大阪発達支援センターぽぽろブログ ぽぽろ番

ぽぽろはNPO大阪障害者センターの子育て・教育支援部門です。
大阪市鶴見区今津北にあります。

穏やかな琵琶湖の朝(補足あり)

2011年08月22日 | ヤンボラ・ヤンクラ
今日は早朝に仕事で帰阪するヤンボラリーダー(元?)のTさんを駅まで送りました。えらいなぁ~。
女子は起きてきて思い思いに散歩やダベリングを楽しんでいます。男子諸君は2階でぐっすり眠りこけています。
 昨夜は午前1時過ぎにお開きになったそうです。例によって、アルコールの入った私はコテンと寝てしまいました。今年こそはヤングたちと語り明かそうとひそかに心に決めていたのですが決意唐黷ノなりました。(反省。言い訳ではありませんが、骨折による姿勢や運動の左右差が生じた状態でのアンバランスな歩行や労働はかなりきついのです。)
 Haさんはほとんど一睡もせずに話しこんだそうです。前日も入れると二日間寝ていないということになります。OtoさんやMaくんが交代で翌朝まで付き合ってくれたようです。
 私も、雨が上がって、湖畔で凪ぎの音を楽しんでいます。

周囲を見渡すと夕べのバーベキューや花火大会のアトがそのまま残っています。後片付けが大変だ。

昨夜はこんな感じでした。



 サプライズ、Naさんの私へのお手紙を読んでくれるTiくん。


 花火大会。「火付け役」はTiくんとOriくん。


 この二人、何をしていると思います?
 「宝石みたいやねぇ」と詩的な表現で私が言うと、二人には三枚目役者のありきたりで陳腐なセリフだったようで、「ありえない!」と一蹴されました。
 実はシートの上に降ってたまった雨を、シートを指で押さえながら上からライトで照らして滴る水の「模様」や「状態」?を二人は楽しんでいるのです。
 「視覚情報処理能力が高い」からでしょうか?見え方がどうも違うようです。
 でも、確かに私が見ても綺麗かったのです!
 何と30分以上は見つめていましたよ。


 Tuさんと代わりにやって来たのがFuさん。前日は作業所の夏祭りだったそうです。日帰りでも参加したい程の何かがぽぽろの合宿にはあるようです。
 また、初日にはバーベキューに間に合うように?初参加のヤングアルバイトのMaくんととんぼ作業所(今は児童デイ「とんぼ」)から研修に来ていたToさんの二人も合流して夜の宴は大いに盛り上がりました。


ぽぽろ夏祭り

2011年08月21日 | 児童デイサービス

土曜日のディ。ぽぽろ祭りということで、Mさんへ「琉球太鼓」を依頼しました。とても気合いの入った踊りに、スタッフ一同感動です。こどたちより、スタッフが初めての琉球太鼓を経験させてもらったのだと思います。かっこいいMさんの太鼓の後は、子どもたち一人一人太鼓をたたかせてもらいました。
                   
 いつもとは、違う太鼓の演奏に、大興奮のkくんです。

 Geちゃんは、終わるで、プレイルーム中をリズミカルに踊っていました。

 Hiちゃんは、夏祭りと知り、今日を楽しみに来てくれましたが、太鼓を目の前にするといささか緊張の面持ちです。

 午前中、早速泳いでいたMaちゃんも、太鼓には間に合うように帰ってきて、しっかりと太鼓をドンドン、カチカチと、Maちゃん流の太鼓のたたき方、なかなか慣れた手さばきを披露してくれました。朝から一緒にプールで泳いだFくん、関心はあるものの、机の下にもぐって、周辺参加。Yoくん、Hiくんは、Mさんの琉球太鼓をたたく姿にすっかり魅了され、姿が見えなくなるまで、見送ってくれていました。その中にバイトのUくんも加わり、演奏を見られなかったことをかなり悔しがっていました。Mさんどうかまた来てあげて下さい。

 今回、やきそばづくりをしました。好きな子もいれば、まだ母がつくったことがないと言われて生まれて初の焼きそばに挑戦というMaくん。残念ながら、見向きもされませんでした。
 焼きそばの担当をしたい「私がやる」と少し前から言ってくれていたMoちゃん。焼きそばコーナーでは、バイトのKoさんと野菜、焼きそばを焼き、味付けと暑い中、一生懸命に焼きそばづくりをしてくれている姿がありました。今回、自分からやりたいことを言い、最後までやり遂げたMoちゃんの姿に感動です。


 
 だがしやコーナーでは、Hiちゃんが、担当になって、各自配られた、だがしけんと交換し、お店の人をしてくれました。




 子供たちにとって、少しは思い出の夏祭りになってくれたでしょうか。Kさんは、今日をなぜか夏祭りと知って、友達を引き連れきてくれていたようです。そうですね。みんなが参加できるお祭りできないものかな。次回の私の課題です。

ヤンボラ合宿だぁ~№1

2011年08月21日 | ヤンボラ・ヤンクラ
やってきました、Hi邸。JR北小松駅から徒歩10分の琵琶湖畔にある別天地です。今日から二日間ヤンボラ合宿で今年もお世話になります。毎年ありがとうございます。



 雨が降ったりやんだりの天気ですが、気分は最高。総勢16名が参加して、合宿の始まりはじまり!


