我が母、92歳何を考えて暮らして居るのやら。
頭の中は過去の思い出ばかり、
それも、遠い、遠い遥か昔の事ばかりだ。
母はほとんど話さない。
たまぁーに喋っても、その言葉を理解してあげるのに、非常に苦労する。
ほとんどろれつ回らないので、
二度、三度聞き返してやっと少し判断出来るほどだ。
母が全く動けなくなったのは、今年の6月の事だった。
それまでは介助付きで、一日一回お風呂に入るため、お風呂場まで歩く、
そう言う生活を5年間続けた。
母が動ける内は、歩けるのに、動こうとしない怠惰さに腹が立ち、
強い言葉で叱咤したり、罵ったりしたものだ。
「動けるのに動かないなんて、生きる屍だよ」とか
「もっと歩かないと、動けなくなったら面倒みないよ」とか
チビデブでおそらく、私より体重のある母、
一人では介護出来ないと、真剣に悩み、
そうなったら介護施設に入れようと思った。
動けなくなる日は突然やって来た。
6月、膝の痛みを訴え、立てなくなった。
膝に水がたまり、ほとんど歩かない人がなんで?(゜゜;)
と思いながら病院に連れて行った。
偽痛風だった。
歩けなくなった母のために訪問入浴をお願いした。
7月、暑さのために意識が混濁。
母は朦朧とした意識の中で、自分のお葬式をしているらしい。
本当に生死の境をさ迷ったらしい7月。
母の死を覚悟した月。
8月、ついに入院。
4年10ヵ月振りに、介護から解放された自由な月。
9月、介護生活再開。
何も出来ない母と向き合う事になった。
歩く事も、食べる事も、水を飲む事も、寝返りさえも、
全く何ひとつ出来ない。
私の最も恐れていた事が、現実に始まった。
しかし、人間って必要に迫られると何でもない出来る物だ。
一人でオムツ替えも出来る様になったし、
着替えだってさせられる。
介護が苦労と思わなくなった。
もう何も期待していないし、これ以上悪いことは起こらない。
そう思うと、自分の精神も安定する。
母に優しく出来る、自分も好きで愛しい。
母はかなり元気になった。
お通じも毎回あるし、
食だってそれなり。
それでも、夢か現実か分からぬ母の世界の中で、
時々あの世に行って帰って来たりしている様だ。
自分のお葬式をしているらしい。
実際、あの年になると、
そして、全く動けなくなってしまうと、
お葬式の事しか考えなくなってしまうのかもしれない。
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