2013年5月26日日曜日、晴天。
「キャンプ場の朝ほど清々しい場所はない。」という私の自論に、異論を挟むツーリストは少ないだろう。
午前5時起床。
しっとりと朝露で湿ったKLEを拭き上げる。
安いカバーでも持ってくればこの手間が省けるのに、と思うのはこの時だけで直ぐに忘れてしまう。
ホットコーヒーを飲んで暫くてから朝食の準備をした。
今朝のメニューはカレーにわかめスープである。
恐らく、これが帰宅するまでに取る唯一の食事になるだろう。
確り食べておきたい。
天気予報では明日から雨模様らしい。
どうやら週明けそうそうにも梅雨入りしそうだ。
フライシートはジットリと湿っていて直ぐには乾きそうも無い。
帰ってテントを干し直すことも暫くできそうにないので、ここで出来る限り乾かせて仕舞いたかった。
テントが乾いて撤収、出発できたのが午前8時過ぎ。
道の駅清和文楽邑まで出て、県道153号より内大臣へ向かう。
◆内大臣橋を望む。昔の写真資料を見ると、橋は赤かったようである。
まぁ、赤い方が橋って感じがするのは歳のせいに違いない。
程なく内大臣林道入口へ到着。
入口周辺には全面通行止の立て看板が仰々しく設置してある。
この先3kmの所で災害復旧工事をしている旨が書かれていた。
ここに来て、下調べ一切していない事に気付く。
まったくマヌケであるが、特にゲートもないのでとりあえず林道を進むことにした。
途中でダメなら引き返せば良い。
書き忘れていたが、これまで機会がなく内大臣林道は初走りである。
ここまで来たのだから、少しでも走っておきたいと思うのは人情というものだろう。
暫く走るとまた全面通行止の立て看板が現れた。
◆何度も現れる通行止めの立て看板に、少しワクワクしたのは秘密だ。
林道脇に、1km間隔で距離を木板を白く塗って書いた立て札があるのに気付いた。
恐らく、林道入り口からの距離だと推測され、トリップメーターで見てみると大体あっているようだった。
3km走らない程の林道脇に大きな重機が3台寄せて停めていた。
日曜日だからお休みなのかもしれない。
4km、5kmと進んでもそれらしい場所は無く、既に復旧済みなのだろう。
途中にあった短い舗装区間がそれだったのかも知れない。
ツーリングマップルには、「谷間にフラットな道のり」と書いてあり走り易そうな印象を受けたが、思いのほか大きな石が多くガレ場がキツイ場所もあった。
手持ちのツーリングマップルは2003年調査のものなので信用度がかなり低くなっている。
平成の大合併のせいで、この地図だと地名が昔のままで何処だか分らないという経験も多くなってきた。いい加減買い換えなくてはならないが、10年間使い込んで色々書き込んだこの地図は何物よりも使い勝手が良かった。
しかしまぁ新しい地図に、情報を移す方が良いだろうな。ちょっと反省。
更に進むと今にも谷へ崩れ落ちそうな廃屋がある。
かなり昔の建物のようで、廃屋になってからも相当の年月が経っているようだ。
しかし、風水害のメッカとも言えそうなこんな場所に、今にも倒壊しそうな雰囲気にも拘らず建ち続けているのは凄い。
ずっと見ていても気持ちの良いものではないので先を急ぐ。
それにしてもタイヤが滑って仕方がない。
7月に車検を迎えるにあたり、ギリギリまで交換しないでおこうとケチったツケが今来ている。
◆恥ずかしながらツルツルです。しかも、キャンプツーリングが多いので真ん中が。
更に暫く走ると舗装された真新しい道とダートの三叉路が現れた。
さて、どっちだろう。
すると道脇に寄せられた風倒木などの残骸の中に立て札らしきものを発見。
近づいてみると・・・
薄っすら国見岳と書いてある。
しかも、国の文字だけ途中まで修復しようとした痕跡が。
やるなら最後までやろうよ。
舗装路を走っても仕方がないし、この打ち捨てられたような道標を信じダートを更に上った。
少し進むと、これまでよりガレ場の荒れ方が酷くなるが、私のKLEでも走行に問題はなかった。
ここを登りきると椎矢峠に到達する。
◆標高1460mに位置する椎矢峠。
峠に到着すると、5台、6台とオフロードバイクが椎葉方面から上がってきた。
