先日紹介したKaくんのお弁当の場面です。
両サイドのもたれがない普通の椅子です。この方が背筋もしゃんとしているし、何よりも一人で食べられる展望がでてきました。両足置きも少し傾斜をつけました。机の上の容器を置く「マット」は容器の形に切り抜いてガムテープで固定しただけです。全部、ぽぽろ使っている物を利用しました。
彼は離れたところで他の子と食べている私に何度も「オー!オー!」(みてくれ!)と声をかけておりました。その内にこれが当たり前の姿勢になってきたらいちいち声をかけなくなり、必要なときのみ呼んでくれるようになるのではないかと期待しています。
自分でできることは頑張る、可能性に挑戦する、できないことは助けを求めるという関係(本人の力)をつくっていきたいものです。
ただ、学校でも家庭でも学童でも頑張るというようなことはできませんし、ぽぽろの本意でもありません。家庭では甘えたり、リラックスしたりしたいときもあるし、バランスが必要です。お母さん、程々に。




さて、自画自賛になりますが、昔とった杵柄です。肢体障害の子らが通う支援学校に通算20年務めていましたのでやりだしたら早いです。彼の姿勢をつくりながらあの頃の知恵や感触(彼の体の機能)がよみがえってきました。
ただ、支援学校は入学までに就学前療育園との引き継ぎ、整形検診や入学観察などを経て、机・椅子などはほぼ整った状態で入学してきます。ここはお勉強の場ではありませんし施設・設備も予算も何もありません。生活の場、遊びが出きるようにという視点で受け入れ、試行錯誤しながら考えていきます。
それにしても、家庭生活での姿勢保持についてはご家族からお聞きしたのですが、学校(通常学校)ではどのようにしているのでしょう?車椅子が中心かな?
必要以上に車椅子のベルトをして、利用者の行動を制約している状態を「虐待」と指摘されるケース(福祉の世界では特に問題視・意識化されている)があります。ぽぽろではできるだけ彼を床に降ろすようにしています。その場合の姿勢保持と介護がないと「放置」されることにもなります。そうしなくてもいいような施設・設備・人的保障をきちっとして欲しいものです。「虐待防止法」をつくって、それを学校にも適応させる(通報義務を課す)かどうかの議論があります。否定的な意見の中の一つに「学校における虐待行為(行き過ぎた指導を含む)が決して許されるものではないことは当然の前提として、学校現場において指導上や安全確保上必要な行為ができなくなるといった過度の萎縮効果を招くことのないよう留意することが必要である」というものがある。私には「行き過ぎた指導」「無自覚な指導」は支援学校も含めてまだまだ多くあるように思える。
また、「インクルーシブ教育」を「場」の問題に矮小化する議論が一部にあります。私たちの中では地域の通常学校と当事者・家族の必要と要望に応じて特別支援学校・学級にも在籍が保障されるという提言を積極的に打ち出そうとしています。つまり「二重在籍」の保障であり、一般教育制度から排除されないという形をつくることです。
しかし、それにとどまることなく「発達を最大限にする環境」での支援が保障されなければ真のインクルーシブ教育とは言えないということです。これを国連・障害者の権利条約では「合理的配慮」といっています。
仮に彼のように通常の学校に通学する選択をした場合でも、地域の学校に在籍しながら特別支援学校(特に彼の場合には肢体障害を主たる対象とする学校)のサメ[トを提供していけるようなシステムを作ることになればいいのになって考えます。
「あれかこれかではなく、あれもこれも」選択、保障できるシステムが求められていると思います。いわば通常の教育も特別な場での教育も改革される必要があるし、どちらも教育環境をしっかり整えることなくしてインクルーシブ教育も創造できないと思うのです。
これは学童保育でも同じことが言えます。私たちのようではない通常の学校の学童保育に通っている子どもたちにもきちんと障害のある子の特性やニーズに対応すること、例え特別支援学校に在籍していても必要に応じて地域の学校の学童も利用できるようにすることです。ある自治体では、夏休みに地域の学校の学童には通えても特別支援学校に在籍しているという理由でプ<汲ノは入れなかったと聞きました。これがほとんどの実態だと思います。
地域の学校の学童もぽぽろの学童も二重に利用している場合には、求めがあれば私たちの方からも連携で出かけることはやぶさかではありません。
