お知らせ
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
茉穂に理科の化学分野を教える。中間試験で理科でやられたからねえ。質量保存の法則あたりだが、しょせんは知識問題が並ぶに過ぎない。一旦は抱かえてしまった苦手意識の克服なんやけどな。
同様に中2の伊真理には電流電圧を基本とする熱量を教える。まあ、教えたもののまだまだファジーやろな。明日の反復で間に合うかどうか・・・。
今夜も鈴鹿サーキットだ。深夜23号線を走ることになる。今日あたり奥さんもエスティマに乗せて隆哉のベース『大伸』に乗り込もうか。
律希には社会の諮問試験をしてみるがほとんど答えられない。この状態で問題集をやろうとしていたのを止め、基本から・・・俺が打ったプリントを覚えるのが最優先。問題はこの類の暗記になると生気が失われていくような気配が漂う、ここがこれからの課題か。
中1がしゃべっていたのが耳障りだったらしく、前に座っていた中2の響が睨みを利かせて黙らせたと、さつき(21期生・名城大学人間学科3年)が嬉しそうに言う・・・なかなかいい話だ。怖い先輩の存在は塾の宝だ。注意をした先輩は今度は自分を律するはず、それがいい循環を生めばと願う。
ほとんど教室を支配するのは鉛筆の音・・・各自が自分のするべきことをやっている。この沈黙・・・中1が沈黙に耐えられるかどうか。今までの小学生の勉強とは全く違うはず、・・・早く慣れてほしい。このサイレントバトル・・・誰もが通って来た。
その意味で亮に少しばかり注意をした。今日の午後など、せっかく早くから塾に来ているのにその時間を有効に生かしきれていない。他の中1がいないという状況にまだ耐えられないのだ。受験生は孤独・・・そのことが身体で分かる日が一日でも早く来ることを願う。
人也はまだ塾にいる・・・粘っていると言えるかもしれないが、ずっと体育をやり技術家庭をやっていた。さすがに国語をやるようにと「このままでいくと国語が悲惨になるで」と少し皮肉を言ってみる。しばらくすると国語をやり出した・・・皮肉は理解できるようだ。
午後9時半・・・少しずつ帰り始める。人也・・・また技術をやっている。そして亮、まだ残っている。
落ち込みの激しい時間をしばし過ごす・・・仕方ないか。
午後11時・・・8人が残って勉強している。長く勉強をすればいいと一様に決めつけることはできないが、それでも長く勉強を続けられない奴が大望を抱くのはおこがましい。
クリックのほう、ほんまにでっせ。
潤奈を連れて塾に戻る。東中の生徒は来ていない。しばらくして知愛、そして星河。知愛の懸念だった理科は思いのほか良かったらしい・・・しかし、理科に力を注ぎすぎて他の教科が崩れたらしい。アマチュアのミスともいえるが、期末にかける意気込みは先生に伝わったはずだ。
星河は廊下で勉強している・・・文字式。「僕は数学苦手なん・・・」と思わぬことをつぶやく。そんなことはない・・・と今言っても説得力もない。このヘルプは期末試験以後の課題やな。
人也が来る。明日は保健体育と技術家庭と国語だとか・・・塾にある体育の問題集を渡す。亮が来る。数学の正負の数が1枚に文字式が1枚、想定していたプリントを渡すが1枚目でダウン・・・そういや星河、最近は寝なくなった。
馨五が来て、茉穂と莉穂がやって来る。少なくとも1年以上はウチの塾で暮らしている。中1の頃と違って、最近ではじょじょに手放すようにしている。言い換えれば自主性に任す実験をしているわけだが・・・見守るのも不安なのだ。
和俊(高田6年)に英語の授業・・・早稲田の政経2001年度1番・・・韓国の OhmyNews についての英文。どうしても難関大学の英文を読むにはその背景となる知識が不可欠・・・この英文なら出版業界やメディアについての知識だ。メディアがスポンサーの広告によって成り立っている・・・そのあたりから説明する。
真ん中の部屋で和俊に授業をしている間に亮が帰り、星河も帰り・・・このあたりは中1やねえ。「かまってほしい症候群」がゆとり世代の顕著な特徴だと最近ともに意を強くしているのだが・・・。
信利がやって来た、そして有紀も・・・明日から始まる附属中学だ、緊張する。そしてやはり明日からの貴裕もやって来る。
そしてサポートのさつき(21期生・名城大学人間学科3年)がやって来る。
落ち込んでいる俺にクリックでの激励をお願いします。
お袋を連れて遠山病院に行く。お袋にとって外科なら20年以上も馴染にしているドクターもいる。ところが内科だ・・・。まあ、待合では奥さんが横について話し相手になってくれている。その類がめんどくさい俺には本当にありがたい。
