路上の上。

愛車KLE400との旅路をメインに、日々雑多な出来事の独り言。

『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 3 遍路用品を揃える。

2013-06-15 12:59:57 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月6日金曜日 快晴。

 旅に出た、という非日常に心なしか昂ぶっていた。
鉄道の寝台車には何度も乗ったが、フェリーの寝台はまた違った味わいだった。
定期的なガタンゴトンと、モーターが唸る音が眠りへ誘うのとは違って、
低く重いエンジン音と緩やかな前後左右の揺れとで勝手が違うのだ。
なかなか熟睡できず、何度か夜中に目が覚めた。
船中泊は何度も経験があり、漁船の船底での雑魚寝からフェリーでの雑魚寝まで様々だったが、今回は時間的に短い航海とあって寝たかと思ったらもう到着というスケジュールで気も立っていたのも影響したのかもしれない。
松山港へは5時に到着するが、急がない人は朝7時まで下船せずそのまま寝ていて良いらしいが、下船後一路徳島まで走らなくてはならない。
道が空いている早朝の時間帯に距離を稼ぎたかった。

 船室の窓から見える海の色は鼠色で、空は白み始めていた。
4時を少し過ぎたあたりに布団から出て洗面を済ませ身支度を調える。
フェリーが着岸する頃にはスタンバイOKだった。
船員の案内に従い、駐車デッキに降り拘束が解かれたKLEに跨ってヘリーから港に下りてゆく。
フェリーに乗った時、ここが一番好きな場面の一つだ。
新たな旅の始まりを鮮烈に感じることができる。
既に明るくなった松山港へ滑るようにフェリーから出発したKLEの鼓動は軽やかだった。
パラレルツインの軽快で心地よいリズムのエンジン音が逸る気持ちを落ち着かせる。
早朝のヒヤリとした空気を感じながら国道11号を東へ向けて走る。
道は空いていてハイペースで進むことが出来たが、空腹を覚えても停まることができないくらい走り続けさせてくれた。
3時間近くノンストップで走り、ようやく路肩の駐車スペースに停め携帯していたカロリーメイトを2本お茶で流し込んだ。
国道11号から国道192号へ入り池田辺りであった。この国道192号を東へ進むと徳島市内へ入る。時間的には多く見積もって3時間掛からないくらいか。
この辺りで遍路用品の調達のことを考え始めていた。
ネット通販などの利用も一時は考えたが、現地入りするまでは使わないし荷物になるだけである。
調べると一番礼所である霊山寺やその前のお店などで一式揃えることができるようだった。
但し、ちょっと高めだとの評判が目に付き、懐に不安のある身としては現地調達といっても、出来る限り出費は抑えたかった。
そこで出発前に様々な人々のブログや情報を読み漁って、六番礼所安楽寺の用品店で遍路用品を揃えることにした。品揃えはそこそこで値段も適正だというのを信じることにしたのだ。
霊山寺へ向かう途中に近くを通るので寄ってみて、気に入った品が無ければ霊山寺で揃えれば良い。
吉野川沿いを走る田舎道を淡々と走った。
午前10時頃、六番礼所安楽寺へ到着し、遍路用品やお土産が揃っている店内へ入った。
遍路用品は色々あったが、初めてあるのでどれがどう適正価格なのかということすら分らない。これではどこで買い揃えても大差はないように思えた。
店内には中年男性が一人店番をしていた。
客は私一人で特に忙しいという様子ではなく、ライディングジャケットに丸坊主の男が迷い込んできたのを興味深げに目で追って「いらっしゃいませ」と一言口にした。
私は忙しそうにもないその店番をしている男性にバイク遍路をするために来た、用品を一式ここで揃えたいと伝えると、バイク遍路なら菅笠と金剛杖は邪魔になるだろうからいらないよとアドバイスしてくれた。白衣も袖無しの方がバイクには良いだろうとも。こうして、袖無しの白衣、頭陀袋、輪袈裟、数珠、経本、納札、ロウソク、線香、ライターを買った。これだけで9000円。お数珠が一番高かった。

Photo_2
◆ライディングジャケットの上に袖なしの白衣と輪袈裟と頭陀袋。
これから帰宅するまでこの姿でバイク遍路の旅をすることになる。


初めは少しでも安くと思っていたが、正直どこで買っても同じような品なら、相場は似たような価格になっている。お店の男性に礼を言って霊山寺へ向かったが、そこでは品揃えは豊富でその選択肢は増えるのだが、基本的に必要なものは同じなのでそこまでシビアになる必要もなかった。こういう事に思案を巡らせることが時間の無駄だと気付き、反省した。
こうして一番礼所霊山寺に辿り着いたのは午前11時半頃であった。 

