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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
* 再度、前置き(昭和の終わりころ~)
私の名前は、流休人。
背が低いので当然足は短いのです。
ピカ輪(巷では、団塊とも)の世代の、3人の子持ちの
ヒラ会社員であります。
{利好虎(リストラ)の絶好物・・ 誰ですか、そんなこと言うの!}
そう、どこにでも転がっているような平凡なオッさん、
なのです。
で、通称はオッさん、あだ名はドン作。
このあだ名は、根がドン臭いため進呈されたものであります。
残念ながら、命名者の名前は忘れてしまいました。
忘れてはしまいましたが、あだ名だけが言魂となってまとわり
ついております。
まとわりつけば、いつかは愛着も起きるのでしょうね。
今では、この呼び名にもすっかり耳慣れてしまいました。
また、30前に長女の友達から、オッちゃんと呼ばれた
あの衝撃も、記憶の彼方へ遠ざかっております。
近ごろでは、このオッさんの世界に安住の地を見出だして
いるとでも申せばよいのでしょうか。
このドン作オッさんが、私には、よく似合っているように
思えます。
では、続きまして・・・
* 香久やま姫(052)
春過ぎて 夏来るらし 白妙の
衣乾したり 天の香具山
持統天皇 (万葉集・巻1・28)
私の親友・ちうに寄れば、この歌は当たり前すぎて意味深だと言う。
私は、短歌などよくは分からない。
彼に言わせると、この歌は、
春過ぎて夏来るらし白妙の衣乾したり天の美和山
にした方が、白妙の衣にはぴったりするという。
美和山(三輪山)は、
確かに女性の曲線を象徴しているような、
優美な山容をしている。
それに比べて、香具山は、丘のような山らしくない山である。
美和山が、円熟した女性なら、
香具山は、髪をチリチリに痛めつけた
荒々しい雑な女性を、思わせるような山に見える。
ちうは、
藤原京の時代に、二山がどういう山並みをしていたのかは知らない。
あくまでも、今の形を基準にモノを言っているのである。
初夏を感じさせるものは、
朝夕及び日中の温度、
水の感触、
風、
空の重さ、
食卓に並ぶ食物類、
葉桜・若葉などなど、
数え上げたらキリがない。
その数多くのものの中から、
白妙の衣を選んだ理由は、一体何だったのだろうか?
周りには、たくさんの山々があるというのに、
何故、香具山でなければならなかったのか?
あまりにも単純すぎて、恐い気がする、とも言うのである。
けれども、私にとっては、そんな事はどうでもいいことだ。
つづく