全面通行止の看板のおかげで、内心どこかでUターンかもという不安もあったが、これで一安心した。
念のため、若く男前なライダー達にこの道の先について尋ねると、熊本側より道の状態は良くて走りやすく、通り抜けられるとの事。
更に安心し、宮崎県側へ下りのダートを駆け抜けた。
椎矢峠を境に、宮崎県側の下りの林道は名称が変り椎葉林道となる。
教えてくれた通り、走りやすいダートだった。
途中、2台のオフロードバイクと擦れ違う。
梅雨前にみんな走りたかったのだろ、考えは皆一緒という訳だ。
暫くすると舗装路になり、そして椎葉林道入口へと着く。
◆椎葉林道入口
古いツーリングマップルだが、それによると行程約38kmのダートであるらしい。
途中までトリップメーターで距離を測っていたが、衝撃でKLEのトリップメーターが動かなくなって測定不能だった。
ゼロに戻すと正常に動くようになったので、ダート走行の振動か衝撃でたまたま歯車でも噛んだのだろう。
さて、家路につくか。
本日の走行距離 305.1km
2013年5月25日土曜日、快晴。
もうじき九州地方全域が梅雨入りする、その前の貴重な週末である。
特に予定はしていなかったのだが、天気予報を見ているうちに気が変った。
来週には梅雨入りしそうである。
「梅雨入り前に、もう一走りするか。」
妻には申し訳なかったが、土曜の店番を押し付けて早朝より国道211号を南下し日田へ出て後、
ファームロード経由で南小国、そして阿蘇へ向かった。
早朝、と言っても、パッキングを昨夜のうちに済ませられなくて出発が遅れ日田付近で午前8時過ぎであった。
清々しい晴天の下、殆ど貸切状態のファームロードではアクセル開度が大きくなる。
午前9時、道の駅「小国」へ到着。
このまま素直に国道212号を南下し、第一目標地『ラピュタの道』へ向かう。
誰が名づけたのか興味は無いが、いい歳した男がアニメのラピュタを想起したと思われる彼の地へ赴くのも恥知らずというものだろうか。
◆ここが人気の通称「ラピュタの道」
赴くと分るが、人気の理由が良く分る。なかなかの景観である。
ゆっくり景観を楽しもうかと思ったが、サイクリストの集団に囲まれてしまった。
長い上り坂を登って来た達成感からか、皆一様に高揚している。
こういう高揚感というものがバイク乗りにはない気がする。
若い頃、ロードバイクで速さを求めていた時を思い出してもそうだ。
速度が上がれば上がるほど、クールに、意識は研ぎ澄まされて、不思議と落ち着いた。
サイクリングには、人車一体感による快感とはまた違った肉体を酷使することで得られるハイな状態がきっとあるのだろう。
邪魔にならないように静かにその場を後にし、中腹辺りの路肩の空きスペースに駐車し自宅から持参したハムサンドを食べた。
遅い朝食、早めの昼食である。
◆ここで一服。ラピュタなだけにハムサンドではなく、
目玉焼き乗せパンにするべきだったか!と、少し悔やんだ。
国道212号へ戻り、国道57号沿線で給油してから国道265号を南下。
午前11時30分過ぎ。酷い睡魔に襲われ月廻り公園のベンチにて30分ほど仮眠。
目覚めると、先ほどの眠気が嘘のように晴れた。
国道265号を更に南下し、県道141号へ右折すると井無田高原キャンプ場へは午後1時頃に到着した。
思った以上に早く着きすぎたのでキャンプ場をスルーし、通潤橋へと向かった。
通潤橋、熊本の観光ガイド本などに欠かさず登場する石積みの水路橋である。
◆道の駅通潤橋にて。
県外ナンバーのオートバイが沢山停まっていた。
観光ガイド本などで紹介される通潤橋のそれは橋の中央付近から勢い良く放水されている。
しかし、いつも放水されているわけではなく、観光用放水は土日祝日の正午に一回無料で行われているそうだ。それも必ずではないらしいから見たければ山都町HPなどで確認した方が良いだろう。
事前予約すれば有料(一万円)で放水も可能のようだが、そういうのはお金持ちに任せよう。
到着したのは午後1時半頃とあって既に放水は終了していた。
農業灌漑用水路なので、そもそも放水の必然性なんて観光以外にない。
