叔父の葬儀に埼玉まで行って来た
戦後没落した我家、そこの末っ子として育った叔父は
苦学して自分の力で学費を稼ぎ、医学を修め
離島の医師を経験したり、某私立付属病院の院長経て
自分の診療所を持ち医療に従事した人だった。
私達家族の為にも力をおしみなく貸してくれた、
我が家の誇りだった叔父。
叔父の好きだった欄の花で、棺を一杯飾られての旅立ちだった。
最後の欄の花を叔母が棺に納めながら、両脇を二人のお嫁さんに支えられながら
「お父さん、ありがとう」と言った叔母の言葉が悲しく響いた。
本当に心にしみる、良いお葬式だった
素敵な家族に囲まれ叔父の人生も幸せだったのだろうと
叔父の最期をしみじみと送った。