パエ-リャ

木製カトラリ-

パエ-リャの旅行記 - ボルネオ北部 サバ州

2015-02-13 17:10:32 | Weblog
ボルネオは巨大な島だ。

北部のコタキナバルから反対側のサンダカンまで車で10時間程かかると運転手が言っていた。で、キナバル山の行き帰りの車で理解できたのは、ボルネオが山また山の土地だと言う事だ。平らな土地はほとんどないだろう。然も、その山の高さが半端ではない。どう見ても全て2000mはある。

高樹のぶ子が故郷の山口の山々を指して「重畳」と連なると言ったが、まさにその通りで、見える限りの山を更に1000m高くしたと思えば間違いない。彼女にとって越えるべき存在としてあった山々を、あれだけの高さなので、余程の事がなければ越えられなかったのがボルネオの原住民だと思う。

山岳ガイドの話ではサバ州だけで38の異なる言語を話す部族がある。越えられない山に囲まれて孤立すれば、当然そうなるだろうし、近親交配も当たり前になるだろう。幾つかの民話が意味するように、古来の日本で旅人の新しい遺伝子を求めたように、他の部族を襲う事にもなるだろう。結果的に首狩りの風習も始まったのではないか。

で、ボルネオの必要な主要道路は全て完全舗装されているように見えた。途中、ポ-リン温泉とか、枝道にも入ったが、其処でも道路は舗装されていた。基本的には日本と変わらない。道路際にはドリアンとか、熱帯の果物をわんさか積み上げた臨時店舗もあるし、通常のドライブイン的な場所もあるが、間が日本と比べて最低でも5,6kmは開いている。

ポ-リン温泉で不思議に思ったのは、よくもこれだけ深い所に日本軍が入り込んだ理由だった。判らない、多分コタキナバルとサンダカンを結ぶ必要があったのだろう。今でも東西方向の道路は1本しかない。

更に不思議な事は、蚊に出あわなかった事だ。ジャングルにもリスは沢山いたが、蚊は見かけなかった。カブトムシやげっこうも見たが、蚊は一切見なかったし、蛇も見なかった。幾ら季節が冬だと言っても30度近くはある熱帯なのに、とても不思議だ。スコ-ルにも逢わなかった。これも冬のせいかも知れない。本格的なスコ-ルを経験したのは5月のシンガポ-ルだった、そう言えば。。。








パエ-リャの旅行記 - キナバル山と公園近辺

2015-02-13 15:46:29 | Weblog
キナバル山はコタキナバルから車で約2時間の所にある、4095mの独立峰だ。森林限界は約3700mで、その上は花崗岩の岩山、鎖場ではなくロ-プ場になっている。


実際上、自分でレンタカ-で行くか、あるいは日本でツア-に申し込むか、あるいは現地ツア-に参加しないと登山口に到達することも出来ないだろう。2時間もタクシ-に乗ったら高いものについてしまうし。。。他にもいくつか問題点がある。キナバル公園の内部にある公園事務所で出会った日本人二人組の話も総合して、以下に問題点を記述する。

彼らは麓のホテルに前泊せずに、コタキナバル市内のホテルから公園事務所に直行して登山を始めた。それが正解だと思う。公園事務所には他にも多くの登山者がいたが、私のように公園事務所近くのホテルに更に一泊する人は皆無だったと思う。私の泊まったホテルには他には誰もいなかったので、そのような推測が可能だ。

然も、私の泊まったホテルは非常に設備的にも、食事的にも劣悪なホテルで、然も、国道沿いの、周りには何もない所だったので時間を持て余す事、おびただしかった。近くには似たようなホテルが数軒あったが、いずれも公園の敷地の極わずか外にあるだけが取柄で、然も全て閉まっていた。

なので、どうしても麓で一泊したいなら、公園内にあるリゾ-ト・ロッジが望ましい。その必要は絶対にないが、少なくとも歩いて植物園には行けるし、色々な施設で時間を潰す事が出来る。