両サイドのもたれがない普通の椅子です。この方が背筋もしゃんとしているし、何よりも一人で食べられる展望がでてきました。両足置きも少し傾斜をつけました。机の上の容器を置く「マット」は容器の形に切り抜いてガムテープで固定しただけです。全部、ぽぽろ使っている物を利用しました。
彼は離れたところで他の子と食べている私に何度も「オー!オー!」(みてくれ!)と声をかけておりました。その内にこれが当たり前の姿勢になってきたらいちいち声をかけなくなり、必要なときのみ呼んでくれるようになるのではないかと期待しています。
自分でできることは頑張る、可能性に挑戦する、できないことは助けを求めるという関係(本人の力)をつくっていきたいものです。
ただ、学校でも家庭でも学童でも頑張るというようなことはできませんし、ぽぽろの本意でもありません。家庭では甘えたり、リラックスしたりしたいときもあるし、バランスが必要です。お母さん、程々に。




さて、自画自賛になりますが、昔とった杵柄です。肢体障害の子らが通う支援学校に通算20年務めていましたのでやりだしたら早いです。彼の姿勢をつくりながらあの頃の知恵や感触(彼の体の機能)がよみがえってきました。
ただ、支援学校は入学までに就学前療育園との引き継ぎ、整形検診や入学観察などを経て、机・椅子などはほぼ整った状態で入学してきます。ここはお勉強の場ではありませんし施設・設備も予算も何もありません。生活の場、遊びが出きるようにという視点で受け入れ、試行錯誤しながら考えていきます。
それにしても、家庭生活での姿勢保持についてはご家族からお聞きしたのですが、学校(通常学校)ではどのようにしているのでしょう?車椅子が中心かな?
必要以上に車椅子のベルトをして、利用者の行動を制約している状態を「虐待」と指摘されるケース(福祉の世界では特に問題視・意識化されている)があります。ぽぽろではできるだけ彼を床に降ろすようにしています。その場合の姿勢保持と介護がないと「放置」されることにもなります。そうしなくてもいいような施設・設備・人的保障をきちっとして欲しいものです。「虐待防止法」をつくって、それを学校にも適応させる(通報義務を課す)かどうかの議論があります。否定的な意見の中の一つに「学校における虐待行為(行き過ぎた指導を含む)が決して許されるものではないことは当然の前提として、学校現場において指導上や安全確保上必要な行為ができなくなるといった過度の萎縮効果を招くことのないよう留意することが必要である」というものがある。私には「行き過ぎた指導」「無自覚な指導」は支援学校も含めてまだまだ多くあるように思える。
また、「インクルーシブ教育」を「場」の問題に矮小化する議論が一部にあります。私たちの中では地域の通常学校と当事者・家族の必要と要望に応じて特別支援学校・学級にも在籍が保障されるという提言を積極的に打ち出そうとしています。つまり「二重在籍」の保障であり、一般教育制度から排除されないという形をつくることです。
しかし、それにとどまることなく「発達を最大限にする環境」での支援が保障されなければ真のインクルーシブ教育とは言えないということです。これを国連・障害者の権利条約では「合理的配慮」といっています。
仮に彼のように通常の学校に通学する選択をした場合でも、地域の学校に在籍しながら特別支援学校(特に彼の場合には肢体障害を主たる対象とする学校)のサメ[トを提供していけるようなシステムを作ることになればいいのになって考えます。
「あれかこれかではなく、あれもこれも」選択、保障できるシステムが求められていると思います。いわば通常の教育も特別な場での教育も改革される必要があるし、どちらも教育環境をしっかり整えることなくしてインクルーシブ教育も創造できないと思うのです。
これは学童保育でも同じことが言えます。私たちのようではない通常の学校の学童保育に通っている子どもたちにもきちんと障害のある子の特性やニーズに対応すること、例え特別支援学校に在籍していても必要に応じて地域の学校の学童も利用できるようにすることです。ある自治体では、夏休みに地域の学校の学童には通えても特別支援学校に在籍しているという理由でプ<汲ノは入れなかったと聞きました。これがほとんどの実態だと思います。
地域の学校の学童もぽぽろの学童も二重に利用している場合には、求めがあれば私たちの方からも連携で出かけることはやぶさかではありません。