パエ-リャ

木製カトラリ-

ボホ-ル紀行 (25)

2016-06-30 06:18:57 | Weblog

パングラオ島からロボックリバ-リゾ-トに帰る時の様子はそんな感じだった。

気になっていたホテルと橋の間の川沿いの様子も実際に見たし、釣りに最適な場所も見つけたし、いわゆるロボックという場所はおおむね理解できたような気がする。ボホ-ルには、他に似たような規模の川はないので、川で遊びたければ矢張り橋の周辺のホテルに泊まるのが最良だとの感触を得た。

でも、何故かタグビラランからロボックに戻る時、大きな看板に「Sevilla 9km」と出ていたのが奇妙に印象に残っていた。そもそも分岐点すら認識しないでホテルに戻ってきてしまったし、その事が、今回改めて、そのセビリヤ村に行ってみたいと思ったきっかけでもあった。どんな処か見てみたい、山奥の村なので、それに主要道路を外れて9kmは相当な場所だろうとの思いもあった。

この日は、夕方までにタグビラランに戻り、バイクを返却すれば良いだけで、急ぐ行程でもないし、ホテルにバックパックを預けて出かけて見た。レセプションの女の子の話では、チョコレ-トヒルに向かう道から行けば比較的短時間で到着できると言われたので、逆走すればゆっくり走っても、往復3時間でホテルに戻れるだろうと考えていた。実際には4時間以上かかったものの、素晴らしい体験ができたと思う。

この教会は橋のすぐそばにあるロボックの象徴的な建物だろう。時には川の氾濫で被害にあった

り、         するけれど、とても立派な建物で、矢張りカトリコの国、と思う。でも、2013年に、ここから距離にして10kmほどのチョコレ-トヒルの真下で地震が起きた。結果が次の画像だ。  内部の様子もひどい。

           でも、直ぐに再建されたのは自分で実際に何度も通りかかって見ているし、再建中の写真も残っている。 完全に基礎から再建しているので教会の重要性が理解できる1枚だ。

で、橋を渡った後、タグビララン-ロボック線の道路はわざとゆっくりと走ってみた。分岐点の場所もうろ覚えだったし、急ぐ理由もなかった。で、途中、以前に見かけて不思議に思っていたニワトリの場所には先客がいたので、止まって話をしてみたら謎が解けたのは、帰国後も大きな収穫につな

がる事になった。 この画像に鶏と三角形が沢山見えるが、ここは想像していたような単なる養鶏場ではなく、闘鶏用の鶏を育てている場所だと教えてもらったのは収穫だった。日差しが強かったりすると、三角屋根の小屋中に潜り込む仕掛けだ。

この養鶏場ではこの周りの谷戸すべてが使われていて、奥の小屋は休憩用や飼料の保管場所と思われるが、実際の運用の仕方はわからない。上にも横にもプレディタ-に対する防御の仕掛けがないのもとても不思議だ。

ここから暫く先には更に不思議なことが待っていた。道路わきのヤシの木の伐採作業だ。 

     

当然停止して、じっくりと観察してみた。路肩には車が1台、傍らには明らかに作業の監督者と思われる男が立っていて、道路の反対側の土手に生えている高いヤシの木と、そのすぐ傍らの、より細い、何らかの広葉樹には若い作業員が長いナタ状の刃物を持って取り付いる。

                 

この作業を10分程じっと観ていたと思う。ヤシの木の作業は驚くほど軽やかに行われていた。作業員は補助ロ-プも使わずに10mほどの高さにある頂上の葉の茂みとココナツの場所まで、素手と素足でサルのように数秒でたどり着いてしまい、ナタで下側の葉をバサバサと切り落とし、ついでにココナツも5,6個のひと固まりで落とし始めて、すぐに降りて来てしまった。

      このような足場は作られているが、昇る時には使わないように見えた。

とにかく、驚くべき早業で、思わず拍手したくなる程だった。

 ココナツは大きな房のまま結局コンクリ-ト道路の側溝に大部分が落下して、幾つかは壊れ、遠くまで散乱し、近くに数軒あった民家から出てきた老婆が、ちょうどお昼時でもあったので、「ひとつもらいますよ」みたいな感じで、当然のように持って行ったし、現場監督も壊れたヤシの実でのどを潤す、そんなのどかな作業場面だった。

然し、ヤシの実が、あれ程頑丈そうに見えるヤシの実が、高々10m程の落差で簡単に割れてしまうのも追加の驚きだった。回りに筋みたいな繊維の層があるわけだから、それが十分にクッションの役割をするだろうし、そもそも内殻だって相当硬いのは何度か自分でヤシの実を分解したことがあるので解っていたのでとても驚いた。

その後、偶然に落ちたヤシの実が人間の頭に当たっても死なないのは、ヤシの実の方が壊れるからだとの記述を見つけたので、なんとなく納得はしているものの、東京工業大学の並木道で落ちてきた銀杏の実が頭にあたって大騒ぎしたはげ頭の教授を知っているので、未だに半信半疑ではある。

然し、ここで急に胸騒ぎがした。


ボホ-ル紀行 (24)

2016-06-29 07:31:56 | Weblog

ボホ-ル島南部の海岸にロアイという重要な分岐点がある。

そこから島の中心部にあるチョコレ-トヒルとして有名なカルメンという場所を南北に結ぶ主要な道路(Loay Interior Road)があるが、その途中から、大きな教会がある賑やかな場所でロボック

