神社関係の新しいお世話をする祷屋人は
17日ころ 昔から費用集めをするため
米寄せが行われ 近代は殆どがお金らしい
23日 立石の大注連縄を 午前中に作り
潮どきを見 岩に掛ける
海中から岩と水面下の岩で 夫婦岩
神社関係の新しいお世話をする祷屋人は
17日ころ 昔から費用集めをするため
米寄せが行われ 近代は殆どがお金らしい
23日 立石の大注連縄を 午前中に作り
潮どきを見 岩に掛ける
海中から岩と水面下の岩で 夫婦岩
二つの神の石は 昔 船越村の滝の浜
三頭山対岸に鎮座していたとされるが
滝の上の畑が開墾され 不浄水が流れるようになり
これを嫌い 石神は 自ら立神の阿鎌へ越されたが
この地も気に召さず 再び浮いて 一善浦へ
着き 立石浦と呼んでいる
神代の昔 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が
御座に来られ 御座から和具 布施田 片田を通って
船越へ 海辺へ落ちる大滝に打たれて体を清められた
その後 登茂山から 一膳浦においでになり
一休みされたとき 「なんと美しい処じゃ
二つの岩が夫婦のように並んで立っている
この浦を立石浦と名ずけ この石を末永く大切にせよ」と
村人に告げ つぎの地へ去って行った
村人は ここに立石明神をお祀りし、
石に太い注連縄をかけ深く信仰して続けている
海は 透き通り そこまで見える 澄み潮です
神社には 稀有な丸注連飾りの作られる神社
ほかに 神社や敷地を囲む注連縄を張る
例年25日であったが 最寄りの土日で
行いたいとの 声があり今年はその日程でされた
すっかり 正月飾りのできた 宇気比神社であるが
正月恒例のひっいぽろ行事は 今年行われないこととなった
丸注連飾は お正月の歳神様が 丸注連を目指し
降神してくるといわれ 形も似ているが
パラボラアンテナ?
コロナウィルスの関係で 2基作られるが
今年は1基となり 縄巻き下を芝生で囲うところは
ネットが張りだった
神社の注連飾りには 木片の護符付けない
牛頭天王が 住民に授けた物だからです
また 注連縄は 民家は 左が藁を縛った方からで
一文字型
神社は 逆で右になります
すなわち 神様は内側におられ 民家は外に神様がおられる