「ちっ」という短く鋭い鳴き声。
このところ、台所の床下からそんな声がしていて、一瞬、「ねずみかな?」と
思って、ちょっとどきどきしてしまったのですが、聴いていると、鳴き方が
一定しているので、「虫の鳴き声に違いない」と、ひと安心。
でも、聴いたことがない鳴き声なので、「何だろう?」と思って調べてみると、
どうも「カネタタキ」という秋の虫のようです。
「鉦をたたくように鳴く」という意味で、この名前がついているそう。
そして、この虫は家の中に入って来る率が非常に高くて、「困っている」という
ご相談が多いのも確認。なるほど。害としては果実を食べるといったもののよう
ですが、それ以外には大きな害はなさそうだし、とても小さい虫で見つけにくい上に
床下にもぐってつかまえるなんて、私にはできそうにありませんので、
そっとしておくことにしました。
家の中ではありませんので、出て行くことも可能ではないかと?
それでも、「困っている」というご相談の原因は「うるさい」ことらしく。
「ちっ、ちっ、ちっ」と続けて鳴くみたいなのですが、うちのは鳴きません?
「ちっ」とひと声鳴くと、ずいぶん経ってから、また、「ちっ」とだけ鳴く。
動画を探して鳴き声の答え合わせをしましたので、間違いなくカネタタキの
鳴き声なのですが、動画で聴いた鳴き声のように続けて鳴くことはしません。
弱っているのかなあと思っていましたが、すでに長い期間、無遅刻無欠勤だった
私のように(笑)、きちんと鳴き続けていて、声は鋭く、弱ることもありません。
ふしぎだなあ。特殊な子なのかしら? なぞ。
一日中、鳴いてはいますが、続けては鳴かないので、特に困ることはありません。
ちなみに「ちっ」と「ちっ」の間を計測してみましたが、ちょうど50秒間隔。
なんだか几帳面。つかまえて飼いたい方たちもいらっしゃるそうなので、
とりあえず、様子見中です。
それにしても、こういった調べものをする度に、本当に便利な世の中だなあと、
しみじみ思う高齢者女子。よく思い出すのが、大学時代のこと。
当時、こういったことを調べようと思ったら、まずは自宅にある百科事典を調べ、
書店や図書館で関連図書がないか調べ、最終的には専門機関に電話をして教えて
いただくといった手間が必要でした。
時間もお金もかかっていたけれど、今はネット検索ですぐにわかる。そして、
同様な事例でみなさんがどのように困っていらっしゃるかがわかる。
対処した実例まですぐにわかる。とてもありがたい世の中だと思うわけで。
もちろん、ネットで調べたことすべてが「事実」であるという思い込みはよく
ないとも思うけれど、そういった意味では、昔だって本に書いてあることが本当では
ないこともよくあって、より多くの物を調べる必要はあったわけですが。
専門家のお話だって、間違っていることはありました。
ただ、今の方がより手軽に便利になったのは事実。早急に知りたいことにすぐに
対処できるという意味では本当にありがたい時代になったなあと。
小さいころ、何か疑問に思うことがあって、父に尋ねると、絶対に教えてくれた
ことはありませんでした。「自分で調べんかっ」が口癖。
「自分のことは自分でしろ」を叩き込まれました。
おかげさまで、辞書の引き方が速いと感心された学生時代。おかげさまで、18歳で
上京してひとり暮らしをはじめたときも、何ひとつ困ったことがなく。
振り返って、父に対しては、単純に感謝するといった以外の思いも混ざってしまい
ますが、「厳しく育てられた」ということに関しては感謝することばかり。
心からありがたいと思っているのに、父はなぜか、人さまに対しては、激甘な
父親であるというパフォーマンスを演じていたので、私は「甘やかされたバカ娘」と
父の会社の方に説教をされて、目が白黒。私がどんなに困っていても、父は手を
貸してくれたことはないのにと驚きました。私が作ってあげていたお弁当は
母の愛妻弁当ということになっていましたし。
まあ、愛妻弁当は夫婦仲が悪いことのカモフラージュで、だれしもやっていそうな