川の橋  を渡り、 西に分岐して、標高はさほどないものの、森林地帯を通りタグビラランの港町に向かう重要な別の幹線道路がある。

この道路はコンクリ-ト舗装の片側1車線で、ボホ-ルまでの約25kmの道程の大部分はボホ-ル近郊の混雑を除けば、途中には民家や売店などが両側に時折見られるだけで、熱帯の山地に特有の熱気と静けさに囲まれている。交通量は少なく、大部分はバイクで車はまれにしか通らない。

パングラオ島からの帰り道として選んだのがそれで、上の地図の青線部分になる。結果的にこの選択は良かったし、海岸沿いの同じ道を通らないためには唯一のル-トだった。この青線の部分はすべてコンクリ-トの全面舗装で、快適な山道になっている。

然し、緑色の支線の部分は未舗装の石灰岩の道だ。

  この画像のような道で、場所は上の地図に示してある通りだ。舗装はされていないが、人がやっと歩けるような細い道ではないので、ボルネオと比べてフィリピンでははるかに道路網が発達していることがわかる。

フィリピンの人口は約1億なのに、マレ-シアは3千万もないし、そのうちボルネオの人口など3百万位だったと覚えている。だから、道路網は面積的にも狭いフィリピンの方が圧倒的に整備されているので、色々な場所に行ける楽しみがある。

ボルネオでは幹線道路からの支線は極短い生活道路か、あるいは油やしプランテ-ションのサ-ビス用道路しかない。一言でいえばマレ-シア領北ボルネオには、極限られた場所以外には生活臭がないので直ぐに飽きてしまう。

いずれにせよ、この道路に乗るには、パングラオから橋を渡って、そのまま道沿いに直進すればわけないので、矢張り主要な道路なのだろう。暫くはかなり交通量も多く、然も、上り下りの坂の多い地形になっている。混雑した区域を抜ければ、静かな道路が始まる。

この画像は  タグビラランを出てすぐの部分の様子を見せている。快適な舗装道路で、暫くすると小学校などもあるので、 そこそこに人は住んでいるが、まとまった集落は見かけなかった。場所的には地図のあたりだ。

                                     

恐らく、この道路の周辺で一番関心があるのはタ-シャの2番目のサンクチュアリ-かもしれない。  この道路沿いの分岐点の画像が以下になる。

                 

場所的には次の地図が示している。 タグビラランから10kmほどの処だが、気が付かなかった。  

 このあたりの山道の様子が以下になり、  気が付くと教会があったりもする。

             この地図の場所だ。教会はやたらにある。田舎であることを考えると、日本の公民館より密度が高いと思う。

この途中で気が付いたのは「セビリヤ 9km」という標識で、その先に多分分岐点があるのだろうと思いながら走っていたが、気が付かないで通り過ぎ、かなりの急坂をくだると、見覚えのある橋が見えてきた。 いつもはチョコレ-トヒルに通じる道路からしか見てなかった橋なのでなるほど、この橋にぶつかるんだ、と納得したし、もうホテルに実質上帰り着いたことになるので、気になっていた橋の周辺の川沿いを徹底的にバイクで走り回った時のル-トが以下になる。

  

川に沿った緑色の線の部分もゆっくりと見てみた。明らかに欧米人が住み着いていて、建設資材を運びこんだり、道は狭くて凸凹ではあるけれど、散歩するには最適だと思いながら走っていた。つまり、この辺は、大部分は川のおかげでもあるが、感じの良い、落ち着いた場所だった。

いわゆる、ロボック名物のレストラン船の発着所もこちら側の橋のすぐそばにある。 ただ、レストラン船の発着所は数か所あるような印象を受けた。いずれにせよ、こちら側の画像はない。

赤の線の部分は画像がかなりある。ゆっくりと走ってみた部分だ。大通りのガソリンスタンドから曲がれば、川に突き当たる。 足場のしっかりしてた、気楽で邪魔されないで釣りが出来るような場所も数か所あって、 何よりも明るくて、光と影が程よく入り混じる広々とした空間  なのでとても気に入った場所だ。

特に、客の姿は見えなかったものの、川沿いに、ちょうど加茂川べりの料亭のようにテ-ブルを出している処もあり、次回再度訪れてみたい場所のひとつだ。

               

 


ボホ-ル紀行 (23)

2016-06-28 08:40:13 | Weblog

フィリピンは、 スペイン本国と直接の交易で発展したわけではなく、メキシコのアカプルコと太平洋を越えて直接船でやり取りしていたので、メキシコ風、あるいはスペイン風のメニュ-がありそうなのに、ない、これはとても不思議だ。最低でもトルティ-リャが

あれば、それとビ-ルで満足出来るのだが。   この画像はレストランの右端の様子。奥は土産物コ-ナ-になっていて、その奥が清潔なトイレになっている。


そんなわけで、このレストランには長居もしなかったが、しきりと、女主人がアロ-ナ海岸が

素晴らしいと勧めていた。 

アロ-ナはそこから先、そんなに遠くない場所にあるけれど、砂浜の海岸そのものには元々関心がなかったので、バイクを止める積りは最初からなかった。どうせ、欧米人好みの砂浜だと決めつけていたからだ。

 これがアロ-ナビ-チの様子だ。とても好きにはなれない光景だ。

唯、後で地図を見ていて、海岸沿いに人工の道路が作られていることに気が付いた。

           事前に知っていれば、その部分だけでもバイクで走行したかったと思うが、ビ-チ全体はただの砂浜にしか過ぎない。なので、長期滞在すればすぐに飽きてしまうだろう。3日で飽きると思う。