 と思ってロッジに入ると、「え~!!!!!うっそ~!!!!」
 「昨夜の11時頃にきた方がおられます。今、聡恚@をかけてもらっています。」
 確かに集合時間は今日の11時半。いくら時間を守るのが苦手とはいえ、早すぎるではないか!!というか、遅すぎるではないか!真夜中やぞ。
 家族で一足先に来ておられたHさん家族も開いた口がふさがりません。が、半分あきれ顔で、4分の1は笑い顔で、4分の1は怒り顔で?状況を語ってくださいました。
 「夜中の11時頃にドアをノックして、軒下でもいいから泊めてくださいと言うのです。そういうわけにはいかないので、どうぞということに。そしたら、晩ご飯も食べていないと言うので…。とりあえずスタッフのShaさんには電話されてました。」ということで一宿一飯の恩義にあずかったようです。

 「Uさん、怒ってます?」と聞くAくん。「当然です。怒ってます!」 

 ということで、自然とお昼ご飯はその話題に。

 「なんでも聞いてください」と言うので、質問ぜめです。だいたいのことがわかりました。
 彼が自宅を出たのは昨日の午後3時頃。JR茨木に着いたのが午後4時頃で名神茨木インターで1時間半くらいヒッチハイクをしました。…と聞いて(えっ?何で茨木なの?と反応したのは私だけではなかったようです。茨木は私の地元ですし、我が家から茨木インターまでは徒歩4分なのです。)「誰もひろってくれなかったらどうするつもりやったん?」と聞くと悪びれる様子もなく当然のように「Uさんに電話して、どうしたらいいか聞こうかと思っていました。」と。いやあ~ひろってくれる人がいてよかった!
 それから名神の京都パーキングまでのっけてもらい降ろされ、京都パーキングで「北小松まで乗せて行ってもらえませんか?」と次々にトラックの運ちゃんにたずね歩いたとか。「それでも、約30人くらいの人に断られたんやでぇ。」誰も彼の真似はできません。ラッキーなことに運転手さんの中にも変わった方がいたものです。「10時まで待ったら夜間料金になるので、そこまで待ったら乗せたるでぇ」と。律儀に数時間も待ってくれた彼のために運ちゃんは「ャeトチップスと飲み物をくれはったんです。」そして、道中言わはったそうです。「ヒッチハイクで乗せてあげた人の中で君みたいな人は初めてやで!」と言われ、別れ際には「君の人生に私の記憶をしっかりと刻みこんでおいてや!」と言って送ってくださったそうです。「かっこいい!」(それを聞いて「まるでO君自身のセリフみたいやなぁ」と誰かが洩らしました。)

 そこでOくんに質問が…。
 「迷惑をかけていると思いませんでしたか」
 「何でこうなったのか?Oくんはどうしてみんなに合わせて集団行動をとれないの?」
 「お母さんにはどう言って出てきたの?」
 「もう二度としませんか?」などなど

 何かが起こるという予感はあったものの、まさかの展開に驚きました。
 「僕って迷惑ですか?」と聞く彼に誰も「迷惑だ」とは言いません。怒りつつも誰かが言いました。「憎めない人なんです」。彼の行動を「羨ましいなぁって思っている人もいる」んですよね。

 「年に一度は冒険や挑戦してみたいというけど、何でいつもぽぽろの時なの?」に、
 彼は「受け入れてくれるから…」てすかさず答えました。
 ふ~ん「それって人が良すぎるってことなの?よろこんでいいの?」てなやりとりがありました。






 さて、恒例の目標の披露です。

 「安全に来て、家までちゃんと帰ること」(Oo)
 「(おとなしく見られるので)素の私を出したい。(小学校の時は番長と呼ばれていた)」(Ha)
 「楽しくやろう」(Ta)
 「みんなが無事に来て無事に帰ること」(Sha)
 「昨日熱で唐黷トたのですが、下がったので来ました。楽しみにしていました。薬飲んでいるので寝る前までお酒は我慢。ノンアルコールビールを買ってきました。」(Hi)
 「溺れず無事に寝ること」(0ri)
 つぶれた声で「自然を楽しんでみんなが無事に帰れたらいいな」(Oto)
 「Hさんにお世話になるのは何回目?毎度毎度お騒がせしています。毎年これが最後屋と言ってますが、今年は魚の一匹でも吊りあげて帰りたい」(Ti)
 「2回目です。毎年、Mさんの車に乗せてもらって参加しています。実は僕は人見知り。一つでもその人のことを知って帰りたい。」(Oka)
 「最悪の夏休みです。(すかさずMeちゃんが「そんなことはないよ」)骨折を乗り越えて家を出る直前まで琵琶湖に入るつもりでビニール袋をたくさん用意していましたが、明後日で60歳・還暦です。年を自覚してこの合宿から自覚的に生きていくことにしました。還暦のサプライズを期待しています…。」(ここで「シ~ン」と白けた雰囲気に。当たりか?)

