ほぼ毎日、発泡酒(またはビール)350cc缶1本、寒い季節は
紹興酒ぐい飲み1杯の“鍛錬”の甲斐があって、かつてのように
昼間にアルコールが入ってもその日一日、頭痛に悩まされることはなくなっています。
この町に移り住んで3年、会合や催しの後は必ずまずはビール
一通りカラにすると日本酒に移り約2時間、とにかく人が集まる席にお酒が欠かせないのは
農村部によくある土地柄というものなのでしょうか。
こうして“お酌をして回る”と食前酒の域をすぐに超え、食事を楽しむどころか
料理の全てが肴になってしまう日本式の飲み方が未だに苦手ではあるのですが
それでも料理を口にしながらのお付き合いはなんとかできるようになりました。
とは言え、どんなに飲まされても必ずご飯で締めることになりますので
私の御膳にはまず一品の料理も残りませんしお腹はパンパンになってしまうのです。
そんな朝っぱらから名物の芋焼酎とアサヒドライ、そして日本酒は何でもよいという3日間で
一方、この時期に「1年に400日雨が降る」と言われるこの地方を旅するなんてと
思っていたら案の定、晴れたのは帰る日の種子島だけでした。
特に2日目の屋久島観光は、前日と後日の両日ともに道路が封鎖されて
標高1千mにあるメインの「紀元杉」の見物さえできなかったどころか
前日のツアー客はジェットフォイルが欠航になり、もう1泊を余儀なくされたと聞くにつけ
その合い間を縫ってよくぞ見物できたというものです。
もっとも、カッパと長靴でも持参していない限り
ましてや携帯式折りたたみ傘で濡れるのを防げるのは頭だけで
特に腕と脚はずぶ濡れになりながらのことではありましたが…。
それにしても、こちらの雨は地面で跳ね返らないくせに傘から滴り落ちる量は半端でなく
長野ではとてもお目にかかれない降り方をするものだと感心すること仕切りでした。
一日目の4人部屋では私以外は夜10時前には皆さん高いびき
二日目の五人部屋では夜中まで何を話すでもなく大酒を酌み交わし
一人の30代のすぐ上が64歳の私という、まさに爺さん達の修学旅行は
先生ならぬ若い女の子のツアー添乗員が掲げる旗にくっ付いて無事終了したのでした。