    この画像はビ-チに並行して作れられている海上道路にダイビングボ-トが接岸している様子だ。

そのアロ-ナ海岸に近づいているのは、道路の両脇の感じと、明らかに高級なリゾ-ト施設の

出現、小奇麗な店の数、 

歩いている人の服装や喧噪で、 丁度真夏の葉山の海岸通りを通っている感じを受けた。

      一言で言えば、華やかさだろう。

結局、日本で言うセブとはマクタン島の空港とは反対側の部分、そしてパングラオ島のアロ-ナ海岸の事だとしか思えない。

セブの町中の事を考えれば、あんな町汚い処に滞在するのは御免だし、高いタクシ-代を払い大渋滞の橋を渡って、わざわざ汚い街に行く理由は全然ないからだ。

日本のODAで建設中の空港(2017年9月開港)の場所は、

  走行中、絶えず右側の奥地にあったが、おおよそしか判らなかった。完成すればマクタン空港そのものも寂れてしまうだろう。パングラオに一番近いタグビララン空港は管制官もいないほど小さなものだし。

現在のところ、いわゆるセブ観光の基地としての国際空港はマクタンしかない。然し、パングラオに2000m級の滑走路ができれば、十分に国際線の直行が可能だし、セブの町も観光客が激減するのは目に見えている。マクタンはセブの市街地には近いけれど、観光目的を考えればビサ-ヤ地方の要所にあるわけではないからだ。

そもそも、考えてみれば、フィリピンの国際空港は3か所しかないと思う。マニラ、セブ、ダバオだけだと思う。もしかしたらプエルトプリンセ-サもそうかもしれないが。

そんな訳で、アロ-ナ海岸の前後の1km位はすべて各種の華やかなリゾ-ト施設だったが

 海岸を見ないで、結局、そのままアロ-ナ海

岸の目抜き通りを通過してしまった。 

でも、島の西側部分に入って行っても、一定の華やかさは残っていたし、パングラオが全体として、明るく、屈託のない観光地なのは間違いない。

アロ-ナ海岸を過ぎると、直ぐに左側に大きな教会が見えてくる。

 非常に立派で、フィリピンの教会に一般の観光客が自由に入れるのかどうかは知らないが、少なくともイントラム-ロスでは可能だったので、次回からは試してみたいものだ。

この教会がパングアオ周回道路で西海岸を経由してタグビラランの橋に戻る実質上の転回点に

なる。道幅も広く、 とてものびのびした

素晴らしい街並みだと感じていた。 

至る所にリゾ-ト施設の看板を見かけたし、

パングラオが今後衰退する可能性は非常に少ないだろう。

ビサ-ヤ  の中心にあることは間違いないのだから。パナイ最北部のボラカイなど、韓国人の溜り場になっているので、今後はパングラオ以南に目を向けたいと思う。

以下の画像は島の西側部分の集会道路の様子だ。

この最後の画像でもわかるように、島中が白い石灰岩なので、とてもスペイン的で、赤いテラコッタのボルネオにスペイン人が行かなかった理由かもしれない。

 


ボホ-ル紀行 (22)

2016-06-27 06:25:34 | Weblog

女主人は40代ぎりぎり後半か、50代前半の小柄で飛び切りの美人メスティ-ソ、スペイン人かフランス人にしか見えなかった。一方、亭主らしい風采の上がらない色黒のやせ男は、ただブ辺りをラブラしているだけで、時々孫らしい赤ん坊をあやしている、ひまそうなレストランだった。

ビサ-ヤとは何処から何処までなのか、ずっと気になっていたので男に聞いてみるとフランス語なまりの英語で自分の英語は下手なのでと女主人に交代してしまい、恐縮していた。それで、亭主がフランス人で、女主人はダバオの生まれだと分かった。女主人の英語はほぼ完ぺきだった。

メニュ-は内容がわからなかったので、女主人が勧めたものを素直に頼んだが、正直不味かった。一言でいえば、大きな生春巻き、でも、中身が訳のわからないもので、有名な一品らしいが好みではなかったので形だけはしっかりと記憶に残した。今後、2度と手をつけたくない一品だ。

フィリピンは、西回りでスペイン本国からの直接交易をしていた訳ではなく、太平洋を越えてメキシコと直接船でやり取りしていたので、メキシコ風、あるいはスペイン風のメニュ-がありそうなのに、見かけないのがとても不思議だ。

画像が思った位置に配置できないので、短い記事のまま終了する。この画像配置問題はGOOでは時々起きるので非常に困っている。


ボホ-ル紀行 (21)

2016-06-26 06:57:16 | Weblog

橋の近辺の様子が気になったので、この地区のグ-グルマップを改めて眺めてみると、タグビララン側の崖が白くない理由が分かった。 これは航空機から見たタグビララン側の俯瞰画像だ。黄色の線の部分が、パングラオ島を1周した後、ロボックのホテルに帰るために選んだ山の中の道路だ。

パングラオ側から橋を見ると以下のように見える。

       橋の造りは簡素だが、歩いて渡るには十分な歩道もある。 

タグビララン側がド-バ-のように白亜の崖    のように見えない理由は次の画像でわかる。ド-バ-の崖は、この画像のように切り立っている。一度だけ崖淵までぎりぎりに歩いたことがあるが、猛烈に怖かった。石灰岩はとてももろいからだ。

