パエ-リャ

木製カトラリ-

何処に行こうか?

2015-02-19 18:03:25 | Weblog
特定の目的地に旅行する理由を考えなければ旅に出られないと言うのも情けない話だが、実感的に考えるべき問題として存在するし、更にはその理由が応用問題にも発展するのだから、自分に言い聞かせるためにも整理したくなってしまう。

"These, as you know, are all sinusoidal waves and we are not interested in them"

これが私の母校 Imperial College, London での信号理論の講義の際に講師が冒頭で語った内容だ。

"We are not interested, because they are all predictable. On the other hand take a look at these..."

そこに写し出されたのはノイズだらけの信号だった...

旅も多分同じことだろう。日常とは異なる体験をしたい、予測できない物事に出会いたい。それが原点だと思う。例えば、自分が住む街の近郊の、普段は通りそうにない所を車で通りかかっただけでも感じる何かがある、決して強いものではないが...

異国に行けば、尚更強く、心を揺す振る何かが、ある...、だろう、あるいは、ないのだろうか?

多くは好みの問題だと片付けられるが、例えば東南アジアのリゾ-トビ-チだ。日本人の多くがあんなものに関心を持っているとはとても思えない。欧米人が砂浜で亀になるのは勝手だが、日本人が長時間亀になっているのを見た事はない。

日本人が海辺のリゾ-ト地を訪れるのは、幻想によるものだと思う、いわば旅行パンフレットに踊らされて...

ビ-チの何処がよいのだろう?、砂浜が白かろうが黒かろうが、延々と続くビ-チは結局のところ、正弦曲線みたいなものだ。だから、それでも尚、人々が押し掛ける大きな理由はビ-チなど実際にはどうでも良くて、リゾ-トホテル自体の持つ非日常性なのだと思う。

問題は、それだけで満足出来るか、だ。私にはとても出来ない...

大量の旅行パンフを見て、すぐに気が付くのは、それがどの国のものであれ、砂浜の写真とリゾ-トホテルの内外観で構成されているので、ベトナムも含めて東南アジアのどの国のリゾ-ト地も同一に見える事だ。ベトナムのリゾ-トも、インドネシアのリゾ-トも見分けがつかない。

それらは、現地の人々の普通の生活から地理的に孤立しているために、固有のノイズがないし、あったとしても、美しく飾られた、予測可能な人工的なノイズでしかない。

然も、どのツア-会社のパンフを見ても、同一リゾ-トの写真は、ほぼ同じアングルで、砂浜以外には同じ対象を撮っている。その同じ対象は往々にして砂浜に至る階段か、通路でしかない。その位のノイズでしかないのだ。と言うか、到底ノイズとは言えないものだ。階段がどうしたと言うのだ...

だから、東南アジアのリゾ-ト地に旅行する限り、どの国に行っても、結局後になって考えれば、同じ様な印象しか形成されていない事に気が付くだろう。場所の名前が違うだけで何処に行っても、同じ様な人種が同じ様に入り混じっているので、尚更区別がつかない。

だから、東南アジアの海辺のリゾ-ト地への旅行は、日常性からの脱出は出来ても、今一物足りない気がするのは私だけだろうか?

ここで、海からは遠い台北の街を考えてみよう。あそこには普通の生活の匂いや騒音がある。確かに今風の高層ビルやブティック、スタバだ、なんだは沢山あるが、大通りにすらペンキ屋もあれば、電動工具を売る店、総菜屋、その他訳の分からない物を商う店がある。

私の異国での印象には、是非ともそれらを含む必要がある。だから、海がある事は必要条件ではないが、現実の東南アジアの旅行先は海を含むものがほとんど全てなので、そのために悩んでしまう。

で、私が目の敵にしているのは実は、恐らく海の付属品としての砂浜そのものかも知れない。何故、高い金を払って銚子の砂浜みたいな場所に行かねばならないのか?私だって陸と海との接点は是非とも見て見たいし、触ってみたいし、歩いてみたい。でも、延々と続く砂浜には絶対に興味がない。本物の亀でもいれば話は別だが...

信号理論の講義の話をした理由がそれだ。

然も、果たして、その様な砂浜で、例えば釣りが出来るだろうか?

私も少しは心を惹かれたオプショナル・ツア-に岸壁釣りの写真があった。でも、実際にそのツア-に参加した人のコメントは、失望以外の何物でもなかった。お金を払ったのに砂浜に連れて行かれて、単なる投げ釣りに終わったからだ。多くの人にとって、釣りは郷愁と共に岸壁でするものだ。例へ、何も釣れなくとも...

コタキナバル...、 でも、あそこは違う。絶対に違う。海との接点ぎりぎりの所に生活の匂いがあるし、騒音も、あるいは10年前の秋葉原デパ-トの猥雑さも確かに存在する。砂浜が延々とある訳でもないし、然も活気のある岸壁と港、岸壁で釣りをする子供たちもいる。

でも、そのコタキナバルでさえ、町中から数キロも離れたリゾ-トホテルに行ってしまえば、それで魅力は消失してしまうだろう...

以上はグ-グルマップを見たり、パンフを見たり、ネットで調べたりしただけで形成されたものだ。だから、兎に角、実際にバリ島に行って様子を見て来るつもりだ。何故、タイや、その他の有名なリゾ-トでなくてバリ島なのかは、比較的簡単に答えられる。

インドネシアは行ったことがないし、何よりも海だけでなくジャングルや山にも関心があるからだ。私は、ジャングルがなければ東南アジアではないと思っている。