お知らせ
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
岡山のダイスケの授業用の英単語のプリントを1枚打ってから嬉野へ。
午前11時半前に周辺について心当たりを探す。妹の亮子(10期生)を深夜に送って来たのは17年も前・・・異常に大きな、そして夜目でも立派な家だったという印象しかない。まあ、その大きさゆえか立派さゆえか、すぐに見つかる。
ドアを開けて「先生、昔と変わらん!」 そして雄也は助手席に座る。「親父さん、もうリタイアか」 なぜか親父さんから入った。「ええ、退職したけど嘱託ということで名古屋まで通っています」 「そりゃ能力を惜しまれたわけやな、羨ましいやん」 エスティマは算所から松阪方面へ。松阪究極の定食屋・・・『レイブン』と『実百樹』の間で揺れまくったがデビュー戦だ・・・『実百樹』
「これで700円や、どない思う」 「えっ、2000円でも」 「アホな、そりゃアンタがおいしいもんばっか食べてるからや。でも充実した700円やろ」 「ええ」 「また、親父さんといっしょに来たらいい」 ・・・また親父さんか、雄也と話すと親父さんと結びつくってのは昔のイメージ。
「中学時代は親には反抗してましたね、しょうもないことやっては怒られてばっかでした。高校に入って姉ちゃんから『れいめい塾へ行け』とか言われたんですよ、それで塾に入ったんですね。でもね、塾がなかったら今の僕はないと思います。何も考えず、大学に行く気持ちもなく塾に入ったのか、入れられたのか・・・でもね、塾でいろんな奴と知り合えたのが大きい。トミー(7期生・三重銀行)やユタちゃん(7期生・三重銀行)や正知(7期生・某高校教師)たちと出あって、真剣に勉強するってことが分かりましたね。ことにユタちゃんって三重高で野球やってて、それから勉強やって・・・俺はいったい何をやってるんだろうって思っちゃいましたよ。あれからですよ、なんとか一歩でも近づこうと僕が勉強し始めたのは・・・」
高校時代の雄也、そして就職活動の頃の雄也にまとわりついてたもの・・・父親に対する尊敬の念が人より強かったように思う。親父さんの壁、その高みは目を見上げるばかりで、それが中学時代の反抗となる。中学の頃の話は今日初めて聞いた。遥か彼方の高みを眺め、その手前にある少しばかり高い峰々、それが古い塾に巣食っていた同期達だったのかもしれない。
雄也は10年間は証券会社を続けようと決めていたという。野田で4年間、大阪で3年間、そして伊勢崎で3年間・・・辞めるときは管理職、自分の見込み客をゆとり世代の新人たちに分け与えたわけだが、雄也のゆとり世代に対する視線は厳しい。「マニュアルは覚えようとするんですよ、うん、真面目ですよね、でもクロージングともなるとマニュアルなんてないですからね、なんとも応用が利かないんですよ。飛び込みですか、そうですね、100軒回って次に繋げるお客さんが3軒もあれば・・・その3軒から契約が出ればって感じですね。でも1年間のスパンでそれまでは60軒の掘り起しが平均だったんですけど、ゆとり世代となるとそれが半分近くになったんですよ。自分で考えるとか、工夫するとかってのが全く見えないんです」
證券会社を辞めて自宅に戻り、今ではデイトレーダーでパソコンとにらめっこの毎日。ちなみにマージャンはヘタだができるらしい・・・塾としては最高の逸材を獲得したわけだ。午前9時から東京市場が開く。午後4時からヨーロッパ、午後7時からニューヨーク・・・「一日の過ごし方ですか? 休み休みで朝から深夜10時頃まで取引やってますよ」
雄也には俺の目論みを話した・・・Uターン学生を対象にした県内の中小企業のサイトを起ち上げる話だ。「三重県どう思う」と俺。「住みやすいですよね」と雄也。「ああ、でもさ、こればっかりは一旦はこの田舎を出ていかなくっちゃ分からない。そして新卒なり中途なりで三重県に戻る・・・その時に受け皿になる会社があればいいなと思う」 「おもしろそうじゃないですか」 「これからやけどね」
家でピックアップしてエスティマの中で、そして『実百樹』のカウンターで、帰りのエスティマの中で・・・延々と話した。互いの10年間のブランクを埋めようとしてだ。それでも緒戦、まだまだ埋めきれない。
ただ、かつて懸念していた親父さんとの関係はいたって良好らしい。「まあ、でも帰ってからまだ半年ですから」 「あとは結婚か」 「そうですね、先生のお話のなかで越知先輩(4期生・旭洋)が結婚したのを聞いて衝撃ですよね」
かつて見上げた高み、それが少しばかり近くに見えるようになったのであれば幸いだ。
昨夜から胎動、中3の新たなるカリキュラムの不定詞総合の試験では晶帆が深夜まで粘って一人合格。他の3人は家でも塾ででもいい、ひたすらに反復するように。
聖学舎の清水先生からメールをいただく。前から打診してた名張でのモーニングの件・・・7月7日でどうかとのこと。それも名張の酔っ払いこと大垣を交えてとのリクエスト。良かったな大垣、地元の人から受け入れられてて・・・。まあ、俺は了解。あとは、やたら多忙なふりする大垣次第で。
