ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

倫理条例だそうです。

2011-06-26 22:12:18 | 田舎の理屈
 伝聞だけに、いつも以上に考えています。

 隣の村で倫理条例なるものが検討されているようなのです。
 議員が村内の補助金を受け取る可能性のある組織の役員になってはならないのだそうです。それが議員としての倫理なのだそうです。

 ネットで調べてみたのですが、倫理とは「人として守り行うべき道ということで単なる思想ではなく行動面も重視される。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。」ということらしい。

 それでは議員とはいったいどのような認識なのでしょうか。
 
 「議員(ぎいん)とは、国や地方自治体に設置されている議会、及びその他の議決機関を組織し、その議決に加わる資格を有する者。原則として議員の選出は公選制であり、その国の法律の定めるところの選挙権を有する有権者による選挙によって選出される。なお、日本の公職選挙法の第10条では、被選挙権は日本国民が有するものと定められている。」
 各自治体で執行部が提案し、議決機関で審議し議決されて遂行されるのです。審議に加わるのが議員です。

 倫理条例なるものが必要だろうか。当たり前と言えば当たり前な言葉の羅列なのです。

 なぜそんなことを考えるかと言うと、倫理観がある方々が議員となっているはずだからです。さらに各地域に数多くの組織があることも承知しておりますし、成果を上げていないことも判っています。ただ議員がそれらの組織の役員にならなくとも、それらの議員に変わる人材が役員として必要な人材がいれば問題にならないのです。
 いないから問題になるのです。
 過疎の限界集落ばかりの山間僻地ばかりの地域に、リーダーは、そんなにいるはずもないのです。

 補助金を行政が出すと言うことは、地域にとって必要な組織なのでしょう。それならばそれらの組織の活動の成果について論議をするべきで、役員が議員であることを問うても仕方がないと考えています。

 ただそれらを含めて、倫理条例を必要とするほど、各議会は仕事をしていないと思うのですがね。
 議員が条例で議員自身の仕事や作業の密度を縛ることになる条例はいらないと思うねえ。
 議員さん。もっと仕事をしないと地域の問題は減りませんよ。
 なにしろたくさんあるんですから。
 そんな条例について考えるのなら、どうしたら町や村が良くなるのか考えた方が良いと思うなあ。

 反って、議員さんが役員であろうとなかろうと、補助金を出す、出さないということに影響があるなら、提案をする執行部なり職員のほうに問題がありますね。

 情報が伝聞ですから、正確さに若干の問題があるかもしれませんが、今の気持ちです。

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