ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

プールで

2016-12-04 21:04:36 | Weblog
プールに行く。

障がい者の機能回復訓練の一環。


施設の職員は受付にいて、
教室の間は、2階の観覧室からみている。

しかし、この日は、施設の職員がめずらしく
プールサイドに下りていた。



思い切っていってみる。

「あの●色の帽子の人の水着が気になるんですけれど」

「やっぱりそう思う?
 一度言ったんだけれど、変えないんだわ」


この●色の帽子の人は知的障害の若い女性。

水着が小さくて、胸の谷間が目立つどころか
胸のわき乳が水着からこぼれそうな感じになっている。

おしりのお肉もこぼれ気味。

スクール水着をそのまま着ているような感じ。

縦にも横にも大きくなっているから
無理な話なのだ。



女性の目でも、嫌な感じに見える。

男性陣がどのように見ているかは不明。。。


本人が変えないということは、
恥ずかしいことという自覚ないってこと。

注意を受けてもわからないようだ。



「親は水着姿をみていないにしても
 水着をみていないんだろうか。
 
 明らかに色落ちしていて伸びているのに」
と職員の人。


「見ていても、
 自立させるためとかいって
 言わないようにしているじゃないですか?」
と私。

「確かに、そういうのはあるあるなんだけど、
 根拠は?」

「更衣室での着替えを見ていると
 明らかにサイズが違うブラをしているんですよ。
 アンダーとカップががばがばで。
 ブラの意味がないようなものを付けているんです。

 他にも、破れたブラとか」

「え。。」

「多分、自分で買いに行かせて間違ったサイズを
 買ってきて、反省の意味でそのまま使わせているとか。

 破れた方は、大人なんだからと自分で下着を
 洗わせいて、状況を親が知らないか、
 知っていても、自分から必要というまで
 黙っているとか」

「それは自主性を付けるという名の放任だよ。
 
 自分たち親がいなくなった時のことを思い、
 そうさせるのかもしれないけれど、
 知的障害の場合、何度経験しても
 分からない人はわからない。

 本人が恥ずかしいと思わないから
 そのまま放置が一番いけない。」


結局、親に事情を話して
「水着を買ってあげてください」というように
するということになったが。。



恥ずかしいという気持ちは本能でなく、
後からついてくるもの。

後からついてくるといっても
気にしない人も、気にすることもできな人もいる。

本人が気にしていない、
気にするようにならなくてはいけないといって
放置するのは、子供を性被害者にしようとするもの。

被害者にならないようにするには、
最低限の気配りで守ってやらなくてはならない。


知的障害者の養育ってむずかしい。

コメント
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