昨日はギターの忘年会で家に居なかったので
フィギュア好きな私は、全日本選手権の最後を飾る
エキシビションを見られなかったんですが
今朝、「めざましテレビ」で見て織田信成選手の引退を知りました。
これを見て もう、胸が一杯でした
実は私は織田選手のファンでした。
ソチ五輪出場を果たしてくれる事を秘かに祈っていたんです。
でも、それも成らず引退です。
今季で選手生活から引退する事は知っていたけれど
それにしてもこんなにも唐突に
本当に突然過ぎる・・・ 引退表明でしたね。
「ラストサムライ」
「鳴かぬなら、泣きに泣きますホトトギス」
織田信成 まさかの電撃引退! めざましテレビ 2013/12/25
「すごく充実した時期を過ごせている」
フィギュア織田信成インタビュー・前編http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/figureskate/all/1314/columndtl/201312160002-spnavi?page=1
織田信成(関西大学大学院)は終始、柔らかな笑みを浮かべていた。取材日はグランプリ(GP)ファイナル出場が急きょ決まった翌日。突然の報に加え、大会も間近に迫っていたとあって、多少なりとも焦燥感があると思っていた。しかし、その予想は見事に裏切られた。「不安や焦りはあるかもしれないですけど、僕はいま、すごく充実した時期を過ごせているんです」。2010年バンクーバー五輪でのアクシデント、結婚、そして負傷による長期離脱からの復活。そのすべてが織田にとっては糧となり、現在の好調につながっている。高橋大輔(関西大学大学院)とともに長年、男子フィギュア界をけん引してきた織田も26歳。若手の台頭も著しいが、GPファイナルでも3位とまだまだ健在であることを見せつけている。今季限りでの引退を表明している織田に、バンクーバー五輪からの4年間を振り返ってもらいつつ、現在の心境を聞いた。
技術面、精神面ともに良くなっている
――まずは今季のここまでの演技について聞かせてください。GPシリーズはスケートカナダとNHK杯に出ていますが、ご自身ではここまでの演技をどう評価していますか?
スケートカナダのときは思うように滑ることはできなかったんですけど、NHK杯はショートプログラム(SP)もフリースケーティング(FS)もこういう滑りがしたいなと思っていた滑りができました。日本のお客さんの前でそういう滑りができたのはうれしかったですね。昨シーズンと比べても、技術面も精神面もちょっとずつ良くなっているかと思います
――5年ぶりのNHK杯で、すごく歓声も多かったと思います。滑ってみて、それはすごく感じましたか?
本当に久しぶりの日本での国際大会で、僕自身もNHK杯はすごく好きな大会ですし、わくわくしていたんですけど、いざ本番になると緊張や不安はありました。でも本当にお客さんの声援や「がんばれ」という言葉が後押ししてくれたなかで滑ることができたので「幸せだな」と思いました。
――SPでは最初はご自身でも納得の演技だと感じたと思うのですが、実際はエラーなどがあり、思ったより点数が伸びませんでした。残念な気持ちはありましたか?
結局、自分のミスですからね。「ミスしてしまったんや」という自分でも分からないミスをしてしまったので、そこはしっかり修正しないと、と思いました。でもSPが終わったときのお客さんの歓声からすごく勇気をもらったし、うれしかったので、FSに向けて期待に応えないといけないと思っていました。
――すぐに切り替えられました?
そうですね。切り替えというよりも、そこまで落ち込んではいなかったんです。いつも見てくれる母なんかも「良かったよ」と言ってくれたので、そこは自信になりました。
4回転ジャンプが安定してきた
――アイスショーから4回転ジャンプを降りていて、すごく好調な印象を受けていたんですが、4回転ジャンプに関しては今季うまくいっているとご自身でも感じていますか?
そうですね。昨シーズンは筋力から上げていかなきゃいけなかったので、それと4回転を跳ぶ技術がかみ合わなかったんですけど、昨シーズンのトレーニングで培ったものを今季の自分自身のパワーに変えることができたので、4回転も安定してきたと思います。以前は四六時中、4回転のことを意識していたんですけど、いまは4回転を2本跳ぶということだったり、ステップから4回転を跳ぶということだったり、違う考え方をできるようになったので、レベルアップできているなと思います。
――今季は別のことも考えられるようになったと?