つまり放水してこそ、その観光価値があるのだ。
「道の駅通潤橋」の駐車場から歩いて橋上も渡り見学も出来るのだがパス。
明日走る予定にしている内大臣林道入口周辺の下見をしてキャンプ場へ向かうことにした。
道の駅通潤橋の駐車場を左折して県道180号を南下。
暫くすると少しずつ秘境ムードが漂ってくる。
舗装路であるが、一車線の狭い道がクネクネと続き、深い谷を縫うように走る。
県道153号へ出て、なんとなく左折しそのまま真っ直ぐ走ってしまった。
道を間違えてもUターンはしない主義なのでそのまま突っ走る。
暫くすると深い渓谷を繋ぐ大きな美しい橋が現れる。
鮎の瀬大橋である。
◆鮎の瀬大橋。
人里離れた渓谷に現れる近代芸術のようなデザイン優先の架橋。
紅葉の時期はさぞかし美しいだろう。
橋の袂に物産館らしき建物があったが、客は誰一人おらずひっそりしていた。
こういう所のハイシーズンは紅葉の時期だろう。
紅葉が美しいに違いない。
このまま県道153号を東へ走り午後2時40分「道の駅清和文楽邑」へ到着。
既に館内の食堂はオーダーストップ。物産館を見ても、今夜のおかずになりそうなめぼしい物はなかった。
どうにも夜が早いらしい。
とにかく、周辺にお店は殆どない。
これは早めにテントを設営して落ち着かないとと思い、キャンプ場へ急いだ。
午後3時半、井無田高原キャンプ場へ到着。
管理棟前の池に面したサイトには先客が1名テントを建てていた。
管理棟に管理人は不在で、不在時は電話してとのことだったので電話すると、
予約時に対応してくれた年配の女性が「どこでも好きなところにどうぞ」との事だった。
このキャンプ場を選んだのはサイト内に車両乗り入れ可能という事だったからだが、サイトは池前の平地と、高台の芝生サイトと二つにエリアに分かれている。
池前の平地は既に先客がいたので芝生サイトに向かった。
良く手入れされた美しく広い芝生サイトだが、斜面になっている所が多くて平地が少なかった。
しかも、車両乗り入れ可能とは言ってもどんな車両でも乗り入れが出来るわけではない。
段差がありスロープ状になっている箇所も狭く、ミニバンなどの普通乗用車だと乗り入れは困難だと思われる。
二輪車であってもオフ系でなければ苦労するだろう。
という事で、誰も利用者がおらず貸切状態である。
管理人さんのお言葉に甘えて好きなところにテントを張った。
◆広々とした手入れの行き届いた綺麗な芝生サイト。
ど真ん中に設営させていただいた。
この芝生サイトの下に避難所として利用できるように東屋が建ててあった。
高原であるから、夏や秋口の天気の急変時には助かりそうである。
というか、恐らくそういう事態は結構あるのかもしれない。
こういう高地で、開けた芝生サイトにいて雷ゴロゴロしだしたら生きた心地がしないだろう。
程なく管理人さんが軽トラで現れ利用料800円支払った。
その際、近くにスーパーなどありますか?と尋ねると「道の駅清和文楽邑」から1kmほど先に生協があるという。
キャンプ場から片道約9Km。往復18km。
無駄に走行距離を伸ばすことになるが、仕方がない。
どうしても欲しい品があるから行かない訳には行かなかった。
それはロックアイスである。
キャンプに似合う酒といえばバーボンだろう。
ジャックダニエルはバーボンじゃなくてテネシーウィスキーだが細かいことはこの際どうでも良い。
今宵は満月である。
満月を肴にジャックダニエルのオン・ザ・ロックを楽しみたい。
明日は今回の目的の一つである内大臣林道を走ること。
楽しみである。
本日の走行距離 292.5km
カワサキメールマガジンが届いてから三週間近くになる。
その日から、頭の中で思案し続けていることがある。
カワサキコーヒーブレイクミーティング、略してKCBMは記念すべき100回目を7月28日淡路島の国営明石海峡公園で開催されるとの事だったからだ。
近畿地方のどこかでやるだろうとは思っていたが、淡路だった。
100回目というメモリアルなものは、ロングツーリングをする格好の言い訳になる。
誰に言い訳をするのか?
