いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

河野裕子の歌②~蝉声②~

2019-04-29 22:34:25 | 思い出の詩


河野裕子の歌は、最晩年、挽歌といっていいものになった。
長い間の闘病生活の間に鍛えられた。
切々と、家族に感謝し、生き続けることを祈る。
思い病状を隠さず歌にしている。
歌の中、「君」は、夫の永田和宏である。
……

一日に食いたるものは桃一個スイカひときれ牛乳一杯慎ましきかな

夫につかまり草庭の草庭眺めゐる一分も立てばよろよろとして

肩でする呼吸の辛さ失ひし乳房をよすがに呼吸するものを

すざいゆく蝉声の中にへまなやつも二つ三つゐる落ちながら鳴く

残さるるこの世どうせうと君が呟くに汗にぬれたる首をなでやる






















河野裕子の歌①~蝉声より~

2019-04-29 20:14:54 | 短歌


河野裕子の歌。
河野裕子は、54歳で乳がんにかかり、
大手術を受ける。
手術は成功したが、
もし再発したら、余命はいくばくもなくなる。
そして8年後、再発してしまった。
「蝉声」は、最晩年の歌集である。

病床にあって、それでも河野は歌を作り続けた。

……

ひと月も咲き続けゐる立葵あなたはよかったわねわたしの庭に来て

持久戦にもちてゆくより他はなしミルク半分をめつむりてのむ

子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終わる日にたちかえりこむ

いついかにこの世を出でゆくこの身かと痛めるまぶたをしばらくおさむ



























河野裕子の歌①~蝉声より~

2019-04-29 20:14:54 | 短歌


河野裕子の歌。
河野裕子は、54歳で乳がんにかかり、
大手術を受ける。
手術は成功したが、
もし再発したら、余命はいくばくもなくなる。
そして8年後、再発してしまった。
「蝉声」は、最晩年の歌集である。

病床にあって、それでも河野は歌を作り続けた。

……

ひと月も咲き続けゐる立葵あなたはよかったわねわたしの庭に来て

持久戦にもちてゆくより他はなしミルク半分をめつむりてのむ

子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終わる日にたちかえりこむ

いついかにこの世を出でゆくこの身かと痛めるまぶたをしばらくおさむ



























新しい詩⑥__啼け!

2019-04-29 18:32:18 | 

__啼け!

おお、今こそわたしは啼くであらう。

__啼け!
__よろしい、私は啼く。

そして、啼きながら私は飛んでゐた。飛びながら私は啼いていた。

__ああ、ああ、ああ、ああ、

__ああ、ああ、ああ、ああ、

風が吹いてゐた。その風に秋が木葉をまくやうに私は言葉を撒いてゐた。
冷たいものがしきりに頬を流れてゐた。

英語が得意なあなたへ~次の短歌を英訳できますか?~

2019-04-29 18:19:37 | 短歌

(問題)

「この味がいいね」と
君がいったから
七月六日はサラダ記念日

俵万智

(答え)

Bcause you told me,
"Yes," that tasted pretty good,"
July the Sixth
shall be from this day forward
Salad Anniversary.

Machi Tawara

山本五十六、女になる

2019-04-29 08:45:27 | 人生


元・元帥山本五十六。

彼が海軍将校であった頃、

ある先輩が、
重病になった。
看病の妻、徳子がいないと、
とたんに機嫌が悪くなる。
徳子は、寝食を忘れて看病し、
疲れ切っている。
このままでは、夫婦共倒れになる。

徳子さんが倒れるのを防ごうと五十六は一計を案ずる。

意識のぼんやりした病人のそばに座った。
かつらをかぶり、徳子の着物を借りて。
病人は、それに気づかず、
徳子がそばにいると思っているようで、
意識もうろうの中、
横になっていた。

時間稼ぎをし、
徳子は充分休養を取り、
再び看病して、
夫が回復するまで、
支え続けたのであった。

名宰相鈴木貫太郎の「死んだふり」

2019-04-29 08:26:05 | 人生


鈴木貫太郎といえば、
日本を第2次世界大戦終戦に導いた名宰相である。
海軍出身で、
海軍次官
侍従長
などを務めた。

226事件当時、政府の要人であった鈴木は、
自宅で
反乱軍に襲われ、
鉄砲を撃ち込まれて、
倒れ、生きて絶えたように見えた。

そばにいた夫人が、
「もう老齢だから、これ以上撃ち込まないで下い」
と頼むと、
反乱軍は引き上げた。

すると、
死んだはずの鈴木貫太郎がむっくり起き上がった。

「もう行ったかい?」


政府要人のはからいで、
すでに救援医療隊がかけつけていた。

治療を受け、
鈴木貫太郎は、
九死に一生を得た。

彼が生きていなかったら、
日本は、戦争をやめず、
アメリカの本土上陸、
厳しい攻撃に、侵され、
ゲリラ戦になり、
国は消滅していたかもしれない。