ほかの面でも成長していかなきゃいけないと感じますし、芸術面でも伸ばしていきたいと思ったので、4回転のことをあまり考えないで良くなるような自分を目指して、トレーニングをしてきました。いまは少しずつできているのかなと思います。
――4回転ジャンプやそのほかのジャンプも含めて、昨シーズンからフォームを変えたり、練習の方法を変えたりしたということはありましたか?
特に技術面で「これを変えた」というのはないんですけど、どの練習をするにしても絶対にあきらめないとか、妥協しないとか、自分がこれをやると決めたら最後までしっかりやることを心がけています。
――2シーズン前のけがを踏まえて、昨季や今季で変えた部分はありますか?
きちんと体のケアをするようにしています。1度けがをした部分をまたけがすることはよくあることなので。そういうところは意識して、オイルを塗ったり、湿布を貼ったりというケアはけがをしたときに学んだので、いまでも練習にプラスしてやっています。
――けっこう入念にやっているのですか?
2カ月に1回とか調子が悪いときに古傷が痛んだり、まれに感じるときがあるので、そういうときは特に入念にやるようにしています。五輪シーズンで無理をしないということは無理なんですけど、ケアをよくできるようになったかなと。
自分の人生が変わるターニングポイント
――自身のなかでブラッシュアップしていかないといけない感じている部分はありますか?
ジャンプだけじゃなく、スピンやステップのレベルであったり、技術面を落とさないようにしなきゃいけないと思っています。自分が目指している高いレベルの評価をもらえるようにすることと、芸術面においても、指先や足先を意識して滑るようにしています。
――かつてないほど出場権争いが熾烈を極めています。長年、男子フィギュア界をけん引してきた織田選手にとっては、現状をどう思いますか?
若手の選手がすごく伸びてうれしい反面、勢いがある選手と戦わないといけない難しさをベテランの選手はみんな感じていると思います。緊張や不安や焦りはあるかもしれないですけど、自分の人生において、僕はいま、すごく充実した時期を過ごせていると思うんです。だから自分の人生が変わるターニングポイントなんだと思って、気を抜かないで練習をしています。
――8年前や4年前と比べて、代表選考を控えたいまぐらいの時期で変わっている部分はありますか?
(8年前の)トリノ五輪のシーズンはシニア1年目で、自分が五輪候補と言ってもらえることがすごく光栄でした。本田(武史)選手や高橋(大輔)選手もいましたし、シーズンが始まるまでは五輪なんて全く考えていなくて。初めてのシニアのシーズンだったので、のびのびやろうという気持ちしかなかったんです。本当に注目してもらえたし、自分のスケートを知ってもらえて、すごく良い年だと感じていました。プレッシャーもなかったですし、ただただ勝ちたい、良い演技をしたいという気持ちだけでした。
そういうシーズンを経て、バンクーバー五輪までの4年間は、バンクーバーを集大成にしようという気持ちでしたね。23歳になる年で、そのあとスケートをやるか決めていなかったし、そこを1つの区切りとして、集大成だと思ってやってきたので、そういう意味では4年前のほうが自分にプレッシャーをかけていました。そこでソチに向けてやっていきたいという気持ちも強くなりました。いまは自分よりも周りの選手の勢いにプレッシャーを感じる部分があります。そういった面ではいまのほうがプレッシャーを感じているかもしれません。
――4年前と現在を比べて成長した部分はどういうところだと思っていますか?
バンクーバー五輪のときは自分自身が子どもだなと思っていました。それが結婚を経て、子どもができて、だいぶ落ち着いてきましたね。前までは感情の起伏が激しかったんですけど、いまはそういうことがなくなりました。何事にも冷静に接することができるようになったかなと思います
「僕のスケート人生は幸運の連続だった」
フィギュア織田信成インタビュー・後編http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/figureskate/all/1314/columndtl/201312160005-spnavi
織田信成(関西大学大学院)は、自身のスケート人生に感謝している。母親がコーチであったこと、競技を続けられる環境に恵まれていたこと、そして第一線で活躍できたこと。もちろん不慮のアクシデントもあったが、「僕のスケート人生は幸運の連続だった」と、穏やかな面持ちでそう語る。今季のテーマを『笑顔』としたのも、現役ラストシーズンを楽しく滑りきることで、そうした感謝をこれまで支えてくれた周囲の人々に伝えたいと思っているからだ。来年2月のソチ五輪の出場枠をめぐる男子の争いは熾烈を極めている。2010年のバンクーバー五輪では、不本意な出来に終わっているだけに、今回に懸ける思いは誰よりも強いかもしれない。「(ミスをした)その選手がこんな演技をしてるんだと日本だけではなく世界にアピールしたい」。インタビューの最後、織田は力強くそう宣言した。
若手のおかげでハングリー精神がよみがえった
――2011年のけがから復帰したときはどういった気持ちでしたか?
