お知らせ
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
貴裕がやって来た。金曜日に実力テスト・・・期末もあるが、ここは夏休みへの布石で過去の英語の実力テスト。1年生範囲だ。
馨五と詢也がいるのでヨーロッパのBASICのプリントを解説しようとするが・・・真ん中の部屋では由梨佳(22期生・名古屋市立大学芸術工学部1年)の物理の授業。仕方なく廊下で解説。解説終了後から暗記・・・学校ではまだヨーロッパに入ったばかりだが進める、詢也対策だ。
喬之から中間試験の数学と理科と社会が返却。社会と理科はまあまあ・・・しかし数学、今まで何度もさせたところでやられる。指示すべきことは一つだ・・・「平方根の四則を全てやり直せ。3月以降延々とやり続けたエリアだ」
今日もマスク姿は望美・・・一枚の紙を渡す。オーラス、嬉野中の前期中間試験の範囲発表。数学は順当、歴史も順当だが範囲が狭まる可能性があるとは教科担当のコメント。
潤奈と晶帆がレッスン3に入りそうなので、慌てて授業・・・やはり廊下だ。
中1の人也と直哉と亮にはひたすらに英作文。直哉が一番きれいで読みやすい。大きすぎるが元気がある人也・・・まあ、習字ではないが。そして亮は小さな字、あげくほぼ全文でピリオッドとクエスチョンマークを忘れる。前々から注意しているがなかなか直らない。もう一度させるのがいいんだろうが、早く帰りたい症候群が見え隠れする亮だ、すかさず文字式・・・数学だともう少し頑張ろうという気になるらしい。
貴裕が帰る。今日は忙しくて送っていけない・・・すまない。
人也の数学を採点する。少しおかしい・・・ひと月ほど前にできてたところが抜けている。英語に集中している間に記憶が剥がれたか。この特徴は覚えておかねばならない。
午後10時から昴洋(津高3年)に英語の授業・・・どこに弱点があるのかを探る授業だ。
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昨夜・・・今日の午前1時過ぎに塾に戻って以降、 FACE BOOK 越しに塾関係者からメールが届く。
絵梨佳(18期生・立命館大学情報理工4年)、東京までの日帰り巡業ご苦労様。ことに今回は絵梨佳に会えなくて残念だった。内定祝いを『あげた亭』でするつもりだが7月は試験か・・・。
克典(9期生・ツイッター)は午前2時過ぎに大東市のアパートに戻ったようで・・・。
克典は古い塾で橋本ドクターから化学の授業を受けた過去を持つ・・・過去というと大げさだが、あの当時の鬼の橋本の授業を受けたというだけでウチの塾では勇者と称えられるか、憐れみの目でもって迎えられるかの経験。
そのかつての師匠と弟子の立場が後に暗転する。橋本ドクターが開業するにあたり、克典がHPやブログを駆使してネット上での知名度アップや集客を提案・・・それに乗ったからだ。橋本ドクターとて、医学部を目指すまでは京都大学工学部に進学、卒業後はネットでアントレプレナーを目指していたくち・・・俺のような頭の古い経営者ではなかった。それからはメールを通してのレッスン・・・HPの作り方やブログのスタイル、goo や yahoo での検索アップのテクニックなどを克典がかつての化学の師匠・橋本ドクターに教授することになる。
「いやあ、昔化学を教えた克典に今度は僕が教えられる。運命のおもしろさというか、塾で講師させてもらって今更ながら感謝してますよ」 ・・・そんなふうにドクターは言うが、年下の提言に耳を貸すリベラルさがあってのこと。今では橋本クリニックの患者さんの半数は立て看や雑誌媒体の広告ではなく、HPやブログがきっかけで来られるようになった。
・・・なんかプロレスラーみたいな奴がいる・・・携帯からアップした『あげた亭』での記事に橋本ドクターがコメント。左に座るプロレスラーまがいが克典だ。さらに・・・いいなあ、行きたいなあ・・・とのドクターのコメント。駄々っ子やがな、・・・はいはいはい、克典に7月28日の呉の花火を誘っておくから。
HPを起ち上げ、気分任せに『25時』を書いていた俺に橋本ドクターは厳かに宣言・・・「これからは僕の指示するようにやってください」 そして始まるHPの変革、HPのほとんどは橋本ドクターの制作によるものであり、俺のブログの内容についても「文章は短く」「写真を極力入れるように」「更新はできれば一日3回」などと、怒涛のチェックが入ることになる。
つまりは、ことネットに関しては克典が師匠であり、橋本ドクターは弟子、俺が孫弟子となる。つまりは克典は大師匠となるわけだが・・・複雑やな。
皆を引っ張る話題のおもしろさに加えて食の戦線でも怒涛の進撃だった克典だが、その克典に果敢に臨んでいったのがあい(23期生・名大学教育学部1年)・・・念願だったカレーうどんを皮切りに、ひたすらに食べ続ける。
そんな克典とゆっくり話した・・・というより克典と大西君(研究者)や森下(8期生・研究者)との話を観客席から聞いていた。突発性難聴になった俺の耳は左がほぼ聞こえない。ゆえに飲み会では座る位置がポイント・・・克典の左側に座り、唯一聞き取れる右耳を克典と大西君のほうに向ける。
克典の京都デビュー戦は成功裏に終わる。こ奴の難解な思考、それでいて笑けてしまう少しばかり屈折した考え方は『あげた亭』の貸し切りの座席を席巻し、大喝采を受けることになる。俺の前には山路(9期生・塾講師)、これまたゆっくりと酒を飲むのは初めてだが聞き上手なようで鎮座している。そして俺もまた、聞き取りにくい耳を恨みながらもなんとかついて行こうとしている。
