自分サイドの「こうしたい」という貫きたがる気持ちが枷になるときがあります。
相手が自在さを喜べ、自らがひらきたがる心地を享受する刹那ならひとしおです。
何か伝える時は特に「上手くさせたい気持ち」が逸りだしがちになります。
これに振り回されると「上手くなる」より重要な感性に阻害がある要に差し支え干渉が出てきもします。
個々のみなさんのたぎりの方が重要です。
そここそが人を自らの威力で、遠くまで運ばせる足取りを培います。
外野の欲望より、ご当人の大きく踏み出せる足取りへの助力の方が本懐というものです。
小手先のテクニックは色褪せますが、初期に疼いた「嬉し出せはじめた」なにかは水際だって鮮度を維持します。
その踏み出せの礎石に踏み台の石ころの一個であれればいいなって思うのです。