7月7日、場所は珈琲館、時間は9時からでどう。大垣がいいようなら家まで迎えに行くよ。
そしてこれまたメール・・・7期生からね。今日のランチの約束を取り付けた。・・・15年ぶりか。
Face book を通してかつての塾生との繋がりが広がりつつある。彼もまたそんな一人。東洋大学を出て證券会社に勤務したところまでは繋がりがあったが、それ以降は途絶えた。あれからどんなふうに生きてきたのかを聞くのが楽しみだ。
さらにメールでの質問・・・高田高校Ⅰ類からの国公立大学への進学者数について。
資料を見るとⅠ類からは1名だけ。三重大学工学部だ。
数年前まで高田高校の塾対象の説明会では、Ⅰ類も頑張っているという具体例として島根大学に進学した生徒のネタがよく出ていた。Ⅰ類の理系から島根大学へ進学、なんのことはない、悠志(18期生・島根大学院2年)のことだった。悠志については高田高校Ⅰ類の物理や化学が最後まで終わらないために全てをウチの塾主導で教えた。理系なのに主要教科の物理や化学が最後まで終わらない・・・そんなカリキュラムで国公立に受かるはずがないのだ。それを手前味噌で我が高校が入れたと言って憚らない自覚のなさ・・・これが高田高校の元凶だと思っている。
そして3年ぶりに参加した説明会、俺のその思い込みは払拭できないままだ。
さらに森下(8期生・研究者)から Face book 越しの呼びかけ・・・「れいめいCUP」なるゴルフのコンペを今夏開催するとか。関係者各位の参加を心待ちにしています・・・とのことです。
奥さんがいないと無駄なことはしたくない。教科書も新課程とともに一新、ゴールが見えないままにプリントを打ち続ける。疲れたら文庫本を片手に沈む。起きたらまたプリントとの格闘が待っている。合間を縫うようにパソコンで Face book を覗く。そんななかで昨日は何も食べずに終わった。でも今日は、7期生とのランチだ。一日一食・・・本屋のどっかに若さを保つ秘訣だとかで50歳後半の医者が書いた本が棚積みされてた。たまたまの一食、俺は今日のランチを心待ちにしている。
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貴裕を久居駅まで送る。明日の最終日は社会と保健体育・・・御しやすいと踏んだのかもしれない。しかし最後まで粘り切るという姿勢が欲しいのだ。今日強制的に夜遅くまでさせ日付が変わる頃に送っていくという選択肢もあるが、時期尚早・・・持っている力を心底振り絞る時期は今ではない気がするのだ。しかし唇をかみしめる思いはある。
晶帆がやって来る。試験終わっての登場・・・松阪西や嬉野グループと同じカリキュラムに入る。英単語の増強だ。不定詞と動名詞あたりから入っていく。そして受動態へと移行する。
喬之が来る。ここ数日喬之を教えてみて今日の未明に作った助動詞のプリントを渡す。そして駿、さらに知愛・・・試験明けの世界に突入する。むしろ試験前のほうが楽かもしれない・・・。
ついつい試験が終わった面々と英語の授業・・・中学で習う不定詞全般だ。今夜はこの1枚でいい。このプリントを何度も何度も訳す、すらすらと流れるように訳す。それだけでいい。今から1時間で試験、さつき(21期生・名城大学人間学科3年)が帰るまでだ。
そのさつきは人也に英語の予習・・・「一週間」とレッスン4を一挙に終える。
ほとんどの面々は明日の試験勉強に没頭している。そのなかで新たなる旅立ちの生徒たちがいるわけだ。
中3の不定詞の内容は以下。
Sになる名詞的用法・Oになる名詞的用法・Cになる名詞的用法・動詞を修飾する副詞的用法・形容詞を修飾する副詞的用法・名詞を修飾する形容詞的用法・5文型不定詞(want 人 to V , ask 人 to V , tell 人 to V , advise 人 to V , help 人 to V )・ It ~to V ・ too ~ to V ・ ~ enough to V ・疑問詞+ to V ・・・
* 英語の堪能なお母さんなら、It ~ to V が名詞的用法だと、あるいは too ~ to V や ~ enough to V が副詞的用法だと御存じかもしれませんが、そこまで細分化するのは中3には厳しく、そのレベルは高1でということでお願いします。
英文中の不定詞をこのいずれかに瞬時に識別できるようにするのが目的。少なくとも期末試験の勉強より辛いはず。保護者各位、家でも必ずさせてください。夏季講習の助走がすでに始まっています。
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三日目なのにゆる~い時間を過ごしている。