更に、標高3500m付近にある山小屋だが、数軒あるようだ。自分が泊まったのはそのうちの最大の山小屋で、設備的には不足はなかった。4人部屋に入れられてしまったが、特に問題はなく、夜中の2時まで仮眠するだけなので構わないし、個室もある。通常、登山の再開は夜中の2時半だが、暗くてすぐ嫌になった。

ガイドの話では大抵の日本人は同じ山小屋に2泊して、明るい時に登山を再開すると。それが正解だと思う。私は日本でツア-全体を予約したので、そんな話は全然知らなかった。非常に後悔している。

2泊すれば高度にもなれるし、山小屋の周辺の散歩も出来るし、滑落の危険性も減るし、朝方の結氷に悩まされることもないし、良い事だらけだと思う。幸いにガイドの話の高山病の症状は出なかったものの、夜中の再開時に一時、目がちらちらしたのも、ある程度の症状なのかも知れない。

で、登山そのものだが、初日は山小屋まで徒歩で2kmの高低差をカバ-するわけで、八ヶ岳などの、車で途中まで上がって、駐車場から残りのわずか数百メ-トルを登るのとは訳が違う。もっとも、アメリカ人で80才の人も登っていたので、体力次第の面もある。山小屋泊りの後、直ぐに森林限界を突破して岩山のロ-プ登りが待っているので、相当の覚悟が必要な事は間違いない。

途中の休憩所には水洗トイレが完備してあって、リスが沢山いる。但し、森林限界の上には休憩所はない。頂上が近いせいもある。休憩所にはゴミ箱は完備していて、下りのガイドが中身を下まで運ぶ規則になっている。富士山などとは異なり、道にはゴミはない。インタ-ネットは登山中にも使えるので、私も途中で東京にメ-ルを送れたし、電話の着信もあった。基本的には変な登山で、下の方では熱帯のジャングルを歩くし、気が付くと雲の上、霧は出るし、雨も降るし、それでいて特に寒くない、変な登山になる。

山小屋の食堂は半分以上欧米人で占められているので、まあまあ食べられる食事がビュッフェスタイルで出て来る。但し、酸素のキャニスタ-は売ってない。ガイドの話ではコタキナバル市内のスポ-ツ店で求める事が出来るそうだが信用出来ない。山小屋で売っていて当然と思うからだ。

一度に山に入れる人数は管理されている。それぞれ首に認識票をぶら下げるので、事故の時にも対応しやすいと思われる。ガイドの利用は強制で、私の場合、1対1だったが、グル-プのガイドも多かった。費用を払えば、荷物を運ぶポ-タ-も別途雇う事が出来る。出会った日本人たちはそうしていた。

パエ-リャの旅行記 - ボルネオの伝統文化、 アピアピ村

2015-02-13 14:34:49 | Weblog
一晩、ツア-で民族村?的な場所に行ってみた。確か、アピアピ村と言っていた記憶がある。市内から車で小一時間の場所で、標高は高くない。基本的には竹で殆んど全てが出来ている村で、インドネシアと非常に似ていると思う。

ボルネオもそうだが、東南アジア旅行の問題点は、時々自分が今どの国にいるのか、瞬間的に分からなくなる時がある。多分、どの国でも人種が混ざっているのが最大の理由だと思う。そもそも売られている土産物までそっくりだし。

で、アピアピ村は首狩り族の村で、天井から本物の頭骨が戦利品としてぶら下がっている。踊りも見たが、どう見てもインドネシアにそっくりだった。で、村に着いた時に、入口の門柱で最初に目を引いたのが頭にかぶる羽根飾りだった。アメリカ・インディアンそっくりの羽根飾りで、安っぽい真似をしていると思って、即嫌になったが、話を聞いてみると、完全に昔から部族に伝わる伝統的なものだった。