 最後に家主さん。「しっかりよく寝て、疲れずに帰りたい。草抜きは適当にお願いします。」(Hi)
 (「僕は(草抜きを)少し多くさせてもらいます。」とOくん。一斉に「当然!」一宿一飯の恩義にあずかったのだから…と。)


 この後、会計係のMiさんとTaくんが集金してくれましたが、何と50円多いではないですか?ここからまた討論が。結局「寄付しよう」ということに。どこに?「合宿の予算に入れましょう」と。民主主義って時間がかかるんだよね。

 晴れて(雨だったけどね)やっと、琵琶湖に入水。
 入水しなかったHaさんもみんなの様子をカメラに収めたり、Oくんとビーチボール投げっこを楽しんだりして、とても楽しそうでした。


 夕方の比良山系です。雨上がりでくっきり見えます。骨折さえしなかったら今朝早朝に登る予定でした。シュン。
 さて、いよいよバーベキューです。
 いただきまぁーす。
 明日天気になぁ~れ。


 役に立たない私はブログで参加です。
 早速ありました!サプライズが!Meちゃん、ミシンで縫ってくれた赤いタオルありがとう!!学童の鉢巻きに使うぞ~!


イタタが分かる男

2011年08月18日 | ノンジャンル
 やっと昨日、ギブスで固定しました。
 足をぐねって3日くらいでしたでしょうか?みんな優しかったなぁ。捻挫だと確信していたのですから。
 それから腫れが引かずにパンパンになった足を見て、だれも同情しなくなったのが5日目くらいでしたでしょうか。80歳になる元看護師の伯母などは見るなり「骨粗鬆症やな!」と憎たらしげに断言したものです。
 1週間もするともう家人などは「あほ」扱いでした。立派な労災ですが、私も放置したことをあほや!と思いました。

 昨日は医者からは「松葉杖なんかいらんな!しっかり歩いて。」と言われ、看護師からは「貸し靴なんかありませんよ。靴屋さんででっかいスリッパでも買ってください!」と言われてシュン太郎でした。ぽぽろのトイレなんぞは片足ケンケンで行かなければならないのだ。それに、何と優しいことか!21日、22日の琵琶湖ヤンボラ合宿にもどうしても参加せよとお誘いがあるので、引率責任者で行くことに。しかし、ギブス裸のままで砂地や砂利道を歩けるわけがない…。

 と、思っていたところに救世主あらわる!
 ヤンクラのMさんのお姉さんは装具士さん!少し型が古いのでよかったらということでお世話になりました。ムッチャ、ラッキー!!どうです?ナウいでしょう?(昨日なんか、段ボールを靴底型に切ってワラジを作って履いていたのだから…)ありがとう!!

 そして、いました優しい子が!
 「トーマス書け(今日は文字だから描ではなくて書なのです)」と誘いに来たKoちゃんを避けるために「イタタ、イタタ!」と訴えると、気にしてくれて最初はナデナデしてくれていました。



 押してみたり…


 布を引いてみたり…。「おっと、Koちゃんそれはアカンて。看護師さんに注意されてんねん。」
 今日は優しい(実は珍しかっただけなのかも?)Koちゃんのために文字のトーマス軍団を5枚も書いてやった。それにしても、「ディーゼル!英語!」などと次々と英語で書けと命じられた時には参ったなぁ。まるでテストを受けている生徒のように縮こまって冷や汗をかいていたのだ。(今日は摂津高校の初任の先生方3人が社会体験研修で来られていた。一人英語の先生がおられたが、Koちゃんが代わるのを許してくれなかった!)

 その看護師さんにこれ見よがしに目の前に靴を上げてやったら、「あら、素敵な靴ですね」だと。

 ところがです。今日はプレールームに白衣を着たMaちゃんがいて、お医者さんごっこをしていました。一斉にスタッフたちが「Maちゃん患者さんや!」とはやし立てます。「オ~ノ~!!サンキュー、けっこう!」と退散。
 午後になってKoちゃんがさすっている横に白衣を脱ぎ棄てたMaちゃんがやって来ました。そして、いきなり手のひらでギブスをパンパンと叩くではありましぇんか!「コラァ~!」
 まいったなぁ~。(証拠写真がなくて残念!)

