越賀では 黒くならないよう
サツマイモを煮てから
皮を剥き 切って干す伝統の方法です
煮あがりを 切り若干時間の経った状態です
干し芋は 1824年から 各地で保存食品として
広まった
志摩も 漏れず 干し芋だったが 高度成長 地域おこしでなどで
「きんこ」として 売り出されるようになった
きんこは 本来 東北以北でナマコを干して乾燥したもの
ところで 志摩の干し芋は 戦後も長い間 護国藷(ごごくいも)
アメリカ芋 ニッキ芋などの種類が混在使用された
今のように 商品は均一化されていなかった
護国藷(ごごくいも)は 昭和13年 三重県の農業試験所で誕生
アメリカ芋は 大正昭和時代伊豆の新島村で栽培された
志摩には 米は貴重品で 米飯は冠婚葬祭の時だけ
通常主食は 甘藷 冬暖かな志摩では 床下に
すくもを敷き 収穫期までの甘藷が貯蔵されていた
切干は 加工保存食品
80歳以上の方は 干し芋飯を幼いころ 嫌というほどたべたと言う
余談だが 芋の白干し(生)を 軍の慰問品に供出したこともあった
高度成長経済が進む中 干し芋に使用する芋は 薩摩隼人や
紅はるかのようになり 商品の均一化となった
名も「きんこ」が名を使われるなり
最近は 「ぎんこ」なるものも現れた
きんこは 隼人芋 ぎんこは 紅はるか
微妙に 販売価格も異にする?
ぎんこは 遊び心からの命名で
きんさん ぎんさんにあやかったのかもしれないが
発想は面白い