だから、アメリカ・インディアンの祖先は東南アジア経由で北アメリカに渡ったと現在では思っている。

同様に、首狩りの風習もインドネシアから広まったと私は思っている。その風習は、北アメリカは違うかも知れないが、台湾を経由して日本にも伝わっただろう。だから、日本人も東南アジアからやって来たのだと推測できる。

ボルネオでの首狩りの理由は、恐らく遺伝子の獲得のためだと思う。登山ガイドの話からの推測だ。その背景にある地理的な理由はキナバル山の時に触れる。

いずれにせよ、首狩りの風習はインドネシアから広まったのだろう。台湾では高砂族の首狩りが有名だし、その子孫に、超有名人の台湾女性歌手、ア-メイがいる。そして、彼女はとても美人だが、アミアミ村にも美人がいて目を引いた。

首狩りは、考えて見れば鎌倉時代以前から日本でも行われている。敵を倒した事の証明に(アミアミでも同じ理由だ)、時には遠隔地で取った首を塩ずけにして首実検のために運んでいる。つまり、首狩りの風習は東南アジアからボルネオ経由で台湾へ、最後に日本まで行き着いたと推測できるし、それと同時に東南アジアから遺伝子も日本へ伝わったのだろう。

後は、酒と武器、酒は単純な発酵酒と蒸留酒もあった。実際に飲んでみたが、どちらも洗練されていなかった。つまり、不味かった。その一方、てんぷら的なものも、パン的なものも美味かった。ただし、相当最近の伝統料理の気がしたが。。。

で、武器の吹き矢だが、竹ではなかった。考えてみると当たり前で、口径が一定でない竹だと途中で引っかかってしまうので、「ボルネオ鉄の木」を使い、熱した鉄棒で穴を開ける方法だ。ボルネオ鉄の木は私もカトラリ-の材料として使ったことがある。比重が1を超えるので最近は使ってないが、戦時中は東南アジアの日本軍が戦車のギアの応急修理に使った程、硬いものだ。

後は、特に覚えていない

パエ-リャの旅行記 - コタキナバル市内と直近の島

2015-02-13 10:08:16 | Weblog
コタキナバルも小さな街だ。市内に鉄道などはない(郊外に観光用の鉄道はある)ので、移動はバスかタクシ-しかないが、歩いたほうが余程早い。空港から車で10分位だろう。半島のKLにならってKKと呼ぶことも多い。英語は通じる。空港は台北の松山空港と同じ位の大きさだ。

地形的にはコタキナバルの繁華街/中心部は海と、海辺(中心部は全てコンクリ-トの岸壁)に平行する、恐らく標高50m程度の、私が山の手と名づけた低い丘に挟まれた細長い場所で、岸壁から山の手までは、歩いて5分程だろう。距離的に言うと、2kmx500mだと思う。とても小さい。

海沿いは、一方の端の「Fisherman's Wharf」的な場所から、他方の端の「Jesselton Point」と言う波止場まで歩いて20分も掛からないと思う。その海沿いの中間にとても大きな野菜や魚の市場がある。

野菜市場では、イスタンブルのエジプシャン・バザ-ル等と異なって、乾燥品でなく、生の香辛料が山のように積み上げられている。トルコのは東洋から船でイスタンブルに運ぶ途中で乾燥したのだろう。市場面積はとても広いが、朝9時頃に行くと、前日の賑わったすべてのスト-ルは撤去されているので、熱気で乾いた地面には清潔感がある。

因みに、みやげとして空港でボルネオの胡椒を求めた。

街中にはショッピングモ-ルや映画館、ホテルなどが沢山ある。後、セブンイ・レブンや、独自のコンビニ、中華あるいはインド系レストランは多く見られたが、マレイ系は少なく、「ボルネオ 1」と言う綺麗な大型ショッピングモールには日本のすし店も見受けられた。基本的には観光客が突然必要とするかもしれない物は全て手に入ると思えば良い。

