ボルネオは巨大な島だ。
北部のコタキナバルから反対側のサンダカンまで車で10時間程かかると運転手が言っていた。で、キナバル山の行き帰りの車で理解できたのは、ボルネオが山また山の土地だと言う事だ。平らな土地はほとんどないだろう。然も、その山の高さが半端ではない。どう見ても全て2000mはある。
高樹のぶ子が故郷の山口の山々を指して「重畳」と連なると言ったが、まさにその通りで、見える限りの山を更に1000m高くしたと思えば間違いない。彼女にとって越えるべき存在としてあった山々を、あれだけの高さなので、余程の事がなければ越えられなかったのがボルネオの原住民だと思う。
山岳ガイドの話ではサバ州だけで38の異なる言語を話す部族がある。越えられない山に囲まれて孤立すれば、当然そうなるだろうし、近親交配も当たり前になるだろう。幾つかの民話が意味するように、古来の日本で旅人の新しい遺伝子を求めたように、他の部族を襲う事にもなるだろう。結果的に首狩りの風習も始まったのではないか。
で、ボルネオの必要な主要道路は全て完全舗装されているように見えた。途中、ポ-リン温泉とか、枝道にも入ったが、其処でも道路は舗装されていた。基本的には日本と変わらない。道路際にはドリアンとか、熱帯の果物をわんさか積み上げた臨時店舗もあるし、通常のドライブイン的な場所もあるが、間が日本と比べて最低でも5,6kmは開いている。
ポ-リン温泉で不思議に思ったのは、よくもこれだけ深い所に日本軍が入り込んだ理由だった。判らない、多分コタキナバルとサンダカンを結ぶ必要があったのだろう。今でも東西方向の道路は1本しかない。
更に不思議な事は、蚊に出あわなかった事だ。ジャングルにもリスは沢山いたが、蚊は見かけなかった。カブトムシやげっこうも見たが、蚊は一切見なかったし、蛇も見なかった。幾ら季節が冬だと言っても30度近くはある熱帯なのに、とても不思議だ。スコ-ルにも逢わなかった。これも冬のせいかも知れない。本格的なスコ-ルを経験したのは5月のシンガポ-ルだった、そう言えば。。。
北部のコタキナバルから反対側のサンダカンまで車で10時間程かかると運転手が言っていた。で、キナバル山の行き帰りの車で理解できたのは、ボルネオが山また山の土地だと言う事だ。平らな土地はほとんどないだろう。然も、その山の高さが半端ではない。どう見ても全て2000mはある。
高樹のぶ子が故郷の山口の山々を指して「重畳」と連なると言ったが、まさにその通りで、見える限りの山を更に1000m高くしたと思えば間違いない。彼女にとって越えるべき存在としてあった山々を、あれだけの高さなので、余程の事がなければ越えられなかったのがボルネオの原住民だと思う。
山岳ガイドの話ではサバ州だけで38の異なる言語を話す部族がある。越えられない山に囲まれて孤立すれば、当然そうなるだろうし、近親交配も当たり前になるだろう。幾つかの民話が意味するように、古来の日本で旅人の新しい遺伝子を求めたように、他の部族を襲う事にもなるだろう。結果的に首狩りの風習も始まったのではないか。
で、ボルネオの必要な主要道路は全て完全舗装されているように見えた。途中、ポ-リン温泉とか、枝道にも入ったが、其処でも道路は舗装されていた。基本的には日本と変わらない。道路際にはドリアンとか、熱帯の果物をわんさか積み上げた臨時店舗もあるし、通常のドライブイン的な場所もあるが、間が日本と比べて最低でも5,6kmは開いている。
ポ-リン温泉で不思議に思ったのは、よくもこれだけ深い所に日本軍が入り込んだ理由だった。判らない、多分コタキナバルとサンダカンを結ぶ必要があったのだろう。今でも東西方向の道路は1本しかない。
更に不思議な事は、蚊に出あわなかった事だ。ジャングルにもリスは沢山いたが、蚊は見かけなかった。カブトムシやげっこうも見たが、蚊は一切見なかったし、蛇も見なかった。幾ら季節が冬だと言っても30度近くはある熱帯なのに、とても不思議だ。スコ-ルにも逢わなかった。これも冬のせいかも知れない。本格的なスコ-ルを経験したのは5月のシンガポ-ルだった、そう言えば。。。