駐在員をしたことのある人は多かれ少なかれ日本からのお客さんの現地案内を頼まれた経験があるはずだ。いわゆるアテンド稼業と云うやつだ。
色々な人が来たが、これから紹介する二人は相当ユニークだった。僕がシスコに着任して少し慣れた頃のことだ。
「いいか。明日そちらに行くお客さんは今、東京支店で工作中の今回の商談のキーパースンだ。くれぐれも粗相のないように頼む。」ファックスと云うものがまだ普及していない頃のことだ。前任の駐在員が真夜中に念押しの電話をかけてきたのだ。
翌日、SF空港に出迎えに行く。年配の方は全国チェーンの社長さんだ。若い方はこのチェーンの北海道子会社の社長とのことであった。宿泊ホテルである SF HILTONへ向けてダウンタウンへと車を走らせていると、まだ疲れていないので早速観光したいとの希望である。とりあえず観光名所であるフィッシャーマンズワーフへ行き眺めのよいテラスで名物の湯がき立てのカニを肴に白ワインを飲んでいるとヘリコプターがヨットハーバーから飛び立ち金門橋からアルカトラズ島を回って戻ってくることが分かった。
「あれに乗ろう。すぐ手配してくれ。」こちらは想定外のことなので予約なしで乗れるかどうかあせったが、3人一緒に即飛び立てるとのことでほっとする。金門橋を上から見たり下をくぐったり、アルカポネが収監されていたと云う監獄島アルカトラスの上空を一回りしたり結構、自分でも楽しませてもらうこととなった。
ホテルにチェックインすると「少し休憩するのでその間に鉄砲の撃てる場所を探しておいて下さい。」とひとこと言って部屋に入ってしまった。またまた想定外の行動なるも日系のガイドブックに載っていた番号に電話するとホテルへの送迎サービスまであるとのこと。かくしてヘリ初体験の後は拳銃初体験をすることとなった。
驚いたのは射撃場についてからである。若い方の社長がやおらバッグから自分のホルスターを取り出したのである。ピストル専用のマイ・ホルスターを持っている人はなかなかお目にかかれません。使いなれていると見えてなかなか様になっている。
用意されていた拳銃は4種類。22口径のオートマチック、38口径のレボルバー、44口径のマグナム・レボルバーは言わずと知れたダーティーハリーがぶっ放すあれです。あと一丁はライフル。こちらは何しろ初めてなのでただ見ているとホルスターを肩からさげた社長が「教えてあげるからちょと撃って見たらどうですか?」と意外に優しく声をかけて来た。
「いいですか。これが安全装置です。銃を的にむけるまでは絶対にはずさないで下さい。
22口径からやってみましょう。」
おそるおそるやってみる。「パンパン。」意外と簡単だ。撃っていると何発かは的に当たったようだ。
次は38口径のレボルバー。「バーンバーン。」迫力がまるで違う。先ほどの22口径がおもちゃに感じられる。
「マグナムもやって見ましょう。両腕でしっかり持って。足、足。両足もしっかり踏ん張って下さい。油断すると大怪我をしますよ。」
「ドーン」 反動でまっすぐ伸ばしていた腕が真上にはねかえった。
一発撃っただけで続ける気が萎えた。僕が見学している間ふたりはもくもくと練習する。
「グアムやハワイとは大違いだ。」とホルスター氏は満足気だ。
晩飯はヴァンネス通りにあるステーキ専門店 HENRY’S に行く。ここの肉は絶品だ。
おふたりとも気に入ったようだ。腹がいっぱいになれば次の要求は容易に想像できた。
「こちらではエイズとかが流行っているそうですね。」と年配の社長が探りを入れる。1980年の初めにようやく日本人に知られた病だ。僕が赴任する前には知らなかった病気だ。
「そのようですね。特にシスコはホモ・セクシュアルの多いところですから危険度は全米一とのことです。」僕も意外と意地悪な返事をしたものだがウソではないところがミソだ。
「ホテルに呼べるんですか?」ホルスター氏
「ええ。お望みでしたら。ただ、呼んだらご一緒は遠慮させていただきます。お互いその方がいいでしょう。」
「今晩は止めとこう。アメリカに着いたばかりでまだ1週間回るんだ。ロスかニューヨークにしようや。今日は色々やって少し疲れたからもう休もうじゃないか。今日はご苦労さん。世話をかけたね。どうもありがとう。」親分の方。
これは想定内の返事だった。まだ力を持て余しているホルスター氏の残念そうな顔が忘れられない。