なので、ド-バ-では崖の断面が植生とは無関係に保たれている。それに対して、ボホ-ルでは崖が

 浸食されて、斜めになって植物が生える傾斜なので、緑に覆われてしまって、結果的に石灰岩の表面が見えないからだ。

同時に、この幅の狭い海峡が超浅い理由もわかるような気がする。大量の土砂が、この狭い海峡の両側から海に流れ込んだためだろう。パングラオ側も同じような高さがある。後日宿泊したホテルのベランダから見ていると、人が歩いているのを見ることが出来る。それ程浅い海峡だ。

橋自体は比較的短く、両側の景色は素晴らしいとしか言いようがなかったが、狭くて交通量がとても多いので、バイクを止めて写真を撮るような気持ちの余裕は全然なかった。ひたすら後ろから来る車にぶつけられないようにするのが精いっぱい。短い橋を渡り切ると、すぐに島の周回道路にぶつかり、観光バスがひっきりなしにT字路を通過するのに、そこを何故か左折してしまったので、島を右回りに一周することになる。

でも、車が多くて怖いと思ったのは、橋の上と、渡り切った直後のT字路の部分だけで、あとは交通量がとても少なく、猛烈な暑さを除けば快適なツ-リングだった。特に車の数が非常に少なかった記憶がある。

パングラオ島は大きさがマクタン島と同じくらいで、島全体がボホ-ル島と比べて洗練されたリゾ-ト地なのは事前にわかっていたし、実際にそうだったけれども、種子島やマルタ島と似て、平らで小さな島なのであまり魅力がないと思っていた。

実際に訪れてみると、民家の屋根や壁の色、大きな教会の存在、全体的に白っぽいこと、緑が多いこと、そんな事で、なんとなくカナリア群島のラスパルマスを思い出していた。丁度、初めて沖縄に行ったときに感じる、何か違う、という感じに似ていたかもしれない、その何かは沖縄ではオレンジ色の屋根の色だし、パングラオでは白と緑なのだろう。

すぐに道路際が整然としていると思ったのは、橋を渡って左折すると直ぐに目に入った白い教会

       のためかも知れない。

                     

上手く表現できないが、なんとなく今までとは違う、全体に周りが明るくなった感じ、

                そして高級感と言えば、近いかもしれない。その漠然とした印象は島を周回中、ずっと持っていたと思う。

     

特に白い教会は珍しかったと思う。それまで見かけた教会は、どれも大抵、古色蒼然とした黄土色が多かったせいもある。その教会を通り過ぎると、すぐにガソリンスタンドがあったので、給油した

時の画像がある。 このGSは家族経営で、全員がおおむね英語を理解したので、周回道路に既に乗っていることが確認できたし、

               

次にはお昼を食べるところを探せばよいだけで、とてもリラックス出来た。

ところが、再び走り始めると、すぐに建物など一切ない荒涼とした

        原野を走っていることに気が付いた。

パングラオも基本的には石灰岩で出来た島で、そのために全体が白く見えるのだが、途中、明らか

に黒っぽい火山岩の塊も見つけたので、   パングラオ自体に火山があるとは思えないし、噴石が飛んできたものだと推測された。

      

2013年の10月早朝にはチョコレ-トヒルの真下、19kmの場所でマグニチュ-ド7.2の大地震があって、200人以上の死者がでたので、火山活動自体は驚くことでもないだろう。
後で地図を見ると、人気のない部分は、その部分だけで島全体の面積と比べれば、局地的だった。

                   

何故、そのように放置されたままなのかはわからない。暫くすると割と洒落た感じのレストランがあったので、お昼時を十分に過ぎていたこともあり、躊躇せずに入ってみた。欧米人の女性が一人だけ先客で、ヘルメットがあったので彼女も同じことをしていたのは間違いない。


ボホ-ル紀行 (20)

2016-06-25 09:16:57 | Weblog

ディミアオの海岸沿いにも、あるいは、その少し先のリラの町の海岸沿いにも活気はある。市庁舎など主な建物がすべて海沿いにあるためかも知れない。内陸部は住宅と耕作地だからだ。

        

      海岸沿いのディミアオのサンニコラス教会の画像が以下になる。但し、教会がすべて海沿いにある訳ではない。

 

足場があり、何らかのかの作業が行われているが、

        2013年の大地震の影響かどうかは分からない。これは自分で撮影した画像だ。以下に、ロアイまでの海岸沿いで撮った画像をまとめて掲載する。

                   

    

                 

     

                   

           

                   

 この最後の画像はロアイにほど近い海辺で、内陸の山側から作られている水路コ-スタ-だ。以上はすべて自分で撮った画像だ。

周回道路から一歩離れた内陸部の様子が過去にも他の旅行者も魅惑したのは明らかで、その事は地名に関連つけられている相当な数のグ-グルマップ画像から伝わってくる。そのような幾つかの画像を以下に示す。

最初は、よりバレンシアに近い、ディアミオの行政区の画像だ。

       ピンク色の部分がディアミオの行政区で、矢印の先頭部分は海岸から数キロ離れていると思う。そんな場所は以下のようになって

いる。                 

こんなに奥地でも人が歩いているし、道路の幅が広いのにも驚く。ただ、舗装はされていない。

     

                    

このような場所で見える典型的な民家の様子が次の画像になる。

 フィリピンの農村地帯の民家はほとんど、板張りの外壁を持っている。簡素ではあるけれど、粗末な家だとは自分には思えない。たた、大昔からこのような家だったのかと聞かれれば、多分違うと思う。竹のような気がするが、ボホ-ルで竹を見た記憶は全然ないので、ニッパヤシだったのかも知れない、ひと昔前までは。