もちろん家族と、私自身にである。
「KCBMが記念すべき100回目なんだよ。淡路だけど行かない訳にはいかなんだよ。」
ほら、立派な言い訳ではないか。
しかし、行きたいと思う気持ちと裏腹に、7月にKLEの車検を控えて出費が嵩むのが妻に心苦しい。
しかも淡路島である。
島に渡るのにはそれなりの経費が掛かるのだ。
察しの良い方は既に感づいているかも知れないが、KLEにETCは当然未搭載である。
高速1000円の時も、悩んでいるうちに終了してしまった。
一度機会を逃すと、ETC装着への情熱は冷めてしまった上に、そもそも通常は高速道路を利用することはない。休日割引程度では一体いつになったら元が取れるのか分らない。
という事で、その距離と場所、開催時期が悩ましいのである。
まぁ、行っても誰ともお話する訳ではないソロライダーなんだから行かなきゃいいじゃないかとも思うのだが、走る理由が提供されている以上、それに乗らない訳には行かない。
九州から淡路までのルートをいろいろ思案しているのが今の段階である。
旅は、この段階が一番楽しい。
実際に旅を始めると、クタクタになってもう嫌だと思いつつも、帰宅すると次の旅のことで頭が一杯になってしまうから不思議だ。
帰りは時間の関係上止む無くフルに高速道路を使わざるおえないが、行きは時間的余裕がまだある。帰りの高速代を捻出する為にも、徹底して下道で節約するしかない。
そこで下記のプランを考えてみた。
ルートプラン①本州瀬戸内海コース:関門トンネル(100円)⇒国道2号をひたすら走る⇒明石海峡大橋垂水IC⇒淡路IC間(1,850円)⇒国営明石海峡公園(入場料か駐車料金が掛かるのか?そういえばまだ調べていない)⇒高速道路(淡路IC⇒小倉南IC間10,450円、くそうETCだと5,200円だと!?)総距離1,100~1,200km。ガソリン代(1200/18)×150=10,000円。交通費だけで22,400円。
ルートプラン②四国瀬戸内海コース:国道10号をひたすら南下⇒国道九四フェリー佐賀関⇒三崎間(750cc未満1,500円、2等旅客運賃1,040円、6年前に使った時の1.5倍近く値上がりしていてビックリ!)⇒国道197号⇒国道56号⇒国道11号⇒国道192号⇒国道11号⇒鳴門大橋(鳴門北IC⇒淡路島南IC(900円)⇒国道28号上り⇒国営明石海峡公園⇒高速道路(淡路IC⇒小倉南IC間10,450円)総距離1,100~1,200km。ガソリン代(1200/18)×150=10,000円。交通費だけで23,890円。
ルートプラン③四国太平洋岬めぐりコース:国道10号をひたすら南下⇒国道九四フェリー佐賀関⇒三崎間(750cc未満1,500円、2等旅客運賃1,040円)⇒国道197号⇒国道56号⇒国道321号⇒足摺岬⇒国道56号⇒桂浜経由⇒国道55号⇒室戸岬⇒国道55号北上⇒国道11号⇒鳴門大橋(鳴門北IC⇒淡路島南IC(900円)⇒国道28号上り⇒国営明石海峡公園⇒高速道路(淡路IC⇒小倉南IC間10,450円)総距離1,400~1,500km。ガソリン代(1500/18)×150=12,500円。交通費だけで26,390円。
予算的にはプラン①だが、走って絶対に面白くはないだろう。よって却下。
どうせ走るならプラン③だが、1泊2日で1500kmか。どうだろう。
まだまだツーリングマップルとのにらめっこは続きそうだ。
お遍路さん。
この名を知らない人は少ないと思うが、実際にお遍路さんになった人はどのくらいいるのだろう。
宗教に大らかな私達日本人。
クリスマスを祝い、除夜の鐘を撞いたその足で神社に初詣。
そんな調子だから、お遍路さんもスタンプラリー感覚の旅行の類に捉えている人もいるのではないだろうか。
実際、私は「お遍路をスタンプラリーか何かと勘違いしてないか?」と、批判的に言われたことがある。
しかし、実際に通し打ちをされた方なら分ると思うが、そのような思いでは結願まで達するのは難しいし、
仮にそのような気持ちで巡っていたとしても般若心経を唱え続けて旅を続けて往く中で思いは変ってゆくだろう。
お遍路のスタイルも、現代では歩きに拘る必要はない。
団体バスツアーであろうが、自家用車であろうが、バイクや自転車であろうが構わない。
自分のスタイルで、自分のペースで思うように遍路道を往けば良い。
