昨年の12月17日の早朝
病院からの電話を受けて、私と弟は
タクシーで病院に
いろんなことを話しあっていてようやく
寝ようとしていたところだった
夜が明けて部屋中が朝の光に包まれる頃
ベッドの上の母はもうほとんど意識はなく
何か邪魔なものをはらっているかのように
さかんに右手を動かしていた
呼びかけても確たる返事はなく
辛そうに見えたので、モルヒネを点滴で
ずっと投与してもらうことに・・・
夕方弟は仕事の段取りをするために職場へ
夫も帰宅
長男夫婦が一旦帰った後、母と2人きりに
なるチャンスは今しかないと思った私は
母への思い、感謝の言葉、いろんなことを
母のそばで話し続けた
話終わって、数分後
酸素量測りますね〜と看護師さんが来られた
じっとみていたら、大きく長い息をはぁ〜と
吐いた後、呼吸が静かに止まった
94年11ヶ月の長い人生の幕を閉じた瞬間だった
覚悟はしていたけれど、三日前まで食事もできて
話もできて、歌まで歌っていた母
最後は本当にあっけなく何も言わずに
逝ってしまった
みんなを帰さなければよかった
もう少しいてもらえは、みんなで見送れたのに
それだけが心残りだった
けれども私1人になったから母に伝えたいことを
全部伝えることができたし
私1人でもその瞬間に居合わせることが
できたのは幸せなことだったと今は思える
そしてこの1年、どれだけの方に
支えられてきたことか
本当にありがたいことだと
病院からの電話を受けて、私と弟は
タクシーで病院に
いろんなことを話しあっていてようやく
寝ようとしていたところだった
夜が明けて部屋中が朝の光に包まれる頃
ベッドの上の母はもうほとんど意識はなく
何か邪魔なものをはらっているかのように
さかんに右手を動かしていた
呼びかけても確たる返事はなく
辛そうに見えたので、モルヒネを点滴で
ずっと投与してもらうことに・・・
夕方弟は仕事の段取りをするために職場へ
夫も帰宅
長男夫婦が一旦帰った後、母と2人きりに
なるチャンスは今しかないと思った私は
母への思い、感謝の言葉、いろんなことを
母のそばで話し続けた
話終わって、数分後
酸素量測りますね〜と看護師さんが来られた
じっとみていたら、大きく長い息をはぁ〜と
吐いた後、呼吸が静かに止まった
94年11ヶ月の長い人生の幕を閉じた瞬間だった
覚悟はしていたけれど、三日前まで食事もできて
話もできて、歌まで歌っていた母
最後は本当にあっけなく何も言わずに
逝ってしまった
みんなを帰さなければよかった
もう少しいてもらえは、みんなで見送れたのに
それだけが心残りだった
けれども私1人になったから母に伝えたいことを
全部伝えることができたし
私1人でもその瞬間に居合わせることが
できたのは幸せなことだったと今は思える
そしてこの1年、どれだけの方に
支えられてきたことか
本当にありがたいことだと
感謝の気持ちでいっぱい
まだまだ悲しみに浸ることもなく
まだまだ悲しみに浸ることもなく
走り続けた1年だった
実家が人手に渡り、そこで初めて全ての意味で
喪失感に襲われるのではないかと思う
今日は弟は不在だけれど、我が家の家族で
食事をして母のことを思い出す時間を
持ちたいと思う