苦しがって悶えるような時間の経過がヤングの時より苦痛で過ごさなくなれたのは、そこが要る時間であって、苦しんで出したことも成果という本当さがわかるから。
気分よく出す成果も、苦しみ悶えて出せた成果も、外野にはただ成果でしかない。
自分の内面の状態は一人芝居でしかない過程。過ごせて方は産みの苦しみなだけで、当人の悶えはそうしてる他のない有様なだけ。
ざっくりいうなら「それでいい」んだろう。
心底悩むし胸が張り裂けんばかりに苦しみ抜くが、そうする他ないほど切迫してるのも自分としたのだから、請け負うのです。
しなけりゃそこは苦しまないが、心と事情がそれを「許し難い」としてるのも当人。その度合いが「許し方」ほどなのもおー、そう位置付けた自分。