観光だろうが、信仰心からであろうが、同行二人、お大師さまと一緒なのは代わりはないからだ。
好むと好まざるとに係わらず取れてしまった纏まった時間。
若い独身の頃であれば喜んで日本一周にでも走り出しただろうが、そうも行かなかった。
再就職先も決まっておらず、情けない事に何をすれば良いかまったく頭に浮かばなかった。
ただ、漠然と何とかなる、大丈夫だ、と、根拠も無く自分に言い聞かせるしか術がなかった。
幸い、最後の最後で、有給を全て消化して良いとのことだったので、その期間だけ自分の思うように使おうと考えたのだ。
そして浮かんだのが四国八十八箇所を巡礼しよう、お遍路をしようと。
父と弟を亡くし、それまでの仕事で生物を扱っていたので、その供養の意味と、何よりもそれまでの過去と決別し、頭の中をリセットしたかったからである。
半月ほどの時間を、どのように使うか。
近所の書店で買い求めた書籍には行程1400kmだと書かれ、歩き遍路の費用目安を次のように書していた。
徳島発で49泊50日88ヶ所巡り、45万円程度。内訳、宿代39万2000円(1泊2食付8000円)、昼食費など5万円也。
【出典:2007年1月 昭文社 四国八十八ヶ所めぐり お大師さまと行く遍路18コース ISBN4-398-13331-3 16ページ】
このいい加減な試算でもこのくらいの費用と日数を必要とする。
この他に、お遍路さんのあの白装束一式や用品を揃え、歩き遍路ならば良い靴を選び、納経(ご本尊の墨書と朱印を戴く)するのに納経帳で一礼所毎300円×88ヶ所=26400円必要になる。
観光として捉えると、時間も経費も掛かる贅沢な旅といえる。
しかし、私にはそんな余裕はなかったし、何よりもオートバイを愛している。
バイク遍路の旅を選択するのは必然で、他の選択肢はその時考えられなかった。
出立を前にKLEのエンジンオイルとエレメントの交換をし、チェーンとタイヤをチェックした。
お遍路に使う白装束と用品一式はネット通販もいろいろ考えたが、現地調達が一番の方法で、現地入りするまでの荷物にもならない。価格や品揃えの心配をしていたが、実際現地で購入するにあたり心配するほどの差は無かった。歩き遍路ならば、靴のサイズなどの心配はあろうが、白衣に輪袈裟、菅笠、金剛杖、数珠に経本、頭陀袋、納札、ロウソク、線香、マッチかライター、納経するなら納経帳。基本的にたったこれだけである。現地で手に取り、好きなものを適当に選んだ方が手っ取り早い。
次に、バイク用の地図と言えば昭文社のツーリングマップルである。最新版の中国・四国ツーリングマップルと、同じ出版社のお遍路ガイド本を選んだ。この本を選んだ理由なんて何もない。ただ書店にあった適当な書籍がこれしかなかったからだ。1200円+TAXの割には薄く小さく情報もなんとなく他の書籍の流用っぽくチープな作りであったが、その薄さがタンクバックにツーリングマップルと一緒に携行するのには思いの外良かった。
また、今回は出来る限りテント泊で行こうと決め、パッキングはキャンプツーリング用のものにし、+αでドイターのバックパック、トランスアルパイン25を背負うことにした。タンクバック10リットル、リアバック45リットル、バックパック25リットル、計80リットル。
二週間ほどのキャンプツーリングならばこんなものだろう。
次に床屋に行って坊主にした。
行きつけの床屋の若大将は「え、本当に坊主にするんですか?」と、なかなか確り刈り込んでくれなかった。職場は長髪でもOKで、私も10代後半からずっと90年代の江口洋介のような長髪がトレードマークだった。故に若大将も何事かとなかなかハサミを使い難そうに何度も確認したのだろう。結局、希望する程の短さではないが、5mm程度の丸刈りにはしてくれた。
九州から四国へ渡るにはいくつかルートがあるが、今回は小倉⇔松山間を結ぶ関西汽船(2007年当時)に予約の電話をし、いよいよ出立の準備は整った。
角島ツーリングレポートを書いてから気になったのでYotubeで検索してみたら映像があった。
記憶とは曖昧なものであると改めて思う。
しかし、20数年振りに見たが、胸が熱くなった。
http://www.youtube.com/watch?v=G6chu99JeWY
尾崎豊Ver.より、一般的にハウンドドックのフォルテシモVer.の方が記憶にあるのだろう。