PHOTO BY FREDERIC LARSON / SAN FRANCISCO CHRONICLE
色々な人が来たが、これから紹介する二人は相当ユニークだった。僕がシスコに着任して少し慣れた頃のことだ。
「いいか。明日そちらに行くお客さんは今、東京支店で工作中の今回の商談のキーパースンだ。くれぐれも粗相のないように頼む。」ファックスと云うものがまだ普及していない頃のことだ。前任の駐在員が真夜中に念押しの電話をかけてきたのだ。
翌日、SF空港に出迎えに行く。年配の方は全国チェーンの社長さんだ。若い方はこのチェーンの北海道子会社の社長とのことであった。宿泊ホテルである SF HILTONへ向けてダウンタウンへと車を走らせていると、まだ疲れていないので早速観光したいとの希望である。とりあえず観光名所であるフィッシャーマンズワーフへ行き眺めのよいテラスで名物の湯がき立てのカニを肴に白ワインを飲んでいるとヘリコプターがヨットハーバーから飛び立ち金門橋からアルカトラズ島を回って戻ってくることが分かった。
「あれに乗ろう。すぐ手配してくれ。」こちらは想定外のことなので予約なしで乗れるかどうかあせったが、3人一緒に即飛び立てるとのことでほっとする。金門橋を上から見たり下をくぐったり、アルカポネが収監されていたと云う監獄島アルカトラスの上空を一回りしたり結構、自分でも楽しませてもらうこととなった。
ホテルにチェックインすると「少し休憩するのでその間に鉄砲の撃てる場所を探しておいて下さい。」とひとこと言って部屋に入ってしまった。またまた想定外の行動なるも日系のガイドブックに載っていた番号に電話するとホテルへの送迎サービスまであるとのこと。かくしてヘリ初体験の後は拳銃初体験をすることとなった。
驚いたのは射撃場についてからである。若い方の社長がやおらバッグから自分のホルスターを取り出したのである。ピストル専用のマイ・ホルスターを持っている人はなかなかお目にかかれません。使いなれていると見えてなかなか様になっている。
用意されていた拳銃は4種類。22口径のオートマチック、38口径のレボルバー、44口径のマグナム・レボルバーは言わずと知れたダーティーハリーがぶっ放すあれです。あと一丁はライフル。こちらは何しろ初めてなのでただ見ているとホルスターを肩からさげた社長が「教えてあげるからちょと撃って見たらどうですか?」と意外に優しく声をかけて来た。
「いいですか。これが安全装置です。銃を的にむけるまでは絶対にはずさないで下さい。
22口径からやってみましょう。」
おそるおそるやってみる。「パンパン。」意外と簡単だ。撃っていると何発かは的に当たったようだ。
次は38口径のレボルバー。「バーンバーン。」迫力がまるで違う。先ほどの22口径がおもちゃに感じられる。
「マグナムもやって見ましょう。両腕でしっかり持って。足、足。両足もしっかり踏ん張って下さい。油断すると大怪我をしますよ。」
「ドーン」 反動でまっすぐ伸ばしていた腕が真上にはねかえった。
一発撃っただけで続ける気が萎えた。僕が見学している間ふたりはもくもくと練習する。
「グアムやハワイとは大違いだ。」とホルスター氏は満足気だ。
晩飯はヴァンネス通りにあるステーキ専門店 HENRY’S に行く。ここの肉は絶品だ。
おふたりとも気に入ったようだ。腹がいっぱいになれば次の要求は容易に想像できた。
「こちらではエイズとかが流行っているそうですね。」と年配の社長が探りを入れる。1980年の初めにようやく日本人に知られた病だ。僕が赴任する前には知らなかった病気だ。
「そのようですね。特にシスコはホモ・セクシュアルの多いところですから危険度は全米一とのことです。」僕も意外と意地悪な返事をしたものだがウソではないところがミソだ。
「ホテルに呼べるんですか?」ホルスター氏
「ええ。お望みでしたら。ただ、呼んだらご一緒は遠慮させていただきます。お互いその方がいいでしょう。」
「今晩は止めとこう。アメリカに着いたばかりでまだ1週間回るんだ。ロスかニューヨークにしようや。今日は色々やって少し疲れたからもう休もうじゃないか。今日はご苦労さん。世話をかけたね。どうもありがとう。」親分の方。
これは想定内の返事だった。まだ力を持て余しているホルスター氏の残念そうな顔が忘れられない。
PHOTO BY FREDERIC LARSON / SAN FRANCISCO CHRONICLE