 ここでヤンボラNaさんへメッセージ。
 足を引きずってでも行くおっさんと一緒に合宿行こうよなぁ~!待ってるでぇ~。あなたが参加されただけでみんなが嬉しくなる、あなたが横にいるだけでみんなが満たされる、あなたの笑顔に触れただけでみんなが幸せになる。来なかったら淋しくなる…。誰が欠けても同じです。


奪われた遊びの座…

2011年08月17日 | 児童デイサービス
教職員・福祉職員のための実践講座~夏期連続講座~も順調に開講し、あと23日の手作り教材講座Ⅱ「音楽遊び・つながり遊び」(定員オーバーのため受付を締め切らせていただきました)を残すのみとなりました。ご協力ありがとうございます。
 23日の学童利用の子どもたちは、「音楽遊び・つながり遊び」に部分参加する予定です。乞う、ご期待!


 これは、10日午後のぽぽろ所長・青木道忠の講座「発達障害青年の理解と自立支援~子ども・若もの支援ネットおおさかのとりくみを通して~」の様子です。



 12日、講義中心でしたので定員を引き上げて受付させていただいた滋賀大キッズカレッジ大阪教室代表・井川百々代先生の発達障害講座の様子です。


 10日、学童が終わってからぽぽろのスタッフ・事務局会議を行いました。

 この日、「大東のより良い療育をめざす会」のNさんやTさんなど事務局の皆さん4名が、めざす会の署名運動の協力申し入れで来所されました。子どもたちの実態も多様化し、設立35年で老朽化した療育センターの移転・建て替えの動きが本格化しようとしています。そんな中で、「新しい療育センターは公的な責任で、乳幼児のみの通園施設ではなく、学童期・青年期とトータルで利用できる充実した施設となるよう要望」して、9月議会とその次の議会も見通して2種類の議会請願署名にとりくんでおられます。
 今、厚労省の進めようとしている「子ども・子育て新システム」や障害児支援(相談支援、療育、放課後支援)システムの再編などで、療育をめぐる状況は大きく変わろうとしています。
 障害児支援のあり方をめぐっては、ぽぽろとして私の名前で厚労省に対して意見募集(パブリックコメント)への意見を提出しました。療育センターはその中では、市町村の基幹的な相談・療育・巡回指導等を担う「児童発達支援センター」として位置付けられていますが、公的責任による運営を強く求める意見を出しました。
 今回申し入れのあった署名の趣獅ヘ私たちの立場とも一致するものです。さっそく、連続講座の中で受講された教職員や福祉職員の皆さんから署名をいただきました。



 10日の講座の横のプレールームからは子どもたちが遊ぶ元気な声が届いてきます。
 じっとしてられない私は足を引きずりながらのぞいてみました。(あっ、ご心配をおかけしています。本日やっとギブス固定しました。ギブスが取れるのに早くて1カ月くらい?若いからそんなもんでしょうか?)
 そんな私を発見したGeちゃんが、「うらべはん、ねずみばあさん!」と言ってねずみばあさんの着ぐるみを鼻先にぶら下げます。包帯を巻いた足を指さしてMaくんの真似をして「イタタ、イタタ」と言うのですが、Geちゃんは全く無頓着に要求してきます。しまいに布のバルーンも持ち出して催促します。「ごめん、カンニン!」

 はい、これはボール投げ合戦?スタッフのTさんのブログに登場したHiちゃんの提案から生まれた遊びですね。
 この日、Fuくんが通う支援学校の担任の先生が見学に来られ、一緒に遊んでくださいました。とても、ありがたいことです。Fuくんはちょっと緊張し、照れながらも嬉しくて、学校とは違うやんちゃぶりを発揮していました。
 帰り際に「水をかけないでね!!」と言われながら、Huくんはプールのある玄関まで「両手に花」とばかりにお二人の先生方と腕組みをしながら降りて行きました。
 そんなFuくんが水をかけないわけがありません…。最後の最後にスミマセンでした…。 





 さて、午後からは「相撲大会ぽぽろ夏場所」です。
 もうすっかり子どもたちにはおなじみの着ぐるみです。
 どうして、こうも子どもたちは(ぽぽろの?)相撲が好きなのだろう?
 見ているだけで楽しいし、ホントに見ごたえがありますね。








 この日、スカート(と言っても下にはズボンをはいていますが)のHiちゃんは慣れていない(ルールややり方が分からない?)からなのか、恥ずかしいからなのかちょっとだけ向き合ってすぐに自分から土俵を下りました。



 ああ…、子どもたちと遊べない私はこうして次々とヤングたちに遊びの座を奪われていくのだ…。「遊び虫」の歌にもあるのを思い出した。♪「私の体の隅っこに 小さくなってる遊び虫…」。もう第一線から身を引けということなのでしょうね。還暦までカウントダウンです。