奥さんを送り、帰りに宮脇・・・嬉野店は潰れたから久居インターのほうに寄って美術と音楽の問題集を購入。こっち系統が苦手な男の子対策の一助にでもなればね。ついついつられて2013年版『業界地図』なんてのも買ってしまう。
塾に戻ったのが午後1時・・・誰もおらんがな。パソコンを眺めると FACE BOOK に友達申請・・・おいおいおい! 中浜センセやん。悪口書いたん、ばれた? まあ、恭しく友達申請の承諾をクリックする。するとコメントがアップ・・・お嬢さんに聞いたので早速リクエストしてやったぞ・・・親に似あわずお嬢さんいい子だね・・・中浜節炸裂である。
後になり、いい子?のあい(23期生・三重大学教育学部1年)から聞く。「今日は雨やったで、診察のときに中浜先生が聞いたのよ・・・今日も親父に乗せてもらってきたのかって、それで私が今日父は仕事があるので自転車で来ましたって言ったら中浜先生、・・・そうか、あいつもちゃんと働いてるのやな、・・・だってさ」
颯太がやって来て、馨五も来た。馨五には化学の計算問題の最も難度が高い去年の東中の試験をさせる。予想通りに大コケ、「良かったな、たくさん間違って」 「ハイ!」
安呂巴に芽生がやって来て、さらに幸佑だ。そして茉帆と莉穂・・・明日は社会と数学、二人がそれぞれ違う問題をするようになった。つまりは自分が少しは見えるようになったわけだ。
玄太の東京大学理Ⅲに対して「員弁から」さんから辛口のコメント・・・コメントを返す。員弁か・・・あそこには日下病院ってのがあったよね。
昨日はいつの間にか姿を消した・・・まあ、俺が寝てたから知らないわけだが・・・貴裕が姿を見せる。真輝が来て、中2の詢也、中1の有紀も来た。
そこそこに賑やかにはなって来た。
早速、メールでの質問・・・高田文理の進学実績は?とのこと。
今日渡された資料のなか、Ⅱ類の合格者から数理クラスの2名(三重大学工学部と岡山大学農学部)を引いたぶんが文理クラスになるはずなので・・・茨城大学理学部・愛知教育大学情報科学・三重県立看護、そして三重大学の人文と教育と工学部に各1名。合計で6名が国公立に進学している。
その大学名をインプットしながら今日貰ってきた高田高校のポスターを廊下に貼る。
クリックのほう、ほんまに頼んます。
高田高校塾対象説明会だが、去年と一昨年は出席していない。理由は突発性難聴からくる目眩のことがあったはず・・・しかし、それよりもこの時期にするんかい!という想いもあった。この時期・・・中学と高校ともに期末試験にぶつかっている、昼までが試験で昼過ぎには生徒たちがやって来るこの時期にだ。それでも初年度の数理クラスの実績が知りたい・・・その想いが勝った。そして初めてくぐった立派な正門・・・
早く塾に帰らないと生徒たちがやって来る・・・そんな思いもあったのだろう、質疑応答では塾関係者からは誰一人手を挙げない。結局は「何か質問がありましたら、説明会終了後にでも・・・」ということで落ち着く。
聞きたい思いはあった・・・なぜ、数理クラスは失敗したのかと。
鳴り物入りで始まった数理クラス、初年度は21名からスタート・・・線引きをしたからにはそれこそ少数精鋭を謳える。ところが途中で2名が文系へ、そして残る19名の結果は配布された進学資料では分からない。実績をⅠ類とⅡ類と6年制に分けているからだ。数理クラスと文理クラスでⅡ類を構成しているから数理クラス単独での実績が分からなないのだ。
そして説明のなかで数理クラスの初年度の実績が披露される・・・国公立大学合格者は2名、一人が三重大学工学部、そして残りの一人が岡山大学農学部だ。
ウチの塾生にしてもほとんどが高田高校を受け、数理から流すのが常だが、3年前の初年度では数理と文理には明確な差があった。実力でみると津高と津西の間あたりが数理の合格ボーダーだった。白子のフロイデ学院の松田先生がささやいたように、初年度にはそれなりの生徒が集まったはずだ。ところが高校3年間の後に三重大学と岡山大学が一人ずつ・・・。
19名のうち、現役で大学に進学したのは10人・・・国公立以外の私立大学進学先には詳細に触れなかったが、皇學館と鈴鹿医療の名前が挙がったと思う。そして残りの9人が浪人している。
数理クラス誕生を高らかに謳った塾対象説明会はちょうど4年前、場所もここでだった。名古屋大学合格をできれば10名視野に入れて・・・との勇ましい言葉に期待した。5教科のバランスが悪く、津や津西に落ちた生徒の受け皿として高田数理クラスの可能性を模索した。
しかし初年度の実績がこのような結果で終わった以上、数理クラスには魅力を感じない。合格者が三重大学と岡山大学に一人ずつ・・・どう贔屓目に見ても失敗としか表現の仕様がない。
じゃあ、公立入試で手痛い一敗を食らった生徒が3年後のリベンジを見すえて進学する高校は・・・依然として、これが一番厄介な問題として屹立したままなのだ。
気忙しい先生方と食事をすることもままならず、俺は奥さんを中川駅まで送る。お義母さんが急きょ入院するらしい。またぞろ塾での籠の鳥の生活が始まる。