フィリピンりぱぶりっく狂笑国

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フィリピン日本人奇行

2006-01-25 | フィリピン
世界の農協

フィリピン共和国。日本人ルソン助左、右近大名はじめ、日本とは結構所縁が深い日本から最も近い外国かも。昔の殿は韓国でキンセンパーティー、あるいは台湾で買春ツアー農協といわれていた。買春族は、その後、世界各地へ出向いた傾向が非常に強く、ハワイ、ヨーロッパへも足を伸ばした。
ピンパブが日本国内へ広がった20年前くらいからだろうか、同伴帰国する殿が増え始めたのは。しかも、海外旅行はフィリピンが始めて。このパターンが多いようにも思えます。恐らくその当時は1万円で1200ペソくらいだったかも知れない。エルミタのゴーゴーバーの連れ出し買春費300ペソから500ペソくらい。1ペソ8円から9円の頃。その頃でも買春費用は4000円くらい。置屋は800ペソくらいだったと記憶している。という事は、フィリピンでの買春費用は20年も経過した時点で逆に安くなっているようにも思える相場。人間の価値観は20年前に止まっているのかな。
 エルミタ全盛時代。ただし、このごろの日本人は殿ではなく農協とも言われたかな。とにかくエルミタ、エルミタの時代。このマビーニ、マラテ地区には、数え切れないほどの売春宿、サンパキータ、セブンスター、ダンヒル等の日本人ご用達売春宿、そして、招聘者ご用達カラオケで7、8000ペソも搾取されていた時代。マビーニ、マカティのカラオケはその殆どが招聘者パパとクラブオーナーパパご一行で溢れ、韓国人など見掛けもせず、日本人パパのポケットには茶封筒の厚さが10cmもあるほどの100ペソ札が入っていた頃である。日本食レストラン「ふるさと」が遣いきれないほど大利益を上げていた当時で、マカティにも日本レストランは確かにあったが、パパ各位は、カマヤンレストランで一向15名も連ねてリッチョンバボイやらアリマンゴーを食し、同行者にオーダーの60%以上もテイクアウトされていた頃である。この頃サイサキ日本レストランがフィリピン人経営でパサイロードに開店した。日本人コックが寿司カウンターでニコニコしていた頃である。料金もふるさとに比べて非常に安く、一向10名状の奇特なパパが食事先をサイサキへ移り始めた。パパはこの食事中にオーディションで募った姫を口説き、品定めしていた。食事が終われば、そのままカラオケへ流れ込み、朝方3時頃まで。決まったようにアンバサドーホテル隣の道産子でラーメンを食べ4時頃に姫とホテルあるいはモーテルへしけ込んでいた。この当時は、まだ日本人の招聘者も尻追っかけは差ほど多くはなかった。当然、ペコペコ、情報通の新型追っかけ招聘者も出没していなかったかも。地方では、フィリピン人と日中デートしていると、どこどこの息子は土人と飯食っていた。などのうわさが地方でささやかれていた頃でもある。

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