同国人がいまだに争うフィリピン
1969年に再建されたフィリピン共産党の軍事組織。反政府活動を展開した。
フィリピンでは独立後、アメリカ軍によって弾圧されていた共産党が1969年に再建され、その軍事組織として組織されたのが新人民軍(NPA)である。
その前身は、第二次世界大戦中に抗日運動を展開、戦後もアメリカ軍と戦ったフクバラハップ(フク団)である。
ただし、戦前のフィリピン共産党がソ連の影響力が強かったのに対し、戦後の共産党および新人民軍は中国共産党および毛沢東の影響が強い。
新人民軍はマルコス独裁政権との対決色を強め、1970年代に反政府活動を展開した。
1986年にアキノ政権が成立してからクーデター後掃討作戦がつづけられて弱体化し、ラモス大統領は共産党の公認など、
穏健派の抱き込みをはかって一時和平が成立したが、現在は取り消され、反政府活動を継続している。
55年を経過した今でも、フィリピン国内各地で争いが続けられている。
随分前であるが、ルソン中部のカバナツアンへ出かけた際、日が暮れないうちにマニラへ戻られた方が良い。
この近辺は、NPAが出没夜は非常に危険と言われたことが度々あった。
愉快なことだが、
現地人にNPAの潜在場所を聞くと、帰ってくる答え
「山に沢山いる」
・山はフィリピンに沢山あるけど?
「どこの山かはわからない」
知らないのであれば知らないと言えば済むことにも関わらず、
くだらない見栄と知ったかぶりをするのもフィリピン。
イロイロで陸軍とNPAの衝突で4人死亡
イロイロ市-イロイロ州サンホアキンでのフィリピン軍との衝突で新人民軍(NPA)反乱軍4人が死亡した。
イロイロ州サンホアキン町でのフィリピン軍との交戦で死亡した新人民軍(NPA)反乱軍3人の遺体。 (陸軍第301IB)
第61歩兵大隊は、2月29日木曜日、掃討作戦中に、アマゾン・レア・カマリオサ(別名カ・キラ)の別の遺体を発見した。
第301歩兵旅団は、他の死傷者をジョナサン・サノガル(別名カ・ジェロス)、マリオ・レオボカ(別名カ・マイク、カ・ジャガー)、
パトリック・レオボカ(別名カ・キム)と確認した。
第301IB司令官マイケル・サムソン准将によると、カマリオサは2月28日水曜日にバランガイ・トロカダンで第61IBと交戦した後、
仲間に放置されて死んだという。
カマリオサは、パナイ島のNPA南部パナイ戦線委員会のリーダーで知られるナフム・カマリオサ、別名カ・ベボンの娘であった。
負傷したアマゾンのロセル・エスメディアナ、別名カ・ミッシェルは、バランガイの当局者に自首し、警察に通報され、病院に運ばれた。
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