祥宜(8期生・トヨタ合成)が津西の3年生だった頃、伊勢の球場まで出向いて津西の野球を観戦していた。マウンドに上がるピッチャーを「あれ、僕の友達なんさ」と言って誇らしげだったことを覚えている。俺とすれば当時高1だった亮太(10期生・光近代塗装社長)がもしかしたら出るかなとの淡い期待からやってきたわけだが、選手層が厚かった当時の津西にあっては伝令にすら出ることはなかった。そのマウンド上での力投が印象的だったピッチャーが、ひょんなことでウチの塾に密航してきた。そのピッチャーこと勇希(8期生・消防)の作文・・・
私は息子と2代にわたって、れいめい塾にお世話になることになりました。
息子は部活終了後の3年生の夏期講習からお世話になっているのですが、入塾までに、母親と息子はいくつかの入塾体験を重ね、いくつか気になる塾はあったようですが、最後は私がれいめい塾を勧めたことが入塾のきっかけとなりました。私がれいめい塾を勧めた理由はこれまでのれいめい塾の実績(多くの学生を志望校へ導いたこと、過去からのデータを多く有していて自分の今いる位置を把握しやすく、効率的な学習方法が可能であったこと)、それ以上に私自身が大学受験をこの塾でお世話になり、絶対無理だと言われた志望大学に入れたことが何よりの理由です。
ここで私とれいめい塾との出会いについてお話させていただきます。
私の高校は進学校でしたが、所属していた野球部は当時、他の部活と比較しても極端に練習量が多い部活で、日常の練習は放課後から夜9時頃まで、夏休みの休暇は8月31日の最後の日でだけ、正月も三が日だけという野球漬けの日々を過ごし、自分で言うのも何ですが、日々の学校生活の中で勉強に励んだという記憶はありません。(出来なかった訳ではなく、野球で身体が疲労しているのを理由にやらなかったという方が正解かも…)高校野球が終わった頃、全く学力がない上、半年後にセンター試験を迎えるという残酷な状況が待ち受けていました。
これまで、野球部の先輩方はほぼ半数以上が浪人として、1年猶予を選択する先輩方が多かったのですが、私は何としても浪人は避けたいという思いと絶対に国公立に入りたいという欲張りな希望を持っていました。
もちろん自分一人で何とかなる状況ではなかったことから、市内で塾を探しまくりましたが、もちろん低学力の上、現役で国公立を合格するという無理難題に答えてくれそうな塾は見つかりませんでした。そんなある日の塾探しの帰り道、全く存在すら知らなかったれいめい塾の前を通りました。母から「話だけでも聞いてみようか?」の一言で、私も特に期待もせずに塾の中へ入っていったのを覚えています。
そこでお会いした塾長にこちら側の現状、学力、志望校を伝えると、塾長は「センター試験まで時間がないので明日から来てください。」と言われ、こちらがまだ入るも入らないも決めていないうちに、なぜか入塾する事となったのです。これが私とれいめい塾との出会いで、ここからセンター試験までの壮絶な5カ月を過ごすこととなりました。
塾の学習サポート体制は万全でした。当時は別館(高校3年生と小学生が利用)があり、24時間365日、開放されていましたので、学校へ行く時間や家での食事・入浴以外はここで過ごし、年越しの瞬間も塾で過ごしたのは今となっては良い思い出です。
基本的には過去問等を学習部屋(別館2階)で自分のペースで進めていくのですが、学校のように曜日や時間ごとに講義が設定されており、自分の受験科目の講義のみ、1階に降りて聴講するというスタイルで1分1秒も無駄にしないこのスタイルがとても良かったです。
また、科目によって講師も変わり、新鮮であったこと、また一人ひとりの講師が低学力の僕に寄り添ってあきらめることなく、親身になって教えてくれたことが本当に励みになりました。このように勉強の嫌いな私にとっては地獄のような5カ月間を過ごせたのは3年間のめり込んできた野球で培った体力もありましたが、れいめい塾の手厚い学習サポートを抜きにしては語れません。
私の話が長くなりましたが、れいめい塾は本人のやる気が全てですが、希望を形に変えてくれる塾であると改めて感じました。
塾とは志望校へ入学するツールに過ぎません。しかし、れいめい塾はそれを超越した塾であります。それはやはり塾長の受験生に対する情熱(人となり)が物語っています。塾を卒業した何人もの塾生や講師が何年たっても付き合いが続いていることが何よりの証拠だと思います。今の時代、ICT技術の急速な進歩によりWebで授業ができるようになり、人間関係が希薄になっていますが、やはり人は人が育てるものであり、そのような人間関係を積み重ねた歴史が今もなお、れいめい塾には生き続けていて、伝承されています。今年、初めて大晦日のOBの集まりに参加しました。高校以来会う同級生や野球部の後輩等、顔なじみの人もいましたが、初めて会う人とも色々な話をすることができ楽しい時間を過ごすことができました。れいめい塾は塾長以外にもこの塾に自分たちの経験を伝え、恩返ししたいという人たちが沢山いる塾で、人間性も醸成してくれると感じました。
最後に息子はもちろんですが、これまで以上に自分の希望を形に変えられる人たちが多く輩出され、益々れいめい塾が発展されますことを祈念して締めの言葉とさせていただきます。
伊藤勇希(8期生)
結婚式の来賓祝辞のような超大作をありがとう。それでも若干削ったけどな・・・。
三重大学教育学部に合格した夜の写真。中央が勇希で左上のケーキまみれが祥宜。そん左が勇希の合格の最大の功労者・健坊(ソフトウェア札幌社長)。
限りなく熱い男だった勇希が家でも息子の寛人にその熱さを注入しようとしたことは明らか。ゆえに寛人を預かる際には「これからは怒るのが俺の仕事だ。家ではアンタは怒ることなく、なるべく優しく接してあげてほしい」と頼んだ。
ここ数年、かつての塾生がウチの塾に子どもを預けては、あの頃のように子供に接してほしいとのリクエストが多った。ところが親の意に叶うように接すると、塾を辞めていくケースが目立った。正直、へこんだ。親はあの頃を望んでいても子供はそうでない・・・そんな現実に苦しんだ数年でもあった。
今年、それなりの距離をまさぐりながら接してきた寛人。9月のだらけた時期に叱咤した、それが全県模試での県順位3位に繋がったとも思う。それ以後は遠くから眺めるだけ、「中間期末は1位にこだわるな、実力試験だけは1位にこだわれ」とだけは言った程度。それでも家では「塾先は怖い」と言ってるそうだ。まあ、ちょっと複雑だが・・・。
その寛人の全県模試の成績が届いた。
三重県順位は5位・・・前回の3位からは順位を落としたが、さらに上がいる・・・この気持ちが寛人の心を支えるはず。次回は公立直前模試が控えている。さらにその向こう・・・玄太(24期生・医師)以来の津高新入生代表挨拶を目指してもらう。
作文の宛先: reimei.nakayama@gmail.com
よろしくお願いします。