本当に楽しい夜だった。
今日の山路のネタの記事は FACE BOOK でも紹介した。さっそく美穂(10期生・看護師)からの書き込みが入る。・・・ブログ読んで、あの頃の自分を思い出した・・・
かつての塾内『25時』は塾生の今を語った。そして今、俺はかつての塾生の今を語ろうとしている。塾生の頃、塾を卒業してからのブランク、そして今をだ。支障がない限り、一人ひとりの「それから」に迫ってみたい。それが俺の最期の仕事だと思っている。
ただ、克典はまだまだ書ききれない小宇宙のような男だ。デビュー戦では強烈なインパクトを皆に残した。それでも、お楽しみはこれからだ。
さあて仕事・・・中2の茉穂と莉穂がやって来た。数学と英語は想定通りに進んでいる。還元に入った理科・・・ここからか。
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多少なりとも誇張があるかもしれないが・・・。
サイボーグ山路・・・克典がふと漏らしたフレーズに懐かしさをを覚えた。横では奥さんが、「私もそれ聞いたことがある」とはしゃいでいる。
高校入試を目指した頃の山路は本当に完成度の高い生徒だった。
それが津高進学後、少しずつ揺るぎ始める。鮮やかな色彩の服を着るようになった。デザイナーになりたいと言うようになった。悪いことではない・・・思春期特有の麻疹のようなものだ・・・俺は民間治療よろしく、山路を伴って初夏の福井から大阪を旅行した。あの頃はカリーナED・・・福井ではアキラの親父こと刀称に世話になった。そして大阪ではレイコ姉にやっかいになった。
しばらく塾を休み、大学受験のジャンが鳴り始める頃に山路は塾に復帰した。積み重ねるべき時間は思春期の漂白の思いに埋め尽くされた。過去には後戻りできない。それでも器用なラストスパートを見せて関西大学に進学する。
就職活動もまた積み重ねる時間が不可欠となる。ところが山路は四畳半の自由を謳歌することで時間を磨り潰していく。そして就職の季節となり、既存の就職活動のレールに乗ることを良しとせず、街のあちこちに置かれた情報誌で就職を決めた。初めは大阪本社、数年後には名古屋支社・・・。その頃には大学時代のバイト先で知り合った彼女と結婚していた。
就職した会社は食品メーカー。ラインにも入った、・・・ラインが嫌というわけではなかった。しかし、このまま自分は朽ちていくのか・・・そんな自問自答が続く。自分が一番楽しかった日々を窺う・・・いつも最初に思い出すのは津高を目指して勉強していた塾での日々。勉強していたのに、なぜか楽しかった日々。夜遅くまで、日付が変わるまで勉強することが快感だった日々。
会社を辞めて、名古屋のとある塾に就職した。自分の顔を見つめる子供たちに中3の頃の自分を見た。
大阪が好きで大阪の専門学校を選択した奥さんとで名古屋の街について話した。塾で子供達と過ごす生活は楽しかったが、名古屋の街に抵抗を感じた。大阪の人たちに感じた愛着を名古屋の人たちにはなぜか感じられなかった。再びもたげる小さな不満・・・このまま、この街で生きていくのか。
妹の結婚式は京都であった。北白川での挙式に出席する前、二人で北白川の街並みを歩いた。桜のあでやかさに目を奪われた。この街に住みたい・・・小さな不満は膨らんだ。
京都の街の物件をまわった。さすがに高価で手が出ないことが分かった。少しだけ譲歩、・・・譲歩してもいいほどに不満は膨れ上がっていた。そして譲歩は京都から隣接する宇治へ・・・新築の一軒家を購入した。全てをこの家からやり直す・・・たとえローンが払えなくなる日が来ても、ここから始める。不退転の覚悟で臨んだ決断だった。
名古屋の塾は辞めた。そして宇治に移り住んだ。全てはそこからだった・・・職探しが始まった。職業は・・・塾に決まっている。
5月の連休に14年ぶりに塾に現れた山路が語ったこと・・・そして今日一日でその補足。最初にも書いたが多少の誇張・・・いや、俺の思い入れか。
今日、いや昨日の午前11時20分、宇治市牧島の込み入った住宅街を抜け、山地の新築の家の前にエスティマを止めた。ドアを開けて地面を踏みしめる。そして新築の家を見上げた時・・・泣きそうになった。
奇妙に凝った玄関前の屋根・・・中3の頃と変わらず穏やかに微笑みながら、それでも少し照れたような口調で、特注だと聞かされ、・・・俺は泣き笑い。
山路の奥さんを連れだして24号沿いの宇治では老舗とかいう『シェル』という洋食屋に入った。前夜にネットで検索、量の多さで有名なことは黙っていた。
マシュマロのような奥さんだった・・・年上と聞いて仰天するのだが。
今から17年前の津高合格発表。山路は横綱相撲で合格した、しかし喜びの表情はなかった。太郎(9期生・東海理化)はつまらなそうな顔をし、信藤(9期生・日本ユニシス)はこ奴らしからぬ怖い顔をして合格掲示板をにらんでいた。ともに新しい塾で勉強した克典(9期生・ツイッター)が落ちたからだ。
あの時、山地は見得を切らなかった、切れなかった・・・それ以後、俺は山路が見得を切るのを見ることはなかった。しかし今日、山地が去年の11月に新築した家を眺めながら、特注の屋根を眺めながら・・・山路が見得を切る姿を瞼で夢想する。
この一瞬のために俺は塾を休んでやって来たのだ。
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