トイレは有料で、モ-ル内部でさえ、20円硬貨か、30円硬貨相当を取られるが、1MR紙幣を出すとチャンとお釣りをくれる。入口に机があって、値段が表示され、徴収人がいる。馬鹿馬鹿しいシステムだが、ないよりはましだろう。

観光客にとっての大きな問題は道路の渡り方で、横断歩道はない、厳密に言うと市内の一番海側の大通りの数か所には横断歩道があるが、歩行者用の信号は完全に無視されている。市民は普段、車の状況を見ながら好きな処で道路を渡るので、車が来なければ歩行者信号も無視されるのは当然だ。ある意味では停車に伴う排気ガスを考えると合理的だと思えた。

歴史的建造物はあると言えばあるし、ないと言えばない。そもそも、日本軍の基地だったので爆撃されて、大したものは残っていない。矢張り、観光の目玉は市場と、海鮮レストラン、後は島だろう。手近かな島は連絡ボ-トで片道15分程度、往復料金は1500円程度で、島にはロッカ-や屋外シャワ-、レストランなどがあって、極普通に野生のイノシシやオオトガゲが出て来るが、危険性はなく基本的には手ぶらで行って問題は出ない。

ガヤやセピ、マヌカンなどの、すぐ沖合の島に行くためにツア-に加わると200MRは取られるが、自分で波止場に行って船の料金を払えば40MRで済む。但し、郊外以遠の場合に関しては別途、記述する。波止場はジェッセルトン・ポイントと呼ばれていて、ビ-ルを飲んで人通りを眺めているのには最高の場所だ。

また、同じ波止場から往復60MRで隣国のブルネイ行きのフェリ-も出ている。パスポ-トを持ってランチに行けるので、一度は行ってみたい。市内のタクシ-は高いのか安いのかよく解らない。最終日には来年の冬に借りる積もりのコンドミの下見で、1時間ばかり貸し切り状態になってしまったが、最終的に払ったのは125MR(約4500円)なので、安かったような気もするし、よく判らない。

KKで船をチャ-タ-して半日(200MR)ほど釣りをしてみたが(偶然見つけた釣り道具屋に入って交渉してみた)、どの船も魚探を装備していないので青物は狙えない。餌は店の子供と一緒に魚市場に行って、小エビを一掴みほど買って、5MRだった。

探せば魚探付の船もあるのだろうが、今回は偵察なので底魚で我慢した。魚信は多かったが、釣れたのは2匹のみ。熱帯なので海水温は非常に高い。手を入れると25度以上は確実にある。釣り場は港に一番近い島のすぐ沖合いで、その島には大規模な水上が見える。

この水上のある島とコタキナバルの岸壁との間は小舟でわずか5分程度の距離だが、海は極めて浅い。2m位しかない場所も多く、海底が見える。水は透明ではないが、心地よい色をしている。サピ島のジェティ-近辺の海も透明ではない。かと言って、濁って汚れている訳でもない。ヒスイの薄緑色と呼べば一番正解だろう。

単に海の透明度だけで言うと、沖縄や小笠原の方が遙かに綺麗(透明で岸壁から熱帯魚が見える)だが、KKの海も決して汚い訳ではない。単に、比較の問題で、ヒスイ色の熱帯の海の良さは確実にある。逆に言えば、ブイのフェンスで囲まれた島の海辺の範囲では魚も見えないかも知れない。

見た感じ、スキュバも盛んだが、「Sea Walk」と呼ばれるヘルメット潜水に関心をより持った。

さて、今回の主要目的はKKから車で2時間ほどのキナバル登山だったが、森林限界を超えると急傾斜の花崗岩の岩山で、朝方には結氷するので、ある程度危険な山だと思った。実際、私の登頂の前日、日本人が頂上付近で滑落して足を骨折、病院に担ぎ込まれたが、台湾の航空機事故のため、話題にはならなかったようだ。

KK郊外、および以遠に関しては別の記事になる。