べて、生きていくって、そう いうふうに言う人に出会ったって報道されてましたけど、そういうシーンが、今福島でも、何とか土地に残って生きていきたい!っていう、そういう願望を持っ た人達が今結構多いですよね。そういう福島の人たちがチェルノブイリの人たちと重なって写るんですけれども・・・・
「はい。チェルノブイリの現地と重なって写ることもいっぱいありますし、またチェルノブイリの現地ではこうしたのに、こちらの福島ではできないっていうようなことも一満あるんですよね」

(司会)はぁ・・・福島のこちらでは出来ないことって、例えばどういう事でしょうか?
「それは現地では避難を言う時に、子どもとか妊婦を、先ずその日の内に最優先させて避難させたんですね。まずその日の内にですが。その避難も 何回も分けて行われたんですけれども、10キロ圏では翌日にという具合ですけど。それから30キロ圏の人はもう少し日数が経ってから・・・6日後くらいで したけど、そいう具合でしたけれども、6日後に避難を発表した時には、とにかく子どもと妊婦を、まず先ず逃がしたんですよね。その翌日には大人を逃がすと いうふうに、そういうやりかたを取っていったんですよね。だからいつでも最優先は、妊婦と子ども、っていうふうにチェルノブイリでは決めていたんですよ ね。というのは、彼等は放射能の影響を一番受けやすいのが、そういう妊婦と子どもたちだっていうことが解っていましたから。ところが日本の場合は、全部、 数値の発表にしろ、安全の為の基準にしろ、これから影響が有りませんとうことの基準にしろ、例に出してくるのは、全部日本の場合は健康な大人の人を対象に したものばかりで、子どもも関係ない、妊婦も関係ないっていう・・・・そういう形で言いますよね。それって本当にオカシイですよね!」

(司会)はぁ・・・・
「ですから、そういう意味では、ああいう事態は大変だったのですけれども、人間の生命に対する考え方は、日本よりしっかりしていたんだ なぁ、って思います。でも、ソ連の中でも、確かに、論争があったんですよね。これをあまり大げさにしてしまうと、原子力産業にヒビが入るっていう形で、あ の頃も、皆大勢の人を避難させてしまったら、こんなに凄いかって皆が思ってしまって、かえってパニックに襲われるんじゃないか、そうなったら自分たちに とって得にならないんじゃあないか?・・・っていう具合で。それは向こうの旧ソ連の保健省の人たち、つまり人間の体を守らなければいけないっていう、そう いう人たちが、そういう考えにまず反対して、それから幾つかの科学技術部門関係の人たちとか、そういう人たちが、とにかくこれは逃げなくてもいいんじゃな いか、って言ったのに対して、住民の人たちの代表が、本当にもう泣かんばかりになって、喰ってかかって、とにかく自分たちにはこれだけの数の子ども達がい るんだって、とにかくすぐに、この子どもたちだけでも避難させてくれ!って・・・・要求して、それで翌日からチェルノブイリから、あるいはそのすぐ傍の地 域から、翌日に避難が決定したんですね。それでも決定は遅かったんですね。」

(司会:へぇ・・・・
「それでもそこの子どもたちから、沢山の甲状腺癌の子どもたちが、後で生まれてきますから。」

(司会:私はチェルノブイリは情報を隠すばかりで、非常に対応が遅れていたと、思っていて・・・それに比べて日本は、まだちゃんと情報が出ているのかと、思っておりましたが・・・
「それは全然違いますので、僕もビックリしました。僕は自分の目で、自分の検知器の針が振りきれるまでは、僕も半ばそうかなって、思ってたん ですけれども・・・・。なんでこんなに恐ろしい被曝で人々に伝えないんだ?・・・・って。そのことは、彼等は本当に知ってたんですからね。モニタリング・ ポストは停電のため、全部動かなくなっていた。それは確かかもしれない。しかし、僕が持っている程度の放射線検知器は、向こうに何百台もあるわけなんです ね。」