診察後には一転して顔色がいい、それ相応に心配もしていたのだろう。80歳を過ぎても往生際が悪い。どこかで飯でもというお袋だが午前10時だ。津市内をエスティマを走らせる。どうやら気分もいいようなので今までに行ったことがないところ・・・フェニックス通りを抜け、なぎさまちの旅客ターミナルへと連れて行く。
「ここから船に乗ってセントレアに行くねん」と一度も乗ったことがない俺が説明する。「なぎさまちていうてるけど、昔は贄埼って言うたんや」 「ああ、贄埼なの」とお袋。「へえっ、知ってるの」 「あなたが小さい時は御殿場へ行くようになってたけど、それより昔はみんな贄埼に泳ぎに来てたのよ」 「へえ、そりゃ知らんかった」
あれが結城神社や、と指さしながら南へと向かう。「梅の名所やね・・・だいぶん昔に一度だけ来たことがあったわ」 後部座席からお袋の声が聞こえる。エスティマは23号に入った。
戦前の話だ。名古屋の納屋橋の鰻屋の娘だったお袋は毎年夏になると母方の故郷で数日を過ごすのが常だったという。その故郷とは松ヶ崎。蒲生氏郷が城を松ヶ崎から松阪に移してからは松阪の植民地だ。当時、小学校の低学年だったお袋が、妹たちを連れて近鉄の駅から太陽が照りつけるなかを松ヶ崎へと続く細い道を歩く。母方の実家の近くには小学校があり、その向こうには川と海が合流する場所があり、毎日のように貝を獲って遊んでいた・・・。
・・・そんな話をことあるごとに聞いた覚えがある。いつも「いいね」を押すように頷いたふりをしてただけだが・・・。塾生たちが来るまでには時間がある、ままよと23号線を南下。松ヶ崎界隈に分け入る。ところが俺にとっての松ヶ崎、ライヴハウスの『マクサ』ぐらいしか引き出しにはない。細い道を行きつ戻りつ、地元の人たちの慈愛に満ちた表情に助けられ、なんとか松ヶ崎小学校を横目に裏側に潜りこむ・・・堤防からは三渡川が伊勢湾に流れ込むのを眺めることができる。
川と海が合流する・・・たぶん、このあたりだろう。「ここらへんやで」と俺。「なにせ70年以上も昔の話だからね、・・・小学校があって・・・川があって、そうね、この辺り・・・でも、あの頃は堤防なんてなかったけど・・・この辺りなんでしょうね」
堤防上の一車線、松ヶ崎を包み込むようにエスティマを走らせる。後部座席に気をとられているとついつい人家が立ち並ぶ一画に滑り落ちそう・・・それでもフロントミラーに一瞥をくれてみる。・・・ハンカチで眼を押さえているお袋が映る。
塾に戻るとさっそく電話、まるで見てたかのようなタイミング・・・潤奈だ。オマエは卑弥呼か! 「迎えに来てくれますか」と途切れそうな声。「分かった」 俺は階段を駆け下りる。
クリックのほう、ほんまにほんまに頼んます。
昨夜は貴裕を助手席に置いての鈴鹿サーキット・・・往復44km、23号線をひた走る。エスティマのなかでは諮問試験、やはり社会の範囲に終始する。範囲は第二次世界大戦から最後まで。先週も同じようにやったが壊滅的だった。昨夜はそれなりに重要項目のインプットはできている・・・朝鮮戦争・警察予備隊・サンフランシスコ講和会議・日米安全保障条約・吉田茂・日ソ共同宣言・国際連合へ加盟・高度経済成長・東京オリンピック・沖縄復帰・田中角栄・日中共同声明・日中平和友好条約・・・あたりだ。
「ドン・キホーテ」あたりで助手席の気配がない。「眠いか?」 一瞬の間を置いて頭が影絵のように下がる。「中3のなかで一番の危険牌はオマエやな・・・でもまだ一日ある」 再び下がる。前を見ると信号が赤に変わる、無数のブレーキランプが点滅する。・・・白子中学の試験は木曜日からだ。
今日の東中と西橋内を皮切りに1学期期末試験が始まる。延々と4週間にも渡った前回の中間試験とは違い、今日から始まる期末試験は今日からの1週間に集中している。昨日までのカウント・・・試験日までのカウントが終わり、今日からは戦塵のなかでのカウントとなる。つまりは、・・・一日目が始まる、わけだ。
高田高校と三重高校の塾対象説明会が今週開催される。高田高校が木曜日、三重高校が金曜日だ。当初の予定では出席するつもろはなかった。なにしろ前期で最も心が逆巻く1週間内での開催、期末試験以外のことで注意を奪われたくなかった。
しかし今日の未明、高田高校充てにメール。明後日に迫った説明会への出席を希望する趣旨のメールを送る。・・・どうしても数理クラスの実績を知りたい、その欲望に負けてしまった。
しかし締め切りはとうに過ぎている。どないなるかな。
奥さんの両親ともども、俺の親父とお袋も高齢・・・人並みにいろいろとあるわけで・・・もうすぐお袋を遠山病院へ連れて行く。ともあれ、今日から始まる。
クリックのほう、ほんまに励みになります。