ことなのかもとは思いますが。娘を過剰に甘やかしているというパフォーマンスは
何のためにやる必要があったのかと。そんなことを演じることなく、事実そのままに、
「厳しくしつけた」(逆さづりにして叩かれた)といったことを言ってもらった方が、
「さすがにそのように厳しく育てられた娘さんだ」と思われ、娘のためにはなったの
ではないのかと長く不思議でした。
同業だったために、私が書いたものすべてを父が書き直していると言われたときには
唖然。父も現役。他社にいる私の仕事に関わり合うことなんてできるはずはないのに
と呆れました。締め切りに追われて私もぎりぎり入稿でした。
父が退職したあとで、父の会社の仕事をフリーではじめて、父の部下だった方たちと
仕事をするようになって、そのことを言うと、よくお世話になっていたAさんが、
「(私)さんと仕事をすれば、そんな風に育てられたかどうかなんて、すぐにわかる
ことなのに、一方的に思い込んで発言する方がバカよね?」と言ってくださって、
長年の「甘やかされたバカ娘」発言に悩まされた思いがすこし晴れました。
Aさんの話によると、私によくからんで来ていた方はお子さんがいらっしゃらなくて、
うらやましさがあったのではないかということでした。なるほど。
「人の心は一面的ではない」ということは、たしかに父が教えてくれたことでした。
おそらく、父は会社の方には「激甘のやさしいパパ」みたいな「うそ」を信じさせたい
思いがあったのでしょう。そこには戦場のような職場での自分のプライドを守りたい
思いがあったように思います。
家の中の父はたばこが手離せず、灰皿には山ほどの吸い殻が瞬く間にたまるほどで、
家の中はヤニだらけ。煙草の煙で空気が悪いので困りました。からだにも悪いほどの
量でしたし、家の中も汚れるので、母が「せめて、自分の書斎だけで吸ってほしい」と
お願いしたことがありましたが、「俺の家で俺が好きなようにして何が悪いかっ」と
激怒して、母の願いを聞き入れるなんてことはありません。
お酒は溺れるように飲み、私たちに笑顔ひとつ見せることなく、常に苛立ち、ちょっと
したことで爆発すると、怒鳴り散らすといった人でした。食事のときに母に怒鳴り散らし、
母が言い返して修羅場となり、背中に冷や汗が流れるなんてことも。せっかく私が作った
ごはんがおいしくなくなるので、「やめてほしいなあ」と思ったものです。
父にもんくを言ったことはありませんでしたが。
Aさんたちと仕事をしていたとき、Bさんが「私、小さいころから勉強はできる方
でしたから、人にバカにされるといったことなんて一切なかったのに、ここでは
バカ扱いされて驚いたんですよ」とおっしゃっていて、どこか父のことも納得しました。
ちなみのこの方は難関国立大学卒で、ノーベル賞の授賞式の取材にストックホルムまで
行き、朝刊の一面の記事を書くようなとても優秀な方なのです。うーん。
それぞれにそれぞれの思いあり。
今日の空。
夜来の雨はひどくはならないものの、一日、小さく降り続いていました。
このところ、台所の床下からそんな声がしていて、一瞬、「ねずみかな?」と
思って、ちょっとどきどきしてしまったのですが、聴いていると、鳴き方が
一定しているので、「虫の鳴き声に違いない」と、ひと安心。
でも、聴いたことがない鳴き声なので、「何だろう?」と思って調べてみると、
どうも「カネタタキ」という秋の虫のようです。
「鉦をたたくように鳴く」という意味で、この名前がついているそう。
そして、この虫は家の中に入って来る率が非常に高くて、「困っている」という
ご相談が多いのも確認。なるほど。害としては果実を食べるといったもののよう
ですが、それ以外には大きな害はなさそうだし、とても小さい虫で見つけにくい上に
床下にもぐってつかまえるなんて、私にはできそうにありませんので、
そっとしておくことにしました。
家の中ではありませんので、出て行くことも可能ではないかと?
それでも、「困っている」というご相談の原因は「うるさい」ことらしく。
「ちっ、ちっ、ちっ」と続けて鳴くみたいなのですが、うちのは鳴きません?