(司会)はぁ・・・・
「はい。」

(司会)チェルノブイリのさまざまな教訓の中から、今福島で出来ることって何でしょうか?
「まず、食べ物の放射性物質の見地ですね。僕はチェルノブイリの事故が起こってから一年ちょっと後で、ドイツの被災地にも行ったんですけれど も、そこでは一年経っても、二年経っても食べるものは何を食べていいのか解らない状況だったんですよね。それで政府や業者が発表する数値っていうのを、人 々は信用してなかったんですね。それで、自分たちの市民の手による食品放射能検知所っていうのを作ったんですよね。各都市にね。そこで例えばクリスマスが 近づいたら、乳製品とかチョコレートとか、各社の食料品を全部取り出して、どこどこで製造されたものは何Bq(ベクレル)あるっていう、そういう数値を発 表したんですよね。それを見て、お母さんたちが、ここのものは安全だから買おう、ここのものは買うのは止めておこうって決めていくっていう、そういうこと があったんですよね。だから、そういうような事は、今すぐ日本でも出来ることなんですよね。」

(司会)それから、今回は津波が想定外だったんだ!って言うふうに責任者たちは言っているわけなんですけれども、これについてチェルノブイリの現地を歩かれてどうでしょうか?
「ええ。岩手県の方を歩かれたらすぐに解ることなんですけれども、岩手県の道路には至る所に標識が立っていて、それは立派な標識で車からも良 く見えるんですけれども、津波浸水想定区域ここまで!とか、津波浸水区域ここから!って、そういうふうに大きな字で書いてあるんですよね。」

(司会)へぇ・・・・
「それで、ここまで・・・・って書いてある、その場所から先までは、見事に今回の津波は行ってないんですね。そこまではやられてはいますけどね」

(司会)へぇ・・・
「だから、今までの百年前の経験から、もう全部それは当たっているんですよね。ほとんど当たってしまっているって言ってもいい。だから、その 標識を作っていた人たちは、津波がどこまで来るかってことを想定してたわけなんですよね。だから、地震が来て、津波が来て、何かがやられるっていうこと は、いろんな人たち、地震学者の人たちとかが想定してましたから、だからそれを伝えたんだけど、それを信じようとしなかった人たちが、今、想定外だっ た、って言っているわけなんですよね。」

(司会)想定外なんかではなくって、想定したくなかった・・・・ってことなんですね。
「そういう事になりますよね。」

(司会)広河隆一さんが、今、国に対して一番求めたいと思われる事は、どういう事でしょうか?
「まず、とにかく、子どもと妊婦の人たちを守らなくてはいけないっていう事ですね。その為には、つまらない所で線引きなんかしちゃ、ダメなん ですよね。この間だの福島県の小学校の、子どもたちを通学させて良い、その小学校の数値の発表がありましたけど。あの基準値の数値を見て僕はビックリした んですけど。あの発表された数値を見て、え〜って思って、僕は自分の目を疑ったんですけれども。僕自身が、あの3・4μSv/hまでは学校に通わせても良 いっていう日本の政府が発表したあの数値って言うのは、僕がチェルノブイリの原発をいつも訪ねるたびに、そこから4キロある死の町になっているプリペア チっていう町があるんですけど、その町の中で計る数値とほとんど一緒なんですね。」

(司会)え〜ッ!4キロ地点の町と一緒ですか!
「そうです。だから僕も最初は自分を疑って、自分の間違いかって思って、何回も自分の計ったそういう数値を見直したり、チェルノブイリの現地 で撮影したビデオとか見直したりしても、やっぱり、間違いなくそうなんですよね。それで、あの死の町となっていて、誰もいないガランとして、そこの30キ ロ圏に入るまででも、18歳未満は一切入ってはならないし、大人でも特別な許可がなければ入ってはいけない、そして現在は住むことは一切禁止されている 町、そういう所に子供達を走らせて、勉強させているっていう、そういう事を日本は決めているっていう、そういうようなのが、今の状況なんですよね。」

(司会)はい!広河隆一さんの話しから解ることが、今日は幾つもありました。どうもありがとうございました。
 
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コメント (1)
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