私の感じたこと

リロケーションを専業とするラビットホームズの岩崎和夫といいます。
私が日々感じたことなどを素直に本音で書き留めます。

敷金返還訴訟

2005年12月16日 | 仕事に関すること
本日付朝日新聞夕刊の一面トップ記事に「敷金返還訴訟、修繕費貸手の負担」が載っていました。
「修繕費は本来賃料に含まれる」として貸手負担の原則を最高裁が初めて確認したと言う内容でした。

契約当初に細かい負担区分表が添付されていたらしいのですが、それでも全て貸主負担と言う判決が出ると、借り手に負担を求められるケースが無くなってしまうことが危惧されます。
従来は確かに借り手にとって不利な内容の契約が多かったのは事実ですが、旧建設省が敷金精算に関するガイドラインを策定し、昨年には東京都で「賃貸住宅紛争防止条例」が施行され、双方にとって納得行くラインがほぼ決まった感がありました。

あまりにも消費者保護が強すぎると悪意の入居者をも保護する危険もあり、きっちりと自然損耗と故意過失や善管注意義務違反との負担の違いを明確にして欲しいと説に思います。
昔と違って常識と言うもののボーダーラインが無くなり、契約書に明記していない物は何でもOKという風潮が正直見え始めています。

あるとき夜中に騒いで近隣から苦情が出た際に「周りの方が迷惑しているので夜中はなるべく静かにして下さい」と通告した際に「そんなことが契約書に書いてあるのか?」と言われた事がありました。
あまりに常識外のバカバカしい話しなのですが、それ以降当社では契約書の末尾に「本件使用細則」と称して事細かな事を記載するようにしました。
夜中に騒ぐな、通路に物を置くな、流しに油などを流すな、ゴミはきちんと分別しろ、など等です。
本来は世に出る前に親がきっちり教育するべき問題ですが、残念ながら社会が教えなければならないほど今は親の教育が行き届いていません。

ひとつの救いは、細かくいっぱい書面化して記載してあると、「書いてあるならしょうがないから従います」という人が結構いると言う現実もそこにあります。
悲しいかなこれが今の日本の現実です。

常識というものはどこへ行ってしまったのでしょうか?
一般常識が無くなった世界では、全てが訴訟社会となり、契約条項に全て謳わなければならなくなります。
アメリカの契約書は電話帳のように厚いというのがなんとなく判る気がします。
残念ですが・・・・


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