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ジャッジ盲信教信者に捧げる解脱のヒント

2012年05月08日 | フィギュアスケート

ちょっと挑発的なタイトルなので、どこかから噛みつかれるかもしれませんが(笑)至って真っ当なことしか書きませんので、

これでカチンとくる方はおそらく洗脳されている方だと思われます。

はじめにプロトコルありきではなく、演技があってその後プロトコルが出されるものなのだということ、また採点不信は何も

シロウトだけが訴えていることではないことを頭においてからご一読下さると幸いです。

 

1.元ジャッジ(経験者)や関係者からもれる公正なジャッジングを否定するエピソードをどう受け止めますか?

これは捏造ではなくて、至る所から山ほど出ていますので例をあげようにも枚挙にいとまがないのですが。

たとえば「アイスダンスはあらかじめ順位が決まっている」「まともにジャッジしているのは10%程度」

いずれも元ジャッジ経験者の発言です。

 

2.ジャッジ盲信派に多い症状ですが、採点に疑問を呈する人々を特定選手のファンだと決めつけるのはなぜでしょうか?

特に浅田選手のファンだと決めつけるジャッジ盲信派が多いですが、逆説的に言うならばそれだけ浅田選手になされる採点がいつもおかしいと

肯定するようなものです。まさに墓穴掘りとしか言いようがありません。

 

3.所詮人間の作ったものです。システムに完ぺきという評価はつけがたいでしょう。ましてや運用するのは人間。

大会ごとに基準が大きく異なることを鑑みても、欠陥が明らかだと思いませんか?

 

4.それでもジャッジが絶対、正しいと絶大な自信があるのならば、あるいは誇りを持って採点を行っているのであればなぜ、

旧採点時代のように国名を表示しないのですか? それともできない都合があるのですか?

 

これらの疑問は他にも抱いているファンはいるものと推察しています。しかし理詰めで攻めると、なぜか今度はジャッジ盲信派は

情に訴えることがあります。

曰く、ジャッジはほとんど手弁当に近い(無報酬に近い)状態で仕事をしている(だから文句を言うな!)

――それがどうしましたか? ボランティアに近いジャッジなら、どんな採点をしてもいいとでも?

選手たちとてアマチュアとはいえ、文字通り人生をかけて真剣に競技に臨んでいるのです。

主に日本の企業を中心に、山ほどスポンサーが付いたうえで大会運営をしておいて、ボランティアだから文句を言うななどという

擁護を受ける競技など他に聞いたことはありません。

むしろそのような擁護を受けたら、他の誇りある競技の審判はひどくプライドを傷つけられることでしょう。

八百長で有名な相撲ですら、行事の他に親方衆が土俵際ですべての取り組みを見守り時には物言いをつけます。

プロとアマチュアは違う? それは「詭弁」と言うのですよ。五輪競技に名を連ねる競技であればそんな詭弁は通用するでしょうか?

文句を言われたくなければ誰しも納得する採点やシステムをなすべきですし、そうでないなら下野して草野球の審判でもなさってはいかがか。

もっとも純粋な少年たちにもお断りされかねませんが。

 

そもそも、明らかにルールを知らない人やただ論拠なく文句をつけたい人などごく限られた例外を除いては、判定に異を唱えることに対し

タブー視する方がよほど不健全な在り様ではないでしょうか? 他の競技でファンが採点に不服を言ったからと言って、言論弾圧にかかる例は

見たことがありません(もちろんフーリガンの制圧のようなものは除きますが)

フィギュアスケートはそのような風通しの悪い競技体質だからこそ、いつまでも疑惑がささやかれ、そっぽを向かれ始めているのです。

今、大きなアリーナを満員にできるのは日本くらいです。欧州はもとより、北米でも空席の目立つ状況になったのは、サイレントマジョリティーの

無言の訴えであることを、ISUとジャッジ、そしてジャッジ盲信派にもう一度考えてみていただきたいものです。