まず本当に試合に出られて良かったなと思いました。それと同時に、また五輪と世界選手権の切符を勝ち取らないといけないという新たな不安も生まれましたね。ただ、それもぜいたくな悩みなのかなって思ったんです。けが明けのシーズンだったので復帰できて良かったなという感謝の気持ちもありましたね。
――けがを乗り越えて変わったと思うところは?
これまで以上にどういう練習をするか、どうコントロールするかを綿密に考えるようになりました。ここが痛いときはこの練習をするといった練習方法であったり、ケアだったりを学べたのはけがの成果だったと思います。
――昨年の全日本選手権は4位で表彰台を逃しましたが、焦りなどはありましたか?
焦りよりもすごく悔しかったです。スポーツなので練習して勝たないといけない、感謝しているだけではいけないと感じました。1位になるということは誰かを蹴落として勝っていかないといけない。そういうハングリー精神が自分にはなかったと再確認できました。当時は宿舎のホテルでうなだれてました(笑)。ただ、その3週間後に国民体育大会があったのでそこで必ず勝ってやろうとモチベーションは上がりましたね。
――ここ最近は若い選手の台頭が著しいですよね
そうですね。でも自分が勝つ、何が何でも勝ち取ってやろうというハングリー精神が若手選手のおかげでよみがえりましたね。そのときの負けが五輪選考会じゃなくて良かったなと思います。
デビッドは曲選びに間違いがない
――今季のプログラムは楽しく滑ることができていますか?
フリースケーティング(FS)に関してはステップの部分で表情を明るくするよう振付師の方に言われていますし、ショートプラグラム(SP)も明るく滑ってほしいと言われたので、楽しさや笑顔を自然に表せるように練習から気をつけています。
――テーマを「笑顔」にしたきっかけは?
今季が現役最後のシーズンだったのでしんみり終わりたくないと思ったんです。SPもFSも楽しく滑れることができるように先生に曲を選んでもらったので、精いっぱい頑張ろうと思いこのテーマに決めました。
――SPの『コットンクラブ』はデビッド・ウィルソン氏の振り付けですが、今回は最後のシーズンということで依頼をしたんですか?
デビッドはジュニアからシニアに上がるまでサポートしてくれた恩人です。そうした先生に感謝を込めて演技したいなと思い、依頼したんです。FSの振り付けを考えてくれたローリー(・ニコル)はけがをしてからもお世話になっていました。FSでいつも満足できる振り付けを考えてくれるので、それで現役生活を終えることができたらいいなと思ったからです。
――05年に世界ジュニアを制した際もデビッド・ウィルソン氏の振り付けだったので、ゲンを担ぐじゃないですが、最後のシーズンもそれでいこうと考えた部分もあったんですか?
そうですね。デビッドは曲選びに間違いがなく、振り付けやプログラムに関しても絶対的な信頼を置けるんです。まあ、彼は感情の起伏が激しい人なので、調子が乗らないと練習に来ないときもあるような人なんですけど(笑)。ただ、そういうところも含めてデビッドに付いていくんだという気持ちです。
フィナーレ・織田信成現役引退挨拶 - 2013 Medalist on Ice Finale & Nobunari Oda announced his retirement.
織田君ってとってもいいキャラクターだったなぁって思います。
バンクーバーのオリンピックの時は靴ひもが切れちゃったり
どこだかの大会では飛びすぎちゃったりのミスをしたり
そんな事からスケート界の「うつけ者」なんて異名をとっていたりする
だけどそんなポカな所が憎めない織田信成公なのですね。
感情を隠さないストレートな所も憎めない所以なのかな
ラッピングバスへサインする織田だが・・・
真央ちゃんの顔にひげを
謝る織田が可愛い
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