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『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 2 松山に向けて

2013-06-01 14:56:24 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月5日 晴天。

 穏やかな春の日差しに、九州北部地方の桜は満開のピークを迎えていた。
この日の夜、小倉から松山へ向かうフェリーで四国入りする。
昼前にはバイクへの荷物の積み込みは既に終わっていた。
初めてのお遍路とあって、いろいろ下調べをネットで行った。
一番熱心に調べたのはキャンプ場で、各地のキャンプ場を調べてツーリングマップルに書き込んでいく作業である。
ツーリングマップルの末巻にはキャンプ場情報など盛り沢山ではあるが、必ずしも正確、適正で、自分の利用したい情報とマッチしている訳ではないからだ。
 
 納経帳のことも、「スタンプラリーと違うんだからさ」と第三者から批判的に言われてしまったことで、なんとなく後ろ向きになってしまった。
勿論、そういうものではないのは理解していたが、ここに至るまでいろいろあってナーバスになっており、些細なことでも気にしてしまうところがあった。
悩んだ末、私は納経帳に御朱印を頂戴することを辞めた。
純粋に、淡々と、お遍路をしよう、般若心経を読経しよう。
そう決めてしまった。
写経による納経に限らず、読経による納経でも可であるとされている。
時間的な余裕もないので、今回は読経のみで行くことにした。
 そういった心的、環境的な事柄が私に作用した結果、この旅の記録は、道中、妻への現状報告に携帯電話の写メールにて送った小さなフォトデータしか残っていない。
旅行、観光というような心的余裕が一切なかったからだ。
あと、レシートや領収証と地図に書き残した走行記録のみとなっていて、これから書こうと思っている私のお遍路の記録は、これらを元に今思い出せる範疇のものとなる。
そのことで幾何か不正確な面もあるだろうがご容赦いただきたい。

 今まで勤めてきた仕事は、土日が稼ぎ時だった。
朝は遅く、夜が遅かった。
朝起きれば、子供や妻は既に家に居ず、夜帰れば皆眠っていた。
小泉景気の余韻もあって、第一次安倍政権下にあっても、景気は拡大していた、とされる時期であった。
それなりに稼がせてもらったが、陰りはそこまで来ていた時期でもある。

 夕方6時になって、妻と子ども達に見送られ荷物満載のバイクに乗り出発し、小倉のフェリー乗り場へ向かった。
関西汽船(2007年当時)小倉発⇒松山着のフェリーは21:55発。
手元に残っている乗船証を見ると、割引がされて6,020円となっている。
この数年でフェリー運賃は相当な値上げがされており、今では考えられない運賃だ。
因みに、現在の同航路を調べてみると「フェリーさんふらわあ」が運航していたが撤退し、
2013年4月1日より、松山・小倉フェリー株式会社が航路を継承して運航しているようだ。
高速道路1000円や燃料費高騰の逆風により、日本国内のフェリー事情はかなり様変わりしてしまったと聞く。
旅の選択肢が減って行くのは、ツーリストとして残念である。

2
◆小倉・松山の航路を結ぶフェリーにて四国入りする。

21:55小倉発⇒翌朝5:00松山着、7時間弱の船旅だ。
バイクは私のみで、殆どの利用者が大型トラックである。
19:30頃にはフェリー乗り場に到着し、乗船時間まで待った。
乗船は21時前だったろうか。
今回は少しだけ奮発して2等寝台を予約していた。
所謂二段ベット状になったカーテンで仕切るアレである。
貴重品を預け、風呂に入り、夕食に売店でおでんの厚揚げ一つと発泡酒を買った。

070405_2118

地図で、松山から第一番礼所である霊山寺までのルートを確認する。
松山から徳島まで、おおよそ四国瀬戸内海側を横断することになるが、高速を使わず下道を行く。
地図を見ながら、いよいよお遍路を始めたのだ、という実感がやっと湧いてきて発泡酒500ml一本では酔いを感じることが出来なかった。
けれども明日、早朝より走ることを考えるとこれ以上の飲酒はできない。
期待と不安を胸に、寝台の布団へ潜り込んだ。

本日の走行距離 48.5km
本日の費用 7,127円

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