それにしても、この歳になってシェリーの歌詞が響いてくるとは思わなかった。
もう、40円をケチったりはしない。
2013年5月12日日曜日、晴天。
AM5時に起床し、軽くシャワーを浴びて下着を新しいものに着替える。
ツーリング前の、私の儀式となっているのがこれだ。
妻も子供達もまだ寝息をたてているので静かに支度を済ませガレージに向かった。
昨夜のうちにパッキングを済ませてあるので、身支度を調えれば直ぐに出発できる。
今回の目的地は山口県下関市の角島である。
角島大橋というものが出来てから観光名所となっていると、
写真つきでJAF会報誌に載っているのを随分前に見て気になっていた。
下関から日本海側を東に延びる国道191号沿線だというのに、
なぜだか萩、秋吉台ツーリングなどで何度も通っているにもかかわらず立ち寄ったことがなかった。
基本的に都市部を抜けることになるこの周辺は、ツーリングコースとして選ばない。
高速道路を使えば、快適で時間を有効に使えるツーリングが楽しめるが、
ワープワな私は気軽に高速道路を使用することはできない。
そんなお金があったらガソリンを給油する。
国道322号を北上、小倉市街で国道3号経由で関門トンネルへ向かう。
二輪車の通行料は100円。
九州から本州へ向かうのにどうしても必要な経費だ。
◆関門トンネル門司側入口にて
この関門トンネルを走行中、ふと天井を見てみた。
そういえばここの天井、山梨県中央自動車道笹子トンネル天井板崩落事故と同じ吊り下げ式天井で、
先の事故を受けて緊急点検したというニュースを思い出した。
こんな閉鎖空間で天井が突然崩落してきたらどうすることもできないだろう。
関門トンネルを抜け、国道191号を北上する。
日曜日早朝にも係わらず下関市街の交通量はそこそこでストレスが溜まる。
しかも殆どの信号で捕まるというオマケつきだ。
それでも市街を抜け、左手に響灘を望むようになると交通量も減り流れが良くなってくる。
ここまで来ると角島まで1時間足らずとなるので、寄り道をすることにした。
「毘沙ノ鼻」という本州最西端に位置する岬である。
ライダーというものはどうしてだろう、天辺やら先端やらが好きな輩で、岬の先端などは大好物である。
今回近くを通る以上、行かない理由を見つけることが出来なかった。
国道191号を北上し続けると、毘沙ノ鼻への案内看板を見つけることが出来る。
その案内看板の通り走ると、国道から10分ほどで駐車場の整った展望公園へと辿り着いた。
駐車場内の看板には、8時30分から日没までがこの公園の開場時間となっていたが、到着した8時20分頃には既に門扉は開いて駐車場へ入ることが出来た。
この駐車場より徒歩にて展望所まで向かう。
展望所では、この様な灯台を模したモニュメントが迎えてくれた。
この形状の灯台、後にまた出会うことになる。
因みに、この展望所が本当の最西端の地ではない。
ここより左手に見えるゴミの最終処分場内に本当の石碑があるらしいが、一般人には入場の許可が下りず見ることが困難らしい。
◆展望所左手に見ることが出来る最終処分場の光景。
こういう高い位置から、最終処分場の様子が観察できるレアな場所でもある。
毘沙ノ鼻を後にして国道に戻ると、目的地まで30分ほどとなる。
9時を過ぎて交通量が少し増えたせいか流れが悪くなった。
海岸沿いの国道は他に逃げ道がないから一度団子状態になるとダラダラとそれに付き合わされる羽目になる。
抜き去りたいが、取り締まりも厳しい地域でもあるため自重しなくてはならない。
なんとももどかしい区間である。
そうこうしていると角島大橋への道路標識が現れ左折する。
まもなく、とても澄んだ青い海と、壮大な1本の橋が現れる。
角島大橋。
2000年に開通した全長1780m、通行料無料の離島架橋としては当時最長であったそうだ。
青い海に一本の真っ直ぐな橋というのは、確かに見応え十分であり、
角島ツーリングのハイライトでもある。
角島へ渡ると、次は角島灯台を見学することにした。
灯台で貰った資料によると、明治6年着工、明治9年竣工したとのことだ。
歴史ある建造物であるだけでなく、日本中に沢山の灯台がある中で、
一般人が登れることができる数少ない灯台の一つであるらしい。
見学料大人200円だが、こういうお金は惜しまない。
