いまどこ ―冒頭表示2
キーボードの2段めと3段目はなぜ互い違いになっていないの - 教えて!goo:
に答えてってな形で部分統合しようかナとも思う。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c11db5b33d4a1d67900e568ab0dc6273ではちょっとスレ違うと思う。
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
からだが打鍵評価して、文体を変えさせる?、なら、文体の変化を助長する変更は、いったいどうなる?
からだが打鍵評価して、文体を変えさせる?、なら、文体の変化にも追従した配列変更は、何を招く?
文体ニュートラル、
からだが打鍵評価して、文体を変えさせる?、なら、文体の変化にも追従した配列変更は、何を招く?
→二つ目。
飛鳥には、かつての親指ひゅんQで打鍵感を損なう原因となっていた「シフトが連続で効いてしまう」という性質を逆に利用して、「です。/ます。/だ。/である。」などの文末を同じシフト(アルペジオが多い)で打鍵できるようにしたという経緯があります。
そのため、(人間は常に、可能な限り楽をしようとする欲求がありますので)普段からそういう文末を好んで使用しがちになり、あのコメントにあるような「わ。/の?/と。/ぞ。」という打ちづらい手を、文末中の半数に使うというのは、飛鳥を使って打鍵するには少々不自然ではないかという気がします。
もちろん、NICOLAに慣れていらっしゃる方にとっては「どのカナを打っても打鍵コストは同じ」だと思われますが、それはNICOLAの美点であって、他の配列には(ごく僅かですが)どうしても打鍵癖のようなものがでてしまいがちだと考えています…これは気のせいなのかもしれませんが、少なくと私はそう疑っています。
文体ニュートラル、
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マーチ=サイモン『オーガニゼーションズ』
埋没した革新のコスト
「個人もしくは組織は、現在の行為のコースがなんらかの意味で『不満足』でない限り、現在のコースに代替する選択肢を探索したり考慮したりすることはしないから、継続がまず先にくることになる」(265頁)。
→既存のプログラムの変化はコストを要するものであるため、そのようなコストの存在によりプログラムの継続が促される。