ディアミオの海岸沿いの画像もあったので掲載する。

 これは前掲した教会からほんの少しだけロアイよりの場所にある、Emirta の廃墟とキャプションの付いた画像で、何なのかはわからない。メトロマニラの歓楽街の名称に同名のものがあるが、辞書で調べてみると以下のような記述がある。 これによると元々の意味は聖地で、毎年人が訪れる場所らしく、まさに歓楽街の名前としてはふさわしかったのかも知れない。「fuente」と出ているので、泉や、あるいは水にも縁のあったのかも知れない。ただ、上の画像は真昼のカタコンベにしか見えないが。

                   

この上の画像は、更に意味が分からない。「Sawang」とは、一体誰のことか、祖先の家なのに随分新しく見えるし、だからガイドブックを離れた探求の旅は面白い。周回道路を離れることで見えるのは、「ガイドブック以外」の切り口で、少なくとも自分にとっては、時には遥かに心を揺さぶるものだ。

次の画像は、ロアイとディアミオの間にあるリラという行政区のものだ。まず、たまたま見つけた航空写真を見てみよう。以下の2枚だ。

 最初の画像には典型的な谷戸が映っている。谷戸には往々にして、その構造上、川が流れてる場合が多い。上の画像で、岬らしき部分が見えて

いるが、近接画像が以下になる。 この部分は海を見ながら緩やかに坂を上る気持ちの良い部分で、はっきり覚えている。頂点に達すると、左に緩やかに下りていくと、ディアミオのバランガイ(最小の行政区の単位)に入っていく。

 教会は多少の内陸部にもあるし、リラの場合にはこんなに立派な教会もあるようだ。

この後、ロアイの分岐点はタグビラランに向かって、そのまま通過してしまった。バレンシアとロアイの間と比べれば、道沿いに更ににぎやかな箇所が多くなるし、集落の規模もより大きいと、改めて感じていた。

タグビラランの直近の場所では一方通行の箇所も出現するくらいに交通量も増え始める。

 

       これは途中にあるスペイン時代の砦の後だ。

            

更に、2013年の大地震で壊れてしまった改修中の教会の画像も取得できる。場所的には以下の地図だ。           

            

 

そして、ロアイからタグビラランにかけては、極わずかだが、少しずつ高くなっているのを走行中に気が付いた。ロアイが標高5mとすれば、タグビラランは標高50mほどはあると思う。


だから、マクタン島へ渡る橋に出るには、海の高さまで急坂を下りないといけない。パングラオ側から見れば、恐らくド-バ-の白い崖に似ていただろう。ド-バ-も石灰岩で出来ているからだ。でも気が付かなかった。


ボホ-ル紀行 (19)

2016-06-24 09:22:42 | Weblog

途中、スマホナビで見ていて、あれがバレンシアだろうと思った場所があり、

          途中の田園風景の画像が以下になる。 この場所もそうだし、他の場所でもバイクで走っていて素朴に思ったのはフィリピンには空き地が多いということだ。この画像は畑なので、つぶして住宅地に出来ないわけではない。国全体が平らで、山も低く、急峻でないことが余裕を生んでいるのだろう。兎に角、空き地が多い国だと思う。

海辺は浅瀬なので人々が何かを採集していた。

しばらくすると歓迎ア-チに出くわしたので、バレンシア到着は確認できた。が、何故かバレンシアの町自体の画像はない。それまでの町的な場所と比べて格別の印象を抱かなかったためだろう。

ただ、バレンシアの漁港があったので、そこでは写真をたくさん撮ってみた。以下になる。

        何故か、漁船らしい漁船は見かけなかったし、 

                   

        

     

                    

     

人の姿も見かけなかった。ボルネオではどの漁港も海は汚かったが、バレンシアでは綺麗で、漁という漁はしていない印象を受けた。多分、一本釣りが主なのではないだろうか。網ではなくて。

                     

バレンシアでUタ-ンして、ロアイまでの帰りの行程のハイライトは、矢張り、海岸道路を離れて Dimiao (バレンシアとリラの間の行政区画)の山の中にバイクを暫く走らせた部分で、画像も比較的多い。

         周回道路がボホ-ルの表の経済活動の部分とすれば、山の中の村は生活の場の部分だろうし、これらの画像のように谷戸と畑がどこまでも続いている。

           地元の人々の生活をまじかに見られた貴重な体験だったと思う。

           

一言でその様子を語れと言われたら、「貧しくない、全然貧しくない」としか言えない。貧困は都会だけのものだと思う。海岸道路から内陸に入って暫くはコンクリ-トの舗装道路

                  

が続いているが、その先はとんでもないでこぼこ道になっているし、バイクでは何とか通れるが、車では難しいような場所もある。

そんな場所では当然、人家もまばらになるが、時折出くわす民家は、おおむね小さくて粗末ではあ

るものの、貧しいという印象は全然受けない。

基本的には農業経済の自給自足生活が保障する最低限のゆとりがあるためだろう。物理的にはどのような環境かというと、フィリピンの他の村と同じように、沢山のヤシの木とバナナの木の間に羽目板造りの家が建っている、と言えば間違いないだろう。

   

どこに行っても電柱があるし、衛星放送のアンテナも見かけるので電気とかは通じていると思われるが、燃料は薪だ。(大きな街中ではプロパンが目に付く)

                   