地上より最頂部まで30mの高さで、展望所までは石積みの螺旋階段を105段登る。
展望所からの景色はなかなかだった。
この灯台の光は18.5海里(約34km)の距離からでも見ることが出来るという。
こういう灯台を作る技術が、明治維新直後の日本人によるものではなかった。
英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンによる設計で、工事監督も英国人によるものである。
◆この人物が「日本の灯台の父」R.H.ブラントン
世の中、殆どが知らないことだらけだが、ちょっとした旅で日本の灯台の父なる人物を知ることができるとは思いもよらなかった。
今度は、角島大浜キャンプ場へと来た。
目的は映画「四日間の奇蹟」のロケで使われたセットを見るためである。
吉岡君ファンの一人として映画は妻と鑑賞したが、当時の私の感性にマッチせず退屈なものだった記憶がある。
青い海と白壁のチャペル、なんとも絵になるではないか。
ロケ地を後にして海岸沿いで昼食を摂る。
余程のことが無い限り、私は外食はしない。
弁当を作って持って行くか、このようにカップラーメンなどを食べる。
本当はカップヌードルが食べたかったが、ディスカウントスーパーで88円にて売られていたカップスターを買ってしまった。
そして食べて、やはり後悔した。
ほんの40円ケチって、思った味ではなかったからだ。
私が免許取立ての頃、カップヌードルのTVCMに砂漠を舞台に
オフロードバイクの横でカップヌードルを食べる若いライダーのもの
(当時のパリ・ダカールラリーをイメージさせる映像)で、尾崎豊の曲が使われていたのがあった。
今でも、イメージはそれである。
昼食を青い海を見ながら済ませると、無料の長い連絡橋なら北九州にもあるじゃないか?と思い出した。
新北九州空港への連絡橋である。
全長2100mで、特に苅田方面から空港に向かう時の連絡橋は登り勾配になっており、視界が空へ向かっているせいで空を飛んでいるかのような錯覚を覚える。
しかも交通量は恐ろしく少なく、思うがままに走れるのだ。
帰路、関門トンネルを抜け、県道25号を南下し新北九州空港へと向かった。
◆新北九州空港にて
空港内では999でお馴染みのメーテルが出迎えてくれる。
◆数年前に見た時より、大分くたびれている感じがする・・・
展望所に足湯があるが、今回はパス。
エアバスA320の離陸を見届けてから家路に着くことにした。
◆新北九州空港連絡橋より。オススメは空港へ向かう側である。
写真は空港より苅田方面へ向かう側だ。
本日の走行距離256.9km
いざなぎ景気超え、そう言われた時期がほんの数年前にあった。
俗にいざなみ景気と呼ばれ、2002年2月から2008年2月の73か月の長期にわたり景気拡大が続いたとされる。
多くの庶民は、そんな景気の良さを体感できぬままサブプライム問題、
そしてリーマンショックにてどん底に突き落とされることになる。
さりとて、その時代の寵児と言っても過言ではない堀江氏の登場に代表されるヒルズ族の誕生や、株取引や為替取引で億単位を稼ぐ青年などが現れたりもした。
企業の決算は、経済紙のトップを史上最高益更新という見出しで躍らせるほどだった。
奇しくも、昨今はアベノミクスで日経平均の指数だけは当時のものに戻りつつあるが、
数字のマジックによる景気回復であるようで当然今回も実感がない。
時は戻る。
2007年4月、私は旅に出ることになった。
旅はこれまでも散々してきたが、今回は少し意味合いが違った。
長年勤めてきた会社を、「一身上の都合により退社」することになり、
思いもかけずまとまった時間が取れてしまったからだ。
思えば、どのくらいのガソリンと時間を消費し、これまで走って来たのだろう。
若い頃は、目的もなく疲れるまで走り続け、疲れたらベンチなどで横になってはまた走った。
歳を取った今、目的や理由がないとオートバイを触らなくなっていることに気がつく。
オートバイに跨り走り出すと、それまでざわついていた心は真夏の内海のように凪ぐ。
それだけは、今も昔もあまり変らない。
他のライダーはどうだかは知らないが、走行中、頭の中は空っぽである。
走ることに使う思考以外、他の思念は一切入り込むことを許さない。
路上の上。
私は在りつづける。