いつまで経っても暗くならないいわゆる白夜を経験したので恐らく夏場だったのだろう。1985年または1986年にアラスカに出張した時のことだ。
仕事も一段落したので少し観光することにした。輸入販売会社の販売部長さんが氷河の案内をしてくれた。初めて見る氷河の先端にひろがる湖の色は真っ青でなんとも美しかった。一緒に夕食をとっている時に、趣味は何かと聞かれたので釣りと答えた。何故それを早く言わないのかと文句を云われたがその当時は僕もまだうぶだったので仕事優先人間をよそおっていたが、今考えると釣り友達になってから仕事をしていた方がもっといい仕事が出来たのではないかと云う気がしないでもない。サーモンフィッシングに行かないかと誘われたので当然快諾した。翌日は休日で移動日。しかもその計画は魅力的だった。
淡水魚がいっぱいいる山の上の湖に水上着陸が可能な軽飛行機で飛ぶと云うのだ。
興奮のあまりなかなか寝付けないホテルの窓は強風でガタガタとうるさい。案の定、翌朝4時ごろホテルに悪い知らせ。風のため飛行機が飛ばせないとの電話だった。期待が大きかった分、落胆の程度も並みではなかった。ふて寝を決め込んでいるところに7時ごろまた電話。湖は無理だが川釣りならOKだがどうかとの誘い。この僕が断る訳がないでしょう。
販売部長の義理の親父が会員となっているプライベートリバーでのフィッシングとなった。奥さんの実家に寄って鍵を借りて会員専用の門を開けてリバーサイドに到着。早速やってみる。サンフランシスコ沖のトローリングとは異なりルアーを使う。
シスコでは銀色に輝く SILVER SALMON だったがこの川では CHUM SALMONがシーズンだった。こちらの人は何故か DOG と呼んでいる。日本名は白鮭。僕の釣ったやつは白色ではなく茶色っぽい、緑がかった色で上の写真の下の方の感じ。産卵が近づくと色が濃くなるものらしい。
シスコでは鮭の捕獲制限はひとりあたり3匹(4匹だったかも)だったがこちらは7匹だ。ビギナーズラックのせいか先に7匹釣ったのは僕の方だった。相方はまだ6匹だったのでキャスティングを続けていたら運悪く同時にヒット。さんざんにファイトされた挙句釣り上げた8匹目をルールにのっとりお腹をポンポンとたたいてリリースしたところ一泳ぎして横を向いてプカリ、何度やっても同じ結果になってしまった。途方にくれていると側で見ていた釣り人がやって来て、「この鮭は俺の見たところ確実に助からないのでもって帰れ。俺が証人になってやる。」と云う。これが「規則をつくって、規則に縛られない」大人の判断なんだな。アメリカ人もたまには良い所がある。かくして特大の発砲スチロールに計8匹のサーモンをシスコに持ち帰ることとなったのである。
4匹はメスで腹にたっぷりの筋子があり、ジャパンタウンの INO SUSHI に持ち込んだ。以後、数回はいくらイクラを注文しても無料になったことは云うまでもない。
京都出身のいのさん、奥さん元気だろうか?(続く)
写真 GOOGLE 画像検索
仕事も一段落したので少し観光することにした。輸入販売会社の販売部長さんが氷河の案内をしてくれた。初めて見る氷河の先端にひろがる湖の色は真っ青でなんとも美しかった。一緒に夕食をとっている時に、趣味は何かと聞かれたので釣りと答えた。何故それを早く言わないのかと文句を云われたがその当時は僕もまだうぶだったので仕事優先人間をよそおっていたが、今考えると釣り友達になってから仕事をしていた方がもっといい仕事が出来たのではないかと云う気がしないでもない。サーモンフィッシングに行かないかと誘われたので当然快諾した。翌日は休日で移動日。しかもその計画は魅力的だった。
淡水魚がいっぱいいる山の上の湖に水上着陸が可能な軽飛行機で飛ぶと云うのだ。
興奮のあまりなかなか寝付けないホテルの窓は強風でガタガタとうるさい。案の定、翌朝4時ごろホテルに悪い知らせ。風のため飛行機が飛ばせないとの電話だった。期待が大きかった分、落胆の程度も並みではなかった。ふて寝を決め込んでいるところに7時ごろまた電話。湖は無理だが川釣りならOKだがどうかとの誘い。この僕が断る訳がないでしょう。
販売部長の義理の親父が会員となっているプライベートリバーでのフィッシングとなった。奥さんの実家に寄って鍵を借りて会員専用の門を開けてリバーサイドに到着。早速やってみる。サンフランシスコ沖のトローリングとは異なりルアーを使う。
シスコでは銀色に輝く SILVER SALMON だったがこの川では CHUM SALMONがシーズンだった。こちらの人は何故か DOG と呼んでいる。日本名は白鮭。僕の釣ったやつは白色ではなく茶色っぽい、緑がかった色で上の写真の下の方の感じ。産卵が近づくと色が濃くなるものらしい。
シスコでは鮭の捕獲制限はひとりあたり3匹(4匹だったかも)だったがこちらは7匹だ。ビギナーズラックのせいか先に7匹釣ったのは僕の方だった。相方はまだ6匹だったのでキャスティングを続けていたら運悪く同時にヒット。さんざんにファイトされた挙句釣り上げた8匹目をルールにのっとりお腹をポンポンとたたいてリリースしたところ一泳ぎして横を向いてプカリ、何度やっても同じ結果になってしまった。途方にくれていると側で見ていた釣り人がやって来て、「この鮭は俺の見たところ確実に助からないのでもって帰れ。俺が証人になってやる。」と云う。これが「規則をつくって、規則に縛られない」大人の判断なんだな。アメリカ人もたまには良い所がある。かくして特大の発砲スチロールに計8匹のサーモンをシスコに持ち帰ることとなったのである。
4匹はメスで腹にたっぷりの筋子があり、ジャパンタウンの INO SUSHI に持ち込んだ。以後、数回はいくらイクラを注文しても無料になったことは云うまでもない。
京都出身のいのさん、奥さん元気だろうか?(続く)
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