いまどこ ―冒頭表示2
キーボードの2段めと3段目はなぜ互い違いになっていないの - 教えて!goo:
に答えてってな形で部分統合しようかナとも思う。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c11db5b33d4a1d67900e568ab0dc6273ではちょっとスレ違うと思う。
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
→ カネギーエ科大学機械工学部試駿表
昭和二年二月開催(和文印刷電信機施設技術官講習会講習資料の一部)
昭和二年十月開催(印刷電信機運用講習資料の一部)
1927年前 カーネギーは、タイプライターのテスターだったのかな?
企業向けでは、レミントン、スミス、、
家庭、教育向けポータブルでは、コロナ。
1932年の『Typewriting Demons』タイプ書きするデモン?
Qwerty and Dvorak Typing "Demons"
タイプミスしがちな単語リストか?
昭和二年二月開催(和文印刷電信機施設技術官講習会講習資料の一部)
昭和二年十月開催(印刷電信機運用講習資料の一部)
1927年前 カーネギーは、タイプライターのテスターだったのかな?
企業向けでは、レミントン、スミス、、
家庭、教育向けポータブルでは、コロナ。
1932年の『Typewriting Demons』タイプ書きするデモン?
Qwerty and Dvorak Typing "Demons"
タイプミスしがちな単語リストか?
次にタイプそのものの形状が機構の発達と共に進化して来た順序を概略申述べます。第一図は最初の軟鋼製の単独タイプ即ち一キー一文字機タイプであります。「初代レミントン」「カリグラフ」「スミスプレミヤ」「ヨスト」「バーロック」等皆単独タイプを採用しました。
五製造会社のトラスト(合同経営)は提案され、やがてその合同は実現することヽなった時 L.C.Smith(エル、シー、スミス)氏は「善良なる競争は進歩発達の一要件なり」と主張してトラスト組織に反対しその結果自己が築き上げた「スミスプレミヤ」会社より分離して「スミス兄弟会社」を創立しました。「まさに来らんとするビジブル式を完成させなければタイプライター発明者はその天職を尽したと言い得ないjとは彼の信ずる所でありました。
如何に適者生存の理が我等の機械の上に働いているかが知り得るのであります。ここに市場にある著名なる最近型を数種陳列して諸君の参考と御研究の資料に供します。(カネギーエ科大学機械工学部試駿表參照)
思い当たったのはその頃活版印刷所で使用していた植字工の活版格納箱の活字配置方でありました。で、これを適宣按配するに限ると言うので現今の標準キーボードのQWERTYUIOPという様な配列が出来たのであります。で、その頃の欧文活版ケースは下図の様な配置でこれをLow-case=小文字箱と呼びました。
このケースを基礎にして適宜按配されて出来たのが最初のキーボードであり又現在の標準キーボードであります。双方がよく似ている文字の配置と四段十枠の割付に御留意下さい。
米国の子供達が文字の簡易の為、いかにもたやすく、小学教育を受けつつあるを目撃して、我国でも漢字を廃しかなもじを採用したらばと強く感じた
クロサワタイプライター
黒澤工場村
ところがその利用を更に和文電報にまで及ぼすの利便を考えた同局では,大正6年当時日本に於ける唯一のタイプライター輸入修繕商であって,和文タイブライターの製作利用を考案した黒澤貞次郎氏にL.C.Smith式タイプライターをもととし,これを和文電報に適するようキーボードの文字配列等を指示してその改造試作を依頼した。
(「黒澤貞次郎さんの追憶」大内誠三)
L.C.スミスタイプライターを改造し、電信用カタカナ・タイプを製作、
「和文スミス」と称す
和文スミス 和文スミス使用の電報
キーボードの配列は同局で1838通の電報此字数98,450字を研究せられて定められたのが下図のキーボードでその後漢字を全廃しましたのが現今のキーボードであります。 (「沿革」)
黒澤工場村
→ ポストシフト プレシフト
アルファベット 英語入力 Dvorak
アルファベット 日本語入力 Dvorakでは偏りが、、説
アルファベット ラテン系入力 QWERTYでも±微調整 →
人は誰しも「少しでも楽をしたい、少しでも簡単にすませたい」という欲求があります。
脱ポストシフト化を果たした逐次シフト系カナ配列には、ローマ字入力と同一の共通点(というか操作感)が生まれます。
そして、当然ローマ字入力と非常に似通った打鍵方法をとることになります*2。
*2:配列のうちの「ローマ字」や「カナ」の表記というものは「打鍵順を覚えるための手がかり」であって、「最終目的」でも「最終手がかり」でもありません。タッチタイプができる状態になった後は「運指のみが残った状態」での打鍵となるので、結果として残る運指具合は「ローマ字入力のそれと非常に似通ったもの」になります。
しかも、一度ポストシフトが不要な環境に慣れれば、もうポストシフトがある環境に戻りたくはなくなるはずです(…って当然ですよね。ポストシフトがあると、音に関係なく1打増えてしまい、結局は打鍵しづらくなるわけですから)。
さて、このような「優れたプレシフト系カナ配列」を触る人は、将来どんな不満を感じるでしょうか・・・?
アルファベット 英語入力 Dvorak
アルファベット 日本語入力 Dvorakでは偏りが、、説
アルファベット ラテン系入力 QWERTYでも±微調整 →
→ 黒澤貞次郎くろさわ ていじろう1875.1.5(明治8)~ 1953.1.26(昭和28)
黒沢貞次郎 理想 黒澤貞次郎 理想
明治・大正・昭和期の実業家(黒澤商店・タイプライター) 、技術者 埋葬場所:10区 1種 3側
東京室町出身。尋常小学校 日本橋の薬問屋 小僧 仕事の合間 英語を独習、1891(M24)渡米、シアトルを中心に職を変え、ニューヨークのエリオット・タイプライター会社に工員として就職。工員として技術を身につけるかたわら、タイプライターの研究をはじめ、
1899(M32)同社と共同で日本字ひらがなタイプライターを開発、さらに、電信への利用を前提としたかたかな機に取り組み、
1901に完成させる。エリオット社からシラキュース市のスミスコロナ社に移り、
'01退職金がわりの十数台のタイプライターと、エリオットハッチ社の日本における総代理店権を得て帰国。黒澤商店を設立 タイプライターの宣伝・販売活動、事務用機器全般の輸入販売。近代事務空間としてのオフィスビル建設の構想を抱き、事業のかたわら鉄筋コンクリート技術・建築を独学。
'09から銀座6丁目に従業員を主体に本社ビル建築を始め、三期にわたる工事の末
'12暮れに完成させる。さらに東京南部の蒲田に、自らの設計施工による新工場を「鉄・ガラス・コンクリート」の近代的材料を駆使して完成させたが、関東大震災で崩壊。
'26(T15)再び新工場建設に着手。工場のみならず、敷地内には、食堂、浴室、購買部を含む建物、車庫、変電所、ポンプ室、材料倉庫、幼稚園、小学校、社宅、池、児童プール、貯水池、給水塔、水道設備などをもつ「黒沢村」コミュニティとする。
'46(S21)敗戦とともに進駐軍に本社ビルは接収、赤十字社として使用され
'52接収解除とともに復旧工事を開始。工事完了後の
'53元旦に脳溢血で倒れ、同月死去。
黒沢貞次郎 理想 黒澤貞次郎 理想