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李氏朝鮮時代を旅した日本人

2023年05月06日 17時01分00秒 | 日記

1894年 李氏朝鮮時代の朝鮮を旅した日本人

本間九介の書いた『朝鮮雑記』が面白い
かの有名なイザベラ・バードの書いた
『朝鮮紀行』より4年早く書かれた物であって
とても面白く
以前にも読んだがまた読みたくなって
読み始めたところです
 
 


 
客舎には、蚊、虱、蚤に加え、ビンデーという、一度咬まれれば一週間は痛む寝床の虫が多く出るため、室内で寝ることができない。そのため、夏になると、宿の主人も室内には案内せず、内庭、あるいは路上に蓆を布き、そこに木製の枕を持ってきて、客をこの上に寝かせる。  とはいえ、いく群れとなく蚊などが襲ってきて、安眠を買うことはできない。枯草を焚いて蚊やりとすれば、煙が出ているうちは蚊も寄ってはこないが、自分もまた、煙にむせて、やはり寝られない。ようやく煙が絶えたかと思えば、まもなく群蚊が、鼓を鳴らして耳ぎわをかすめ、終夜ブンブンと、つかの間も、まどろむことができないのである。  これに加えて、蒼天のもと、野宿しているのであるから、夜露がふって衣服が湿るし、その苦しさは、あたかも、深山幽谷に遊んで帰路を見失い、虎や豹のうなり声を聞きながら、身を横たえているかのようである。  宿を貸さぬ人の心のつれなさに、朧月に伏し、行き暮れて、花をあるじ(宿の主人)と眺めるのは、値千金の春宵(情緒ある春の夜)というが、これは※三伏の夏の夜の話である。  宿を得られず野宿する情緒はあるだろう。ただ、宿を得ておきながら、その宿が宿の体裁をなしていないがために、結局は野外で、露を褥(敷き布団)に夜を明かすことのほうが、かえって旅の情緒があるといえなくもない。」
 
 
 
女医

 かの国の中流以上の婦女は、病にかかっても、男医に診察を受けることはない。たとえ、診察を受けることになっても、顔を見せることを恥じ、被服より手を出して、わずかに脈を診てもらう程度である。
 もっとも、女医というものもある。しかし、医者というのは名ばかりで、『※傷寒論』一冊を読んだこともなく、その現実は、売春を渡世とするものである。このような女医が、まさかのときの役に立つわけもなく、哀れにも、かの国の婦女は、重病におかされたら、みすみす命を棄てるしかない有様なのだ。
 日進月歩のわが国の文明では、婦女が医の道を志し、業を卒えたものが、たいへん多い。もし、日本人女医が、折よく一葦水(一衣帯水)の海を渡って、かの国に入り、この憫れむべき病婦を※済度(救済)したならば、その※功徳無量、また※利益も、たいへん多いものになるだろう。
 京城(ソウル)に在留する日本人で、医業を行なうものは三人あるが、みな、それ相応の資産を有し、毎月の平均収入も百五十円を下らないという。
 日本人婦女で、波濤(海)を越えて、外国に入ろうとするものの多くは、売春婦である。もし、女医が、その技術をもって海外で万金をかせぐのを見れば、今はろくでもない売春婦も、医を学ぶ志を立てるだろうか。

   ※  傷寒論……三世紀の中国で書かれた古典医学の基本書。 

   ※  済度、功徳無量、利益……仏教語を用いているのがおもしろい。
 


こんな感じなのだ。
 
 
 
 
 
 
 
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