で、村には人がいる、当然だが、でも住居の外で見かける人の数は思ったほど多くはない。

       

それより気になったのは、ボホ-ルに滞在中、耕作地は沢山見かけたものの、畑や田んぼと思われる場所に、農作業をしている人を全然見かけなかったことだ。

最初は、日中が暑いので朝早くか、夕方に作業をするのだろうと思っていたが、自分だってかなり朝の早い時間に出歩いているので不思議だった。現在の理解ではこの時期、すでに収穫が終わっていて、畑に出る必要がなかったのだろうと思う。と言うのは、コンクリ-ト道路の脇にはむしろにモミを干している光景がどこでも見られたからだ。


ボホ-ル紀行 (18)

2016-06-23 07:38:58 | Weblog

で、この日は結局、おとなしく来た道を戻ることでロボックに帰り着いて、ビ-ルを飲むことにして正解だった。

と言うのは、希望通りのル-トは途中にかなり険しい山道もあり、

 距離的にも相当なものだったからだ。タ-シャの前後もかなりの山道だったが、この地図で分かるように、せいぜい数キロの区間だけだったが、見つからなかった分岐点から海岸までは更に激しく、長い山道が待ち構えているはずだった。

バイクの運転にも不慣れで、下り坂で膨らんでしまうのも常だったので、後ろから来る車も怖かったし、然も、そのまま、予定通りの一周をしていたら、相当の輻射熱も受けていただろう。

ボルネオに3か月滞在した時には、特に日焼けしたとは感じなかったが、ボホ-ルではたったの2日間の間に猛烈な日焼けで、バイクに乗りながらも、腕を見ている間にも、どんどん腕が黒くなっていると感じていた程だった。すべて、道が白いので照り返しをもろに受け続けていたためだ。

この日は長距離バイクツア-が可能なボホ-ル島滞在の実質上最終日なだった。で、朝7時過ぎにはロボックを出て海岸に突き当たり(ロアイ)、左折してバレンシアまで行って、途中に今後滞在出来そうなリゾ-トがあるかの確認を済ませること。

そして、同じ海岸道路を戻って、ロアイを通り過ぎてそのままタグビラランの街に入り、橋を渡り、リゾ-トアイランドと呼ばれているパングラオ島の周回ツア-に出かけ、帰りは海岸通りを通らずに内陸の山道を辿ってロボックに戻る行程が目的だった。

距離的には今までで最大なのは分かっていた。実際に走行距離を調べると、この日は全体で、おおよそ150kmを走っている。車で走っても相当な距離を走ったことになる。

パングラオ島周回の最大の目的は、本当にこの島がネットで言われているほど魅力的なのか、特に冬季の長期滞在に耐えられるかどうかの判断をするためだった。

先にバレンシアへ足を延ばした理由は、前日に通過していたはずの Pagna (パ-ニャ)までの往復は矢張り、時間が掛かりすぎるとの判断があったし、もしかしたら、ロアイとバレンシアの間の海岸沿いにも候補地があるかも知れないとも頭の隅にはあったからで、それ以上の理由はない。

Loay(ロアイと発音する。水上レストランやホタルの場所だ)の分岐点に出て左折してからの風景は、然しながら失望に終わった。タグビラランからロアイまでの海岸沿いと比べれば、人家やその他の構造物があまり見えない区間が長い、かと言って、荒地ではない耕作地が多く、その間に時折小さな町らしい部分を通過する行程だったからだ。

耕作地には軒並みヤギと牛(野牛ではなく)が放たれていて、農業機械を使わない耕作が一般的だと伺わせた。ヤギが飼われている理由はわからないままだ。

バレンシアまでの行きの区間ではほとんど写真を撮らず、ここに掲載する画像はほとんど帰りの行程でのものだ。理由は行きの間に、帰りに画像に納めたい箇所を記憶しながらバレンシアまで進んだので、「Welcome to Varencia」の画像すら帰りに振り返って撮ったものだ。

初日にタグビラランからロボックのホテルに移動するときに、ロアイまでの間には冬季に滞在できそうなリゾ-ト的な施設がないことは確認してあった。仮にロアイから先のバレンシアまでの区間に何かそのような場所があったとしても、一番近い赤い灯青い灯はタグビラランなので、遠すぎて実際には考慮に値しないことも分かっていた。

そもそもロボック自体もタグビラランから遠すぎる位なのだから。(タグビララン-ロアイが約20km、分岐点のロアイ-ロボックが約5km、ロアイ-バレンシアが約25km、タグビララン-チョコレ-トヒルがロアイ経由で約60km)

なので、ロアイ-バレンシアの行き来は日本にいる時に地図で眺めていて、どんな所だろうと想像するしかなかった場所の様子を直接確認して、画像に記録して、友人、知人に直配で示すためのもので、成り行き任せの気楽なドライブだった。

なので、先に進む前に、結局通過することなく終わってしまった、幻の分岐点あたりから、パ-ニャまでが、どのようだったのだろうかとグ-グルマップを利用して検討してみたい。

以下の画像は、幻の分岐点手前2kmほどの地点でチョコレ-トヒル方面を振り返って俯瞰した航空写真だ。ロボック方面から来た時の直線道路が見えている。

 で、次の画像は教会で

       (シエラブリョ-ネス教会) 

GPS位置信号の刻印では、幻の分岐点ぎりぎり手前の左側道路沿いにあることになっている。見たかも知れない。途中、比較的大きな集落と、大きな分岐点はあったからだ。でも、その分岐点は4度通過していて、その都度、求めている分岐点ではないとの判断をしていた。

