いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

「たとへば君」~出会い~河野裕子のエッセイ①

2019-04-20 13:33:47 | 短歌


「たとへば君」

河野裕子のエッセイより。

昭和42年に、どういう機運でしたか
京都の学生たちが集まって同人誌「幻想派」を
立ち上げました。その第1回の会合が京大の
楽友会館でありました。
夏だったような記憶がありますが。
楽友開館というのは、京大キャンパスの中にあって、
大正末に建てられた趣のある古風な建物でしてね。
あの人が一番初めに来ていたらしくて、立って窓の外を見ていた。
私が入っていったら振りむいた。
それが初めての出会いだったと思います。
テーブルをはさんで、向かい合って座ったんです。
そして須田克太が描いたドクダミの表紙の「塔」の
8月号を渡された。
そのとき、向こうは私のことを生意気な奴だと思ったらしいんですよ。
私も、なんて生意気なんだろうと思ったから、
お互いに生意気だと思ったんですよ。

たとへば君~永田和宏と河野裕子の相聞歌①~

2019-04-20 13:13:43 | 短歌


永田和宏と河野裕子は、
永田が京都大学の学生20歳
河野が京都女子大学の学生21歳の時、
京都大学短歌会で知り合った。
その後も愛を保ち続け、結婚する。

そして、ふたりとも歌壇の頂上までのぼりつめた。

河野が64歳で逝くまで40年間、
2人は相聞歌を作り続け、
各々約500首を捧げた。

エッセイ集「たとへば君」に、主要なものが
書かれている。

恋愛絶頂期の歌とエッセイを見てみる。

……

たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらっていってはくれぬか
                             河野裕子

君に逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり
                             永田和宏

山本五十六は、博打の天才であった

2019-04-20 08:34:03 | 読書


元・元帥、連合艦隊司令長官の博打好きは
有名である。
年がら年中麻雀とポーカーとブリッジをやっていた。
カジノに行っては、
見事に稼いできた。

その必勝法とは?
我慢と根気以外にない。
と言う。
確実に20%稼いで、
それを続けるのである。

この方法を部下の溝田が実践した。
ロンドンに行った帰り、
カジノで稼いで、

ホテル代、
船賃
食費

すべてをまかない、まだ余ったそうである。

名歌鑑賞29 河野裕子のイタズラ猫トム

2019-04-20 08:17:07 | 短歌


河野裕子の家では、
猫を2匹飼っていた。
一方は、いつも寝てばかりいて、
人懐こしいフー。
一方は、家にいつかない
放浪トム。

トムは、しょっちゅう出かけては、
しばらく帰ってこない。
盛んにけんかしているらしい。

それでも、
飼い主の恩はよく知っているようで、
河野が病気で寝込んだとき、
お見舞いにネズミを布団のところに
置いていった。

その、トムがケンカで怪我をして帰ってきたときの歌。
動物病院の診察券の名義は、「永田トム」になっている。

……

永田トムの診察券を出して待つまたケンカして血みどろのトム

与謝野晶子の世界⑨~黒髪~

2019-04-20 06:59:33 | 短歌


与謝野晶子は、数詞を含んだ歌を多く作っている。
そのなかでも、とくにすぐれた、名歌がある。

歌集{みだれ髪」
にある、次の歌である。

……

その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

「その子二十」の初句の字余りにみずみずしい迫力がある。
「その子」とは、作者自身のことであり、二十歳の青春真っ盛りの
自らのことを「櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
と褒めたたえている歌なのである。

与謝野晶子の世界⑧~ファッション、洋装~

2019-04-20 06:43:24 | 短歌


与謝野晶子は、ファッションリーダーであった。
洋行するまでは、着物で通していた。
ところが、与謝野寛と、フランスにしばらく滞在するうち、
洋装の良さを、しみじみ実感する。
体の線は自然にでるし、体をしめつけられない。

また、フランス女性が流行を追っていると言っても、
それぞれに、最も似合う様子を選んでいることに感服した。

帰朝して、洋装をすることが多くなった。
与謝野晶子は、ファッションリーダーだったのである。

……

朝を細き雨に小鼓おほいゆくだんだら染の袖長き君

紅梅に金糸のぬひの菊づくし5枚重ねし襟なつかしき