「ちっ」とひと声鳴くと、ずいぶん経ってから、また、「ちっ」とだけ鳴く。
動画を探して鳴き声の答え合わせをしましたので、間違いなくカネタタキの
鳴き声なのですが、動画で聴いた鳴き声のように続けて鳴くことはしません。
弱っているのかなあと思っていましたが、すでに長い期間、無遅刻無欠勤だった
私のように(笑)、きちんと鳴き続けていて、声は鋭く、弱ることもありません。
ふしぎだなあ。特殊な子なのかしら? なぞ。
一日中、鳴いてはいますが、続けては鳴かないので、特に困ることはありません。
ちなみに「ちっ」と「ちっ」の間を計測してみましたが、ちょうど50秒間隔。
なんだか几帳面。つかまえて飼いたい方たちもいらっしゃるそうなので、
とりあえず、様子見中です。
それにしても、こういった調べものをする度に、本当に便利な世の中だなあと、
しみじみ思う高齢者女子。よく思い出すのが、大学時代のこと。
当時、こういったことを調べようと思ったら、まずは自宅にある百科事典を調べ、
書店や図書館で関連図書がないか調べ、最終的には専門機関に電話をして教えて
いただくといった手間が必要でした。
時間もお金もかかっていたけれど、今はネット検索ですぐにわかる。そして、
同様な事例でみなさんがどのように困っていらっしゃるかがわかる。
対処した実例まですぐにわかる。とてもありがたい世の中だと思うわけで。
もちろん、ネットで調べたことすべてが「事実」であるという思い込みはよく
ないとも思うけれど、そういった意味では、昔だって本に書いてあることが本当では
ないこともよくあって、より多くの物を調べる必要はあったわけですが。
専門家のお話だって、間違っていることはありました。
ただ、今の方がより手軽に便利になったのは事実。早急に知りたいことにすぐに
対処できるという意味では本当にありがたい時代になったなあと。
小さいころ、何か疑問に思うことがあって、父に尋ねると、絶対に教えてくれた
ことはありませんでした。「自分で調べんかっ」が口癖。
「自分のことは自分でしろ」を叩き込まれました。
おかげさまで、辞書の引き方が速いと感心された学生時代。おかげさまで、18歳で
上京してひとり暮らしをはじめたときも、何ひとつ困ったことがなく。
振り返って、父に対しては、単純に感謝するといった以外の思いも混ざってしまい
ますが、「厳しく育てられた」ということに関しては感謝することばかり。
心からありがたいと思っているのに、父はなぜか、人さまに対しては、激甘な
父親であるというパフォーマンスを演じていたので、私は「甘やかされたバカ娘」と
父の会社の方に説教をされて、目が白黒。私がどんなに困っていても、父は手を
貸してくれたことはないのにと驚きました。私が作ってあげていたお弁当は
母の愛妻弁当ということになっていましたし。
まあ、愛妻弁当は夫婦仲が悪いことのカモフラージュで、だれしもやっていそうな
ことなのかもとは思いますが。娘を過剰に甘やかしているというパフォーマンスは
何のためにやる必要があったのかと。そんなことを演じることなく、事実そのままに、
「厳しくしつけた」(逆さづりにして叩かれた)といったことを言ってもらった方が、
「さすがにそのように厳しく育てられた娘さんだ」と思われ、娘のためにはなったの
ではないのかと長く不思議でした。
同業だったために、私が書いたものすべてを父が書き直していると言われたときには
唖然。父も現役。他社にいる私の仕事に関わり合うことなんてできるはずはないのに
と呆れました。締め切りに追われて私もぎりぎり入稿でした。
父が退職したあとで、父の会社の仕事をフリーではじめて、父の部下だった方たちと
仕事をするようになって、そのことを言うと、よくお世話になっていたAさんが、
「(私)さんと仕事をすれば、そんな風に育てられたかどうかなんて、すぐにわかる
ことなのに、一方的に思い込んで発言する方がバカよね?」と言ってくださって、
長年の「甘やかされたバカ娘」発言に悩まされた思いがすこし晴れました。
Aさんの話によると、私によくからんで来ていた方はお子さんがいらっしゃらなくて、
うらやましさがあったのではないかということでした。なるほど。
「人の心は一面的ではない」ということは、たしかに父が教えてくれたことでした。
おそらく、父は会社の方には「激甘のやさしいパパ」みたいな「うそ」を信じさせたい
思いがあったのでしょう。そこには戦場のような職場での自分のプライドを守りたい
思いがあったように思います。
家の中の父はたばこが手離せず、灰皿には山ほどの吸い殻が瞬く間にたまるほどで、
家の中はヤニだらけ。煙草の煙で空気が悪いので困りました。からだにも悪いほどの
量でしたし、家の中も汚れるので、母が「せめて、自分の書斎だけで吸ってほしい」と
お願いしたことがありましたが、「俺の家で俺が好きなようにして何が悪いかっ」と
激怒して、母の願いを聞き入れるなんてことはありません。
お酒は溺れるように飲み、私たちに笑顔ひとつ見せることなく、常に苛立ち、ちょっと
したことで爆発すると、怒鳴り散らすといった人でした。食事のときに母に怒鳴り散らし、
母が言い返して修羅場となり、背中に冷や汗が流れるなんてことも。せっかく私が作った
ごはんがおいしくなくなるので、「やめてほしいなあ」と思ったものです。
父にもんくを言ったことはありませんでしたが。
Aさんたちと仕事をしていたとき、Bさんが「私、小さいころから勉強はできる方
でしたから、人にバカにされるといったことなんて一切なかったのに、ここでは
バカ扱いされて驚いたんですよ」とおっしゃっていて、どこか父のことも納得しました。
ちなみのこの方は難関国立大学卒で、ノーベル賞の授賞式の取材にストックホルムまで
行き、朝刊の一面の記事を書くようなとても優秀な方なのです。うーん。
それぞれにそれぞれの思いあり。
今日の空。
夜来の雨はひどくはならないものの、一日、小さく降り続いていました。