実際に、その分岐点で曲がって、50m位は走ってみて、違うと判断したのを鮮明に思い出す。以下の画像の右下向きの赤い矢印の部分だ。

 その道ではないと思わせる何かがあったのだと思うが、その集落を右折するべきだったのだろう、矢張り。この衛星画像では教会と、その尖塔が写っているが、教会を見た確信はない。然し、分岐点の3角地帯は覚えている。

ここで当然教訓がある。

 大きな町はともかく、フィリピンで目立つもののダントツは教会だ。だから、何らかの方法で教会と、今回のように探している分岐点を結びつける事が出来れば最高だが、簡単でもない。いつもいつも教会が重要な分岐点にあるわけではないからだ。

そうなると、分岐点のストリ-トビュ-が欲しくなるが、いつもいつもあるわけではない。と言うか、田舎道にはそもそもストリ-トビュ-などないのが当たり前で、次善の手段として使えるのが地点名と広義に関連つけされているグ-グルマップの画像集だ。

           

この上の画像は橋で、同じように取得した。場所的には幻の分岐点から2kmほど先の場所で、これが橋なら通常は川があるので、この近辺を川が流れていれば通過すべき地点の確認ができる。 この地図で川があるのが確認できるので、本来、事前に画像集で確認できたはずの教会の位置を確かめなかった事が今回のデマイズの最大の理由だとわかる。整理してみると、

1. 知らない土地の重要な分岐点は、出来るだけ近くの地名をクリックして、関連画像を矢印で確認する。

これは、この冬に滞在する予定のネグロス島や、その他の場所でも決定的なランドマ-クを提供することになるだろう。仮にスマホのGPSが使えなくても、画像を入れておけば参照出来るからだ。

以下は、この道路を通過した場合に見えていただろう場所の画像だ。

棚田を2枚

 棚田と言えば、ルソン島北部の棚田が有名だが、ここの棚田も十分に魅力的に見える。

 このチャペルだって、 off the beaten truck の典型のようなものだが、ボルネオではありえない光景だ。至る所に人が生活していることが分かる画像だ。それがフィリピンの魅力でもある。

 

 

 

 

 


ボホ-ル紀行 (17)

2016-06-22 06:16:08 | Weblog

で、チョコレ-トヒルを見た後は、来た道を少し先まで進んでから右折して、海岸通りに出て海沿

いにロボックに戻ることを想定していた。

最初の重要な分岐点はすぐそばにあることが分かっていたので、そこは確信をもって右折できたし、その後も暫くは、途中で船の形をした変なレストランとかもあり、

 依然として珍しいままだったし、退屈しない

気持ちの良い平らな道が続いていた。 

 民家の近くでは簡単なスト-ルで西瓜やその他のカットフル-ツを売っているのが目についたが、今にして思えば止まって食べれば良かったと、思い返している。途中の畑や、道路補修用資材の画像が以下になる。

            

              

ボホ-ルとパングラオを含めた走破経路は以下の赤線の部分だ。

国中が5月に向けた大統領選挙の真最中だったので、選挙カ-が頻繁に通る度に、おそらくタガログ語で何か叫んでいるが、途中明らかに、numero cinco と言っていたので、スペインの影響の激しさが伺われた。cinco が通じるなら、他の相当な数の単語も通じるのは間違いないいだろうし、具体的には覚えていないが、こんなものまでと驚くような単語さえスペイン語が使われている国だ。

フィリピンの地名は、ほとんどスペインに由来すると思う。フィリピン第三の町であるダバオは大きく南部と北部に分かれ、それぞれ ダバオ del sur と ダバオ del norte と、そのままスペイン語で表記されるほどだ。350年のスペイン植民地支配の影響はやはり想像以上に大きい。早い話、フィリピンは日本の近くにあるメキシコ的な国だと思えば妥当だろう。

あきらかなメスティ-ソの数も多いし、アメリカの植民統治が始まっても、支配階級は依然としてスペイン語を話していたと言われて居るほどだ。

で、予定の経路は前掲の地図にある青いル-トだった。

まずチョコレ-トヒルをロボックと反対方向に少しだけ行き過ぎてから右折する。(この場所はきちんと右折できた)

次の大きな分岐点で再度右折して海岸に出る。そこで更に右折して海岸沿いをタグビララン方面に走り、ロボック川に着いたら到着日に通った道でホテルに帰るという、右回りの単純な行程だったが、

それが何故か出来なかった。

最大の理由は今にして思えば、フィリピンの田舎では英語が通じないことだろう。ボルネオの田舎でも英語は通じなかったので、驚く事でもないが、言葉が通じてほしい場所ほど英語が通じないのが常で、とても困ることになる。そもそも、フィリピンでは皆が英語を理解するなどというのは嘘だ。然も、話せても間違いだらけの英語でしかないので、フィリピンに英語留学する人がいるらしいが、恐ろしいことだ。

途中に民家はちらほらとあるものの、気軽に道を聞けるような人の姿はない。ガソリンスタンドがあったので、助かったと思って給油ついでに道を聞いても英語が通じない。同じように給油に立ち寄った若者のグル-プに聞いても英語は通じない。

仕方ないので、そのまま先に進んで、気が付くと明らかに分岐点を通り越して、大きな貯水池まで来ているので

                       さすがにUタ-ンして元来た道を慎重に戻ると、結局分岐点が見つからないまま同じガソリンスタンドまで戻ってしまった。

無駄とは知りながら再度道を聞いて、それでも矢張り話が通じないので、改めて前進すると、再び同じ貯水池に到達するようなありさまで、 同じ地点を何度も行ったり来たりしていることが次第に判ってきてた。貯水池の画像はすべてこの衛星画像の場所で撮られたものだ。

発音の問題もあったかも知れない。以下の地図で緑枠の部分だ。 この地図ではシエラブロ-ンズとなっている途中の町、スペイン語ではシエラブリョ-ネス、またはシエラブジョ-ネスと発音するので、自分では道を聞くときにブリョ-ネスと発音したのを覚えている。だけど、シエラで解るだろうと、シエラは山地の意味だし、

いずれにせよ、そのままでは分岐点を探すことは出来ない、あるいは、そのような分岐点は存在しないとの判断を下した。この時点で何故かGPSの信号も途絶えていたからだ。(後述する)

更に、もうひとつの理由もあったかもしれない。道路の照り返しが激しくて猛烈な体感温度を経験していたためだ。特に貯水池の近辺は木陰などないむき出しの大地で、恐らく40度以上はあったのではないだろうか。フィリピンの道路はボルネオの道路と違って、大部分がコンクリ-ト舗装なので、表面が白くて実質上の鏡面反射仕様と言えるほどすさまじい照り返しを受ける。


ボホ-ル紀行 (16)

2016-06-21 05:59:13 | Weblog

簡単に言えば、グーグルマップ上で、任意の場所の地名をクリックすると、その場所に関連する画像集があるので、それに目を通すことだ。文字のない場所をクリックしても画像はないのと、画像は、その場所に広義に関連する別の場所を示すこともあるので注意が必要だ。

後述する白い矢印が頼りになる。

とにかく、最初は画面左上の文字情報などは読まないで、ひたすら画面下の画像を片っ端から見ると、必ず何か目を引くものが出てくる。その時に、地図をグ-グルア-スに切り替えておく必要は、まだない。たいていの場合、そんな場所はガイドブックには出ていないマイナ-な場所だ。

そのような場所のほうが面白いし、そこに行く途中にも付随的な発見もあるだろう。今回の場合、 Valencia の少し先の Garcia Hernandez という所が一つの例になる。実際には時間がなくて行けなかった場所ではあるが、以下に全体図を示す。

フィリピンは基本的にはエベレストの頂上と同じように、石灰岩が隆起して出来た島で、所々に火山が突き抜けている。この地図を操作すると、ガルシアヘルナンデスでは、その石灰岩を採石している場所があることが画像集からわかる。

更に、そのネイル画像にマウスオ-バ-すれば、そこから地図上の実際の場所まで矢印が伸びるので、確実に行くことができる。

サムネイルの画像の位置を地図やグ-グルア-ス上で矢印を使って特定するには順序があるので、以下に詳述する。

最初に、普通のグ-グルマップを表示することが必要で、次に関心のある地名をクリックすると、左側に大きく、その見出し画面(サイドパネルと呼ばれている)で土地の文字情報が表示されて、一番下に写真表示の場所がある。

その部分を押しても画面全体の一番下側にサムネ-ル画像集が現れるが、同時に今までの地図があった画面の部分がサムネ-ルの拡大画像で覆われてしまうので望ましくない。つまり、次のような画面に切り替わってしまう。 このヤシの木の移っている大きな部分に、地図か、あるいは衛星画像がないと矢印機能は使えない。

では、どうするかというと、サイドパネルが見えている場面で、右下にあるストリ-トビュ-などの表示用ミニウインドウの一番右端の上向き矢印をクリックするのが一番手っ取り早い。

 結果的にはこのような画面に切り替わる。つまり、サムネ-ル画像の出現だ。

ここで全体表示の邪魔になっているサイドパネルは簡単に左向き矢印で消すことができるが、その後でも実は二つ問題が残っている。

1. 関心のあるサムネ-ル画像に、そもそもGPSの位置情報が刻印されてない場合、矢印は絶対に出現しない。

2. 仮にGPSの位置情報が刻印されているサムネ-ルの場合でも、その上の参照用地図や衛星画像が下に下がりすぎていると矢印は矢張り出ない。

もう少し正確に言うと、本来の矢印の到達点がサムネ-ル画像の帯の幅の上限より下側に潜り込んでしまっている場合には矢印の伸ばしようがないからだ。なので、地図や衛星画像は当初は、この画像の位に離しておいて構わない。矢印を確認できればいくらでも移動できるからだ。

他にも、色々と操作すれば矢印場面には到達出来るが、以上のやり方が一番短くて済むと思われる。実際に白い矢印が伸びた画像が以下になる。

  これはガルシアヘルナンデスの石灰岩採石場を衛星画像で示している場面で、ガイドブックには載っていない。もし、今回事前にこのような場所の存在を知っていれば、当然バイクで行ってみただろうが、バレンシアまで行って引き返してしまった。 これが採石場の拡大画面になる。冒頭のヤシの木の海岸だって、十分に魅力的だし、事前にグ-グルマップで情報を集めることが如何に大事かと思い知らされる。 

次に例えば、今年の冬に滞在する予定のネグロス島での例を見てみよう。まず、全体画像から。

 この地図では2か所に当面の関心がある。すべて事前調査で見つけたもので、実際に行くことになるだろう。牛と釣りの画像だ。

恐らく、このような場所もガイドブックには載っていないだろう。万人の心